本書は2011年のBBCサミュエル・ジョンソン賞を受賞した。同賞は英国でもっとも権威のあるといわれるノンフィクション賞だ。過去の授賞作には、2010年は6人の北朝鮮脱北者に7年間も向き合って紡ぎだした『密封国家に生きる』(邦訳2011年6月)。2008年の『最初の刑事』(邦訳2011年5月)はミステリーファンでも楽しめる壮大なヴィクトリア朝時代のノンフィクション。2007年の米国によるイラク統治の内幕を描いた『グリーン・ゾーン』(邦訳2010年2月)はその後、マット・デイモン主演の映画になったのだが、訳本はすでに絶版になったようである。
ところで、本書は中国人からの評判がすこぶる悪い。解説の鳥居民氏によれば、次期総書記と目される習近平が2010年7月の党史工作会議において、中国共産党の歴史を歪曲、誹謗してはならないと説いたという。本書の内容を発行前に承知していた可能性があるという。一般の中国人からも評判が悪い。評者がこのレビューを書く前、本書が面白そうだとFacebookでつぶやいたら、内容を信じるなというコメントが北海道在住の中国人から書き込まれた。日本語版の発売前である。もはや中国人にとって焚書の対象となっているような本なのだから、つまらないはずがない。
それもそのはず、本書では毛沢東と中国共産党の人類史上最大の愚挙によって4500万人もの国民が死亡し、250万人が拷問・処刑死したと主張するのだ。これでは中国人の面目丸つぶれであろう。しかし、ユン・チアンの『マオ』によれば、当時のナンバー2であった劉少奇はソ連大使に対して、大飢饉が終息する前に3000万人が餓死したと話していたらしい。つまり中国人は3000万人までは認めるが、本書の4500万人は誇張であると主張したいらしいのだ。これを孟子は50歩100歩といった。
そもそも毛沢東は1957年5月17日の党大会で「世界大戦だといって大騒ぎすることはない。せいぜい、人が死ぬだけだ。人口の半分が殲滅される程度のことは、中国の歴史では何度も起こっている。人口の半分が残れば最善であり、3分の1が残れば次善である」と言っている。これが毛沢東の誇張表現なのか、中国共産党の統治意識なのか、中国人の宇宙観なのか、理解不能というしかない。
ともあれ、死者4500万人という数だけが問題なのではない。あとに紹介するように、文字通りの愚策・愚行によって耕作地、木、鉄、住居、衣服、生産物まで、あらゆる資源が無駄に浪費されたため、大飢饉後には中国の多くの農村は、比喩ではなく石器時代の生活に戻ってしまったのだ。その後の文化大革命でも中国は自らの愚行によって、壊滅的な大打撃を受け、20世紀中は米欧の資本主義国も近隣諸国も中国の脅威どころか存在すら気にする必要がなくなった。日本が近隣防衛まで米国任せにすることができ、それゆえに資源を経済に投入することで、高度成長できたことは毛沢東によって担保されたといっても良いかもしれない。
ほとんどの中国共産党幹部は周恩来も鄧小平も趙紫陽も唯々諾々としたがった。彭徳懐と劉少奇だけが反対の立場であった。毛沢東は「大躍進」で失脚したが、7年後に「文化大革命」で復活し、彭徳懐と劉少奇に復讐することになる。文化大革命中に彭徳懐は紅衛兵に肋骨を折られ、末期癌であるにも関わらず痛み止めの注射はされず、窓を完全に塞がれた部屋で下血と血便にまみれて死んだ。劉少奇もやはり恥辱の中で亡くなっている。しかし、のちに2人とも死後しばらくたって名誉回復され、劉少奇の子息である劉源は中国共産党中央委員として太子党の一員となっている。不思議な国だ。
それでは本題にもどって、本書から少し紹介してみよう。著者はオランダ生まれの香港大学教授だ。著者は北京の外交部をはじめ、各省の党档案館などから1000点を超える資料を収集した。档案館とは国公立の公文書資料館のことである。1999年に档案法が改正され、50年を超える文書が公開されることになったのだ。そのなかから驚くべき事実を知ることになる。
1957年11月、毛沢東はソ連のフルシチョフに張り合うため、中国は15年以内にイギリスを追い抜くと宣言した。しかし、その後それなりに発展したかに見えるソ連とは異なり、中国は愚か極まりない思いつきと狂気じみた統治組織で、大量の労働力と資本を使い、計画が成就しなかっただけでなく、将来にわたる巨大な負の資産を残したのである。大躍進で行われた複数の巨大プロジェクトのすべてがそうだった。
たとえば、農産物の生産量を増やそうとして、無謀な肥料作りを始める。糞尿だけでなく女性の髪まで切って肥料として使ったという。民家も肥料にされる。麻城県というところでは肥料にするために何千軒もの家が解体されたのだが、『人民日報』が成功例として紹介したため、気を良くして、年末までに5万軒の家屋や牛舎、鶏舎が壊された。当時の民家は藁と泥で作られていたからである。肥料をまくということが目的化していまい、しまいには農地に白砂糖を撒くという倒錯ぶりだ。
さらに、中国共産党は愚かにも、土地を深く耕し、作物を密集して植えると収穫が増えると思いこんだ。何千万人もが自分の家を燃やして暖を取りながら夜を徹して掘り続けた。最大3メートルもの深耕は無駄であっただけでなく、結果的に表土が損なわれるという事態にも陥った。飢饉の真っ最中にもかかわらず、食糧でもある苗や種を密集して植えつけ、苗が呼吸できずに枯らしてしまうことも行った。
いっぽうで、鉄を増産しようとして「土法高炉」なる手製溶鉱炉を作りはじめた。全国4000万人の労働者を使い50万基を建設した。所詮鉄器時代に近い製法である。クズ鉄だけでは足りず、鍋釜、農機具まで原材料として投入されたのだが、出来上がったのはやはりクズ鉄だった。クズ鉄を使って作った農機具は1年も持たなかったため、農家は文字通り素手で耕作することになる。それ以上に深刻なのは燃料だった。国内の山々は丸裸になり、しまいにはなぜか果樹まで燃やしてしまう。南京では7万5000本の果樹が倒された。
これらの愚行で餓死者がでているにも拘らず、地方政府や官僚は毛沢東に水増しした生産量を報告していた。そのために毛沢東は大豊作だと思い込み、休耕地を増やすように指令する。余剰物は輸出に回そうということになり、農産物や木綿などの繊維製品まで輸出した。結果的に農民たちは衣服まで手に入らなくなってしまう。驚くことに千万人単位の餓死者が出ているにも関わらず、毛沢東の国際的な対面を保つために輸出は続けられ、他国からの援助は断りつづけた。
三門峡ダムを始めとして多数のダムが作られたが、ほとんどが欠陥工事だった。1961年までに40万個の小さなダムが破損した。115の大型ダムが洪水を引き起こし、1975年には時限爆弾となったこの時期に作られたダムが決壊し、23万人が亡くなっている。もちろん、これらのダムはすべて手作りである。何百万人もの人々が文字通り手と足で土を削り運んだのだ。
バカバカしいことに害鳥だとしてスズメを全国一斉に退治した。当然のことながら害虫が増えた。空が暗くなるほどのイナゴに襲われ、南京付近では農地の60%が虫害にあった。スズメの効用にやっと気づいたときにはすでに遅く、スズメが絶滅しかかっていたため、あわててソ連からスズメを輸入するという始末だ。
自然に対してこれほどのことをやってのけた毛沢東と中国共産党である。当然、国民に対しての仕打ちは過酷を極めていた。農家は肥料や燃料として家を燃やされ、人為的な飢饉が起こっているうえに、鍋釜にいたる鉄器も取り上げられ、布団どころか衣服もないのである。文字通り石器時代に戻ったのである。その結果人々がどうなったのかは本書を読んでみてほしい。4500万人が死亡したということはその数倍以上が死の淵をさまよったはずである。当時の中国の人口は6億5千万人だった。
『ワイルド・スワン』を書いたユン・チュアンが書いた毛沢東の誕生から死までの素晴らしい評伝である。ユン・チアンによれば毛沢東が生涯に殺した中国人は7000万人だという。ユン・チアンは「大躍進」時の死者数を3000万人と見積もっているから、『毛沢東の大飢饉』のデータで修正すると実際は8500万人ということになる。
毛沢東は自らを皇帝だと思っていたサイコパスだったのではないか。愛読書は歴代王朝二十四史や三国志だったという。非常に好色で不潔。若い娘と戯れたベッドの上に横臥したまま政府要人に支持を下していた。著者は22年間毛沢東の主治医を務めた人物で、本書の発刊から3か月後に亡くなった。
毛沢東は生涯をかけて少なくとも国民の10%を殺したと考えられるのだが、スターリンは1933年だけでウクライナ国民の20%に相当する700万人以上を殺したと考えられている。これはホロドモールと呼ばれ、のちに人道に対する罪として国連、EUなどだけでなく、ロシアも公式に認めている。バチカンや米国はジェノサイドとして承認している。
ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は、ソ連2000万、中国6500万、ベトナム100万、北朝鮮200万、カンボシア200万、東欧100万、ラテン・アメリカ15万、アフリカ170万、アフガニスタン150万を数え、合計は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドはどこが違うのか。なぜ、共産主義は今日まで弾劾されずにいるのか? (「BOOK」データベースより)