『大拙と幾多郎』

2011年3月3日 印刷向け表示
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大拙と幾多郎 (岩波現代文庫)
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まず断わっておくと、「面白さ」という指標で考えれば、★☆☆☆☆である。あとがきにも「現代社会に生きる私たちに益することを考えようとしてではなかった」とある。本のキュレーター勉強会で紹介するからといって、期待は禁物だ。本書は鈴木大拙と西田幾多郎という人物を知るためにもってこいの書籍である。そもそも二人を知りたい読書がどれくらいいるのかは分からないが、石川県出身の二人について、同郷の僕が書くことはけっして悪いことではないと割り切って書く。

本書を端的に説明すると、世界に禅を広めた鈴木大拙と日本で唯一の世界が認める哲学者と言われる西田幾多郎、禅を生きるよすがにしたこの二人を中心とした、明治時代における人びとの人生の交錯を描いている。

西田幾多郎の著作は哲学と禅の前提知識無しに読むと必ずや理解不能に陥り、早々に本棚行きになる。鈴木大拙の著作も西洋文化に汚染された世代が読むには、仏教用語が飛び交い世界観がつかめない。しかし現在、彼らがいたるところで再発見されている。(※尚、本書は1991年に出版され、今年になって改訂増補版として出版された、後に紹介する『西田幾多郎の生命哲学』も同じく、2005年に出版され、絶版になっていたが、今年に学術文庫版として刊行された。)

ビジネスマン視点では、世界に通用する経営学者の野中郁次郎が構築したSECIモデルに「暗黙知から暗黙知」を創る部分で西田哲学を引用している。最近、話題のデザイン思考にも、西田幾多郎の「純粋経験」「場の論理」「絶対矛盾的自己同一」は参考になる。行為の哲学と呼ばれる西田哲学は知識創造の領域で再発見されている。

また、21世紀は生命科学の時代になると言われ久しい。山中教授のiPS細胞やES細胞などが代表的である。しかし、21世紀の生命科学は生物学だけに収まらず宗教が介入し、倫理が問われている。本書ではないが『西田幾多郎の生命哲学』では、西田哲学を「生命哲学」として再発見している。生命の力は、物理や化学の要素還元的な手法ではとらえきれず、独自の論を必要としており、その議論の突端に位置づけられると考えている。

鈴木大拙はといえば、禅である。個人的な経験として、先日、千駄木のお寺に参禅に行った際に、日曜日の夕方にも関わらず、100人弱の人びとが坐禅を目的に集まっていた。海外で継続して続いている「禅」がようやく日本に回帰してきたと感じ、本書を書評しようと思った要因でもある。その禅を海外に広めた第一人者と言ってもよい彼も今後、再発見されていくであろう。

「再発見」以外での本書の内容での驚きは彼ら二人を囲む人びとである。夏目漱石、出光興産の創業者出光佐三、今はなき総合商社安宅産業の創業者、第二次世界大戦中の総理大臣である近衛文麿(西田幾多郎の教え子にあたる)など、派手な人物が多い。そして、当時、西田幾多郎の処女作『善の研究』は当時のインテリの間では必読の書であり、難解すぎて理解はできない人が多数だったそうだが、読まなければ箔がつかないと必死に西田哲学を追いかけていた。そして、西田哲学は第二次世界大戦にて、若きインテリに学徒出陣を固める際の装置になったとまで言われ、批判の対象となるほどの影響力を誇っていた。

ちなみに、二人は鎌倉にある東慶寺に共に眠っている。死後の住処を共にするほどの友情溢れる仲であったのだ。

P.S.2/27に彼らが眠る東慶寺の早朝座禅会に参加してきた。そこで、坐禅会の風景写真のモデルになった。更新後の、東慶寺HPも要チェックである。

鈴木 大拙
岩波書店
発売日:1940-09

鈴木 大拙
岩波書店
発売日:1997-04-16

西田 幾多郎
岩波書店
発売日:1979-10

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