なぜ殺した。ゆかりちゃんは今どこにいる。『殺人犯はそこにいる』新刊超速レビュー

2014年1月8日 印刷向け表示
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殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件

作者:清水 潔
出版社:新潮社
発売日:2013-12-18
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「進んでしまった時計の針を戻すことは出来ない。あの日、事件は起こってしまった。」著者、清水氏は思う。「だが、なぜだったのか?」普通のどこにでもいるような女子大生がストーカー被害の末殺害された、「桶川ストーカー殺人事件」。当時、雑誌「FOCUS」編集部に在籍した清水氏は、独自取材の末殺人犯を探し当て、埼玉県警上尾署の不祥事を暴いた。その一連の取材過程を記した前著『桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)』でのまえがきには、先のように書かれていた。「だが、なぜだったのか?」おそらくは、ずっと清水氏の胸に響いていた言葉。「なぜ猪野詩織さんは殺害されたのか?」。

 

本作『殺人犯はそこにいる』のまえがきにはこう書かれている。

「関東地方の地図を広げ、北部のある地点を中心に半径一〇キロほどの円を描いてみる。そこは家々が建ち並び、陽光の中で子供達が笑い声をあげる、普通の人々が普通に暮らす場所だ。その小さなサークルの中で、一七年の間に五人もの幼女が姿を消しているという事実を知ったらあなたはいったいどう思うだろうか。彼女たちはいずれも無残な遺体となって発見されたり、誘拐されたまま行方不明となっている。しかも犯人は捕まっていない。」

「私が本書で描こうとしたのは、冤罪が証明された「足利事件」は終着駅などではなく、本来はスタートラインだったということだ。司法がなりふり構わず葬ろうとする「北関東連続幼女誘拐殺人事件」という知られざる事件の歪んだ構図の真実、そしてその影で封じ込められようとしている「爆弾」についてだ。」

 

「だが――それでよいのか?」。今回の事件で清水氏の心にずっと響いていた言葉。「足利事件」は冤罪だった。そして、その後ろで今も逃げおおせている真犯人がいる。清水氏は言う。「そして、何より伝えたいことがある。この国で、最も小さな声しか持たぬ五人の幼い少女達が、理不尽にもこの世から消えた。」強く。「私はそれをよしとしない。絶対に。」

 

「足利事件」は、DNA型鑑定を覆した冤罪事件として多くの人の記憶に残っているであろう有名な事件だ。九〇年に起きた「松田真実ちゃん事件」の犯人として菅家利和さんを逮捕、起訴、無期懲役に服させたが、それは冤罪であったと証明され、釈放されたのだ。獄中生活は一七年半にも及んだ。大きく報道された釈放時の映像。実はあの時、菅家さんが乗ったワゴン車の中には、清水氏がいた。清水氏は「FOCUS」休刊後、日本テレビの社会部記者として様々な事件の取材に携わっていた。その中で、群馬県太田市、栃木県足利市、隣接する二地域で連続して起こった五つの事件の類似性に気づく。最後の一件、九六年群馬県太田市の「横山ゆかりちゃん事件」が菅家さん逮捕後に起こっていることに不審を抱き、詳しい調査を始め、遂には菅家さん冤罪を確信し、DNA型再鑑定、再審キャンペーンへと繋げていく。その後の事態の推移は、皆さんのご記憶の通りだ。

「いいのか?これで?本当に?ならば菅家さん逮捕後に起きた、類似事件の「横山ゆかりちゃん事件」は別人の犯行ということでいいんだな?手口はたまたま似ていただけなのだな…。」

「やはりおかしい。おかしいんだよ。何かが。」

「仮にだ。あくまで仮にだが、万が一、いや一〇〇万が一でも、菅家さんが冤罪だったら…。」

 

「自供」、「DNA型鑑定」と証拠の揃った「足利事件」が冤罪であるかもしれないなどと、普通の記者であれば考えはすまい。しかし清水氏は自分の中に起こった疑念を、むしろ無駄な調査であってほしいと願いながら、一〇〇万が一の可能性を信じるというよりは、ないものであってほしいと願いながら、それぞれの事件の洗い直しを始める。

 

清水氏の辿った道のりを追いかける。そこに立ちはだかっていたのは、警察の杜撰な捜査、欺瞞、司法の粗雑さ、マスコミのだらしなさだ。強引に引き出された「自供」。捻じ曲げられた「証拠」。つじつまが合わない「証言」は証拠として提出されない。そして、稚拙な「DNA型鑑定」。警察の描いたストーリーをそのまま踏襲する検察。警察の発表する情報を鵜呑みにするマスコミ。清水氏は真犯人の逮捕につながるよう警察に情報提供し、捜査の不備を指摘した。だがしかし、警察は動かない。推察されたその理由には、呆然とするしかない。これは本当に真実なのか。真実であってほしくない。でも、本当に真実なのか。私たちの生活は、このような脆く頼りない官僚組織にゆだねられているのか。私たちの認識は、このような情報統制下にあるのか。戦慄を抑えられない。暴かれた「DNA型鑑定」の脆弱さには、血の気が引く。発展途上であったはずのその鑑定手法は、なぜ絶対的な権威をもって認められてきたのか。清水氏はその張りぼての中に鋭いペンを突き刺す。科学捜査手法の発達は歓迎されるべきものだ。だが、科学は絶対視されてよいものではない。それは、科学に触れた経験のある人間なら明らかなことだ。突き刺されたペンが抉り出した真実は、むなしい。

 

清水氏の心の揺れも、奮い立たせた思いも、余すことなく書かれたこのルポルタージュは、憚りながら、面白い。まるでミステリー小説のような興奮を覚える。しかし読後、覚えた興奮の分だけ恐怖する。このスリルは虚構ではない。今まさに現実に私たちがさらされているものなのだと気付く。

 

本来ならば、このようなルポルタージュが生まれるべきではないのだ。警察組織や司法が、私たちがそうあるだろうと思うように機能しているのであれば、生まれなかったはずのものだ。しかし、生まれた。また。「だが―—それでよいのか?」。その言葉は、清水氏の心の中に生まれるべき言葉ではないではないか。本来ならば、どの立場の人間の心に生まれるべき言葉なのだろうか。どうして清水氏がこのような本を出し続けなければならないのだ。『桶川ストーカー殺人事件』でも、清水氏は警察より早く犯人にたどり着いた。そして、今作でも、「北関東連続幼女誘拐殺人事件」の犯人にたどり着いている。それは、本来誰の役割なのか、問いたい。

「いいか、逃げきれるなどと思うなよ。」

なぜ清水氏にこんな言葉を言わせるのだ。なぜ「爆弾」を放り出すことができないのだ。

 

前著『桶川ストーカー殺人事件―遺言』巻末、被害者である猪野詩織さんの父、猪野憲一さんが寄せた文章から引用したい。

「マスコミは、しっかりと、正確に、世に真実を報道して行くことが出来るのか。細部に至るまで詳しく伝える責任とはどういうものなのか。限られた紙面、制約のある時間のなかで、どんなメディアであれ限界があることはわかっているつもりだが、それぞれのメディアの特徴を生かすことで、それぞれの役割を十分に果たして欲しい、というのが私の切なる望みでもある。」

「本書には、人に与えられただけの垂れ流しの情報によってではなく、自らの研ぎ澄まされた直感と信念によって、真実を探り出そうと猛烈に突き進んだひとりの報道人の行動の結果が記されている。この事件の真実を求める多くの人たちに、この事件がどのようなものだったのか、また、報道を志す人々に、報道する人間が真に持つべき姿勢とはどのようなものか、この本を手にする事で分かって頂けると信じ、心から願っている。」

 

安易な警察批判に興味はない。だがしかし、盲信する気もない。本作でも揺らがぬ著者、清水潔氏の報道への姿勢に、深い敬意を寄せたい。そして、少しでも早い「北関東連続幼女誘拐事件」の解決を望みたい。

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

作者:清水 潔
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凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)

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