成毛眞:本書は、おそらく世界中を見ても類書がまったくない、唯一無二の本。そのテーマからして他の追随を許さない、まさに「独走」状態の一冊だよね。であるからして、この本の最後に誰かがしたり顔して何か付け加えたって、蛇足もいいところで、むしろ本書の価値を落とすばかりだと思うんだ。そこで、われわれHONZが愛するこの世にも稀なる作品をせめて応援させてもらうため、代表と編集長による、おそらく本邦初の「対談式文庫解説」を敢行したいというわけです。
土屋敦:書評サイトのHONZが誕生するきっかけとなった、「本のキュレーター勉強会」の最初の集まりでもこの本が話題になりましたよね。もちろん東えりか副代表も熱烈に語っていました。今やHONZのエース・レビュアーの一人である村上浩は、最初、何を言っているのかわからず、「クーネル・ノ・グーソ」という名前のフランス人かと思ったという……。
成毛:ノンフィクションが大好きな連中があれだけ熱く語るということは、この本は、面白いノンフィクションの要素をすべて持っているということなんだよ。すなわち、テーマが意外かつ未知なもので、それを綴る文章には、読者を楽しませるエンターテインメント性があり、なおかつ、著者自身に圧倒的な個性がある。
土屋:この本、簡単に言うと、自然保護という高邁な思想を持った青年が理想に向かってつきすすむ、その半生記ですよね。それがなぜこんなことになってしまったのか(笑)。
成毛:屎尿処理場反対の運動を見て、その住民エゴに怒りを覚えるとともに、自分自身も水洗便所でウンコをしている以上、自然への加害者であると気づく。そして「自然保護を叫んでいる本人が、自分のウンコを自然のサイクルからはみ出させてどうする」と野糞へ邁進する、という流れだよね。
土屋:自己欺瞞を認識するのは素晴らしいですけど、普通は「だから野糞を」という発想にはならないですよ。
成毛:でも、伊沢さんは極めて常識的で、生真面目な人だと思うよ。しかし、若いころから潔いほど覚悟が決まっている。それが徹底してるゆえ、常識を突き抜け、結果、この本に描かれているようなめくるめく特異な世界が展開することになる。
土屋:たしかに常識人として逡巡する場面が結構ありますよね。しかし、自分の理想のため、躊躇しつつも一線を踏み越える。その描写がたまらないです。
成毛:恥じらいがあって、自分を客観視できているからいい。これが、ただただ突き抜けた変人が、野糞の素晴らしさをひたすら主張している本だったら、引いちゃうだけだよ。
土屋:その恥じらいに共感してしまう部分があるがゆえ、読んでいると、どんどんその世界に引きずり込まれていきますね。
成毛:うん。もう、形も色も、そして匂いもリアルに感じるぐらいね。だから、いつどこで読むか、よく考える必要がある(笑)。
土屋:文庫で加筆された部分で、著者が糞土を食べるじゃないですか。「すべてコクがあり、とくに九一日後の糞土では、ほんのり甘味さえ感じられた」とか書かれると、もう、「糞土食べたい!」とか思いますよね。
成毛:いやそれは思わない(笑)。ともあれ、この著者の、読者を存分に楽しませる態度とそれを支える文章力には目を見張るものがあるよ。
土屋:「エンタメ・ノンフ」(エンターテインメント・ノンィクション)の傑作というだけじゃなく、野糞の手法に関して極めて実践的に書かれていて、実用書としても役立ちますよ。
成毛:えっ、キミ、もしかしてすでに「インド式野糞法」を実践しているの!?
土屋:い、いや、まだその覚悟はないですけど、以前山里に住んでいたとき、まだ小さかった息子や娘と山道を散歩していると、どうしても「ウンチが出る〜」なんてことになるんですよ。そのときどんな葉っぱで拭けばいいかとか。
成毛:まるまる1章割いて、季節別に、葉っぱの使い心地を詳述しているからねぇ。
土屋:フキは思いつきますが、ヨモギやササが使えるとは目からウロコでした。
成毛:「ビロードのように柔らかい毛が裏面に密集し」(キウイ)、「肛門付近に爽やかな香りと爽快感が漂い、脱糞後の心地よさと相まって至福の境地だ」(ハッカ)、「肛門に吸いついてくるような特級品」(ヒマワリ)とか、表現がすごい。ソムリエか、って感じだよ。
土屋:あと、単行本を作ったデザイナーの岡本洋平さんや編集者が、野糞一直線の著者を抑えるどころか、一緒に突き進んでいるのも素晴らしい。章やページの数字は、どうみてもウンコを模しているし、単行本は、カバーも帯も見返しも扉も、わざわざ「バフン(馬糞)紙」という紙を使っています。あと、マキグソ型の帽子を被ってしゃがんでいる男の子のイラストが挿入されていますが、この子はフンド坊といって、天才漫画家といわれる小池桂一さんの手によるものです。ぼくは料理関係の仕事をしてますが、仕事でフォンドヴォーを作るたびにこのフンド坊の姿が思い浮かんでしまい、困っています。
成毛:そして、なんといっても野糞写真満載この袋とじ。これは出版界に燦然と輝く奇跡だね。「生ウンコ」の写真を載せたいという強固な著者の主張に対し、読者に配慮しつつ、遊び心を加味してきちん応えた編集者はすごい。文庫でもちゃんと袋とじにしてある。予算はアップするだろうによくぞやってくれたよ。
土屋:今回、この袋とじを編集者の方がpdfファイルで送ってくれたんですが、まさかパソコンのディスプレイであのネッチョリした生々しいやつを見ることになるとは……。
成毛:でも、これらの写真は、実は資料としても価値があるものでもあるんだよ。伊沢さんは、野糞をめぐって繰り広げられる生命の営みを調査する、いわば在野の研究者。これだけの長期間に渡る野糞の詳細な定点観測は世界的に類を見ないもので、本書はフィールド研究の歴史に残る研究であり、その論文ともいえる。後世の研究者がその真価を証明するかもしれない。
土屋:そんなすごい本だったとは……。その一方で著者には修行を重ねた高僧のようなイメージもあります。「命を返す野糞のよろこび」という「糞土思想」を持って、今の人間のあり方を厳しく問うてくる。「四七九三日野糞連続記録」なんて、比叡山の「千日回峰行」と同じ響きを持ってますよ(笑)。
成毛:伊沢さん、いったいどんな人なんだろう。ぜひお会いしてみたいね。ただ、実際に会ったら、握手をするかどうかしばし逡巡して、二人で顔を見合わせることになるかもしれないなぁ。
(この対談は文庫版『くう・ねる・のぐそ』の巻末に収録されています)