『ヤノマミ』文庫版追記 by 国分拓

2013年11月8日 印刷向け表示
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※2010年3月、単行本刊行時のあとがきはこちらから

ヤノマミ (新潮文庫)

作者:国分 拓
出版社:新潮社
発売日:2013-10-28
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同居が終わって4年が過ぎた夏のことだった。ニュースを眺めようと思ってパソコンを立ち上げた。調べたいことがあるわけでもなく、世界の動きが知りたかったわけでもない。ただの惰性からだった。

 

唐突に、「ヤノマミ」という文字が目に入った。液晶画面の中に『ヤノマミ族虐殺か』とあった。予期せぬ出来事だったから少し慌てた。

 

2012年8月30日、サンパウロ発の外電は、以下のように〈事件〉を伝えていた。

――2012年7月上旬、ブラジルとの国境に近いベネズエラのオカモ川上流部に暮らすヤノマミ族の集落に男たちがヘリコプターでやってきて、住民約80人を銃などで殺害した。狩りのため森に入っていた3人だけが生き残った。騒ぎを聞いて別の集落から駆けつけた住民も黒こげの遺体を確認している――

80人という数はただ事ではなかった。しかも、生き残ったのは3人だけだという。無差別な殺戮によって一つの集落が壊滅したと言ってよかった。

 

殺戮を行ったのは金やダイヤモンドなどを探してジャングルに入り込んでくる集団・ガリンペイロのようだった。1993年にも彼らは同じような虐殺事件を起こしていたが(ベネズエラのヤノマミ族・ハシムー集落で16人が殺された)、犠牲者の数はその時より遥かに多かった。

 

大変なことが起きたのだ、と思った。

 

事件の現場を探そうとして地図を開いた。アトラスの地図帳でも探し、ブラジルで買った大判の地図やFUNAIが発行している資料にもあたった。しかし、現場となった集落も、ブラジルとベネズエラの国境にあるというオカモ川も、見つけることができなかった。

 

オカモ川上流部に暮らすヤノマミについて、私には何の知識もなかった。ヤノマミの集落はブラジル側だけで200以上あり、そのうち政府やNGOが定期的に連絡をとっている集落は全体の1割にも満たない。しかも、その1割の中で自分が行ったことがあるのは僅か4カ所(ワトリキ・スルクク・ホモシ・アジャラニA)に過ぎなかった。

 

職場に向かう道中、既にネットに上がっていた書き込みを読んだ。多くの人が〈事件〉の現場をワトリキだと思い込んでいた。ある掲示板には「あの14歳の少女も死んだのか」という書き込みもあった。

 

職場に着くと、ヤノマミは大丈夫なのか、絶滅してしまったのか、と何人もの同僚から聞かれた。メールで問い合わせてくる人もいた。多くの人が、「事件の詳細」や「事件の背景」や「ヤノマミの現状」を知りたがっていた。

 

夜、ブラジルの知人に連絡した。知人は〈事件〉を知らなかった。ヤノマミ族の保護活動をしているNGOのホームページを見てもらったが、何も書かれていないという。いくつかのやり取りがあった後、知人がようやくネット上にニュースを見つけた。ブラジルでの扱いは小さいようだった。ブラジル人は先住民の話題や問題に無関心なのだ、と知人は言った。詳しい情報はブラジルにもなかった。

 

翌日も、その翌日も、多くの人に聞かれた。

 

だが、重大な虐殺事件が起きたかもしれないということ、現場はワトリキではなく別の集落であること、独自の情報を入手できる術は何もないこと、私に分かっていることと言えば、その3つだけだった。

そして、1週間もしないうちに事件はあっけなく「収束」した。

 

ベネズエラ政府の調査団が現地に赴き現場検証と聞き取りをした結果、虐殺の事実はなかったと結論づけたのだ。ほどなくして、情報の発信源とされていたイギリスのNGO(サバイバル・インターナショナル)も誤報であることを認めた。口の悪い人々は、先住民保護の必要性を訴えるための捏造だったとか、話題作りのためだと言い始めた。一方、いくつかの団体は事実確認が不十分だとベネズエラ政府を批判した。

 

また、多くの人に聞かれることになった。ヤノマミと調査団のどちらが本当のことを言っているのか。真相はどこにあるのか。

 

殆ど何も答えられなかった。そしてなぜか、違和感が膨らんでいった。

 

いったい自分は何に対して違和感を持ったのだろう。

 

そう言えば、一報に触れた時からひっかかりがあった。あるいは、虐殺を知らせるニュースが「トピックス」つまり「話題」というページにあったせいかもしれない。悲劇が1行の情報としてスポーツの結果や芸能人の色恋沙汰と並んでいることへの、どうしようもない違和感。そんな感情がどこかにあったのかもしれない。でも、それだけではなかったような気がする。

 

きっと私は、こう思ったのだ。〈事件〉は本当に「ニュース」=「新しい情報」だったのか。実際は、森の中で恒常的に起き続けてきたこと、すなわち「日常」だったのではないか、と。

 

ワトリキの人々が語ってくれたことを訳してみて、初めて分かったことがある。彼らが過去の悲劇を語る時、それが「いつ」のことなのか、何も語られてはいないということだった。お婆さんが死んだ。妻が死んだ。ナプが来た。子どもも死んだ。そう語ることはあっても、それが「いつ」のことなのか、彼らは何も語ってはいなかった。西暦のような客観的な時間軸がないことも一因なのかもしれないが、それだけとは思えなかった。侵入、収奪、虐殺、絶滅、逃亡。500年以上前に「文明側」の人間がブラジルにやって来て以来、同じ事ばかりが何度も起き続けてきたからではないか。私たちから見れば遠い昔の出来事でも、彼らからすれば「ずっと続いてきた日常」だったからではないか。

 

もしかすると、オカモ川の〈事件〉だって数年前、数十年前の出来事だったのかもしれない。確かに、「2012年の夏に起きたのか」という一点で真偽を判定すれば、「なかった」ということになるのだろう。だが、彼らにとって重要なのは、「いつ起きたか」ということではない。「あった」か、「なかった」か、だ。昔の出来事であろうと、かつて「あった」のであれば、それは「真」なのだ。

 

果たして、私たち「文明側」の基準だけで事の真偽を判定することは正しいことなのだろうか。被害者側の捉え方も尊重されるべきではないか。私たちの社会はそこまで考えた上で真偽を判定したのか。いや、そもそも「加害者」である私たちに、真偽を判定する資格などあるのか。

 

加害者となる。あるいは、加害者になってしまう。それは自分が最も恐れ、そうなってはならないと絶えず戒めていたことだった。だから、彼らが知らない物をワトリキには持っていかなかった。自分たちの習慣も消そうとした。番組や書籍を作る時も、資料で知り得た情報を極力排し、自分が見てきたことだけを記そうと思った。

 

しかし、番組が電波に乗り書物が書店に並んだ瞬間、それは無意味なことになる。結果として彼らは見世物となり、消費されて、忘れられていく。そして、その加害者の1人は間違いなく自分なのだ。

〈事件〉から1年が過ぎ、2013年となった。この1年で自分がしたことと言えば、彼らが作った渉外団体のホームページを見ることぐらいだった。しかし、そこに虐殺事件についての記述はなかった。新しい情報も事件への抗議声明もなかった。

 

 

ただ、ワトリキの最新映像がアップされていた。撮影者は「これからはポルトガル語を話すヤノマミがバタ・ムン(指導者)になる」と言っていたモザニアルだった。おそらくNGOの誰かからビデオの使い方を教わり、撮影したものを編集してもらったのだろう。 

 

映像は何らかの会合がワトリキで開かれた時の様子を撮ったものだった。何人かの長老が代わる代わる何かを喋っていた。ダビも映っていた。ダビ以外は知らない顔だったから、他の集落から何人かの長老が招かれたのだろう。

 

長老たちの長い語りの合間にワトリキの人たちの顔が差し込まれていた。撮影日の情報はなく、それが〈事件〉の前か後かは分からなかった。ただ、映っている人々の老け具合から、同居が終わった後に撮られたことは確かだった。

 

純粋な青年を袖にして他の集落の男と結婚したケネリは乳飲み子を抱いていた。彼女の子どもかもしれなかった。いつも笑っていたスザナはビデオの中でも笑っていた。アンセルモは一人ポロシャツを着ていた。私たちが訪れた頃、ポロシャツを着ている者はワトリキにはいなかった。名前を忘れてしまった人たちも何人かいた。シャボリ・バタやローリは映ってはいなかった。

 

懐かしかった。だが、それ以上に感傷的な気持ちの方が強かった。爆発したあとの超新星を遠く離れたところから眺めているような無力感を感じた。

 

記憶も薄れていた。シャボノもいつも雨を降らせていた山もそのままの姿で映っているのに、遥か遠い昔の出来事のように感じられた。懸命に覚えた彼らの言葉も殆ど聞きとることができなかった。

 

忘れることは、なぜかくもたやすいのか。

 

どうすれば忘れることに抗えるのか。

 

〈事件〉以降、そんなことばかり考えている。

2013年5月 筆者

 

 

 

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