中西麻耶というアスリートをご存じだろうか。
彼女は2006年、テニスで国体を目指す最中、勤務先での事故で右膝から下を失う大けがを負う。だが退院後、障害者陸上に転向するや、瞬く間に日本記録を塗り替え、事故からわずか2年で北京に、そしてその4年後のロンドン・パラリンピックにも出場を果たした短距離のトップランナーである。
2014年12月現在、障害者陸上競技のT44(片下腿切断/全廃)クラスで100m走、200m走、400m走、そして走り幅跳びの日本記録をもつ。走り幅跳びの記録はそのままアジア記録でもあり、来たるリオ・パラリンピックではメダルの最有力候補と目されている。
そんな素晴らしい実力の持ち主だが、彼女はある“秘密”を抱えていた。それを一人で抱え込んだまま、そこから目をそむけるかのように自らの肉体を極限まで痛めつけて陸上競技に打ち込んできた。だが、彼女の心に刺さった棘は、少しずつ彼女の心を蝕んでいく。
障害者スポーツの世界は決して恵まれた環境にあるとはいえないのが実情だ。活動資金難に悩んだ彼女は、自身のセミヌード写真を載せたカレンダーを出版する。そのことが世間からの手酷いバッシングを引き起こす。「障害を売り物にしやがって」「いいよなあ、女は身体を売ることができて」──そんな誹謗中傷の言葉が幻聴として耳から離れなくなり、ついに彼女はうつ病を発症してしまう……。
本書は、類まれな才能をもった、だがそれゆえに不器用な生き方しかできない障害者アスリートが、心の病を発症し、そしてそれを克服して再起するまでの軌跡を描いている。著者は、雑誌の取材で偶然、彼女のことを知り、そして周囲の勧めもあって単行本化することにはなったものの、最初から彼女が抱えた心の闇について知っていたわけでも、それを書こうとしていたわけでもなかった。取材を重ねるうちに、「この人になら“本当のこと”を話せるかもしれない」と信頼され、打ち明けられたのである。
著者は彼女が隠し黙っていた事実に、ものすごい衝撃を受ける。その告白を聞かされた夜は、一睡もできなかったほどに。そして、それを活字にしてよいものか悩んだ末に、書くことを決意する。書くことで彼女が新たなバッシングを受ける可能性をも意識しつつ、書くことで彼女の心に刺さった棘を抜いてあげられることを期待して。
こうして生まれた本書『ラスト・ワン』──。スポーツ・ノンフィクションの体裁をとってはいるものの、そこに描かれているのは、陸上競技やスポーツという枠を越えた、一人の女性の壮絶な生きざまであり、読む者すべての心を打って止まないヒューマン・ストーリーである。
本稿で“秘密”の内容について明かすことはできないが、ぜひ、一人でも多くの方々に手に取って、ご自身の眼でお読みいただきたいと願う次第である。
書籍、ムック、雑誌編集部などを経て、2013年より現職。編集の現場をしばらく離れていたが、『ラスト・ワン』では原稿の熱さ、魅力に惚れ込み、久しぶりに取材や撮影、PRなどの実務も担当した。