『コカイン ゼロゼロゼロ』あまりにも凄惨な現実

2015年4月8日 印刷向け表示
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コカイン ゼロゼロゼロ: 世界を支配する凶悪な欲望

作者:ロベルト サヴィアーノ 翻訳:中島 知子
出版社:河出書房新社
発売日:2015-01-24
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コカインという白い薬物をめぐる本書は凄惨な事件から始まる。それはキキの物語だ。

キキの物語を語るには、まずこの男のことを知らなければならない。ミゲル・アンヘル・フェリックス・ガジャルド、通称〈エル・バドリーノ〉はメキシコで「コカインの帝王」と崇められた男だ。今も〈エル・バドリーノ〉の時代もコカインの一大生産地はコロンビアだ。しかし、コカインの大量消費国アメリカにコロンビアは遠すぎる。また当時、コロンビア国内ではカリ・カルテルとメデジン・カルテルがコカインの密売ルートの支配をかけて抗争を繰り返し、力を失いかけていた。さらにメデジンの伝説的な首領パブロ・エスコバルは米連邦捜査局(FBI)の買収に手間取り、膨大な量のコカインを摘発され、窮地に立たされていた。

エスコバルは、アメリカとの国境線を支配する〈エル・パドリーノ〉に助けを求める。二人は意気投合し、共にビジネスを始める。警察官から転身し、既存のカルテルのボスを次々に潰して、強大なカルテルを作り上げた〈エル・パドリーノ〉は強かに理解していた。商品の流通経路を支配する者が、いずれは生産者を陵駕することを。かくして〈エル・パドリーノ〉は帝国築く。

〈エル・パドリーノ〉の側近、カロ・キンテロは一人の有能な刑事と親しくなる。それがキキだった。彼がアメリカとの国境沿いの町まで荷物を滞りなく運ぶよう手配する。カルテルはキキの手腕に大きく依存するようになり、キキは〈エル・パドリーノ〉やカロ・キンテロから厚い信頼を勝ち取る。しかし、次第に警察や軍から激しい襲撃や押収を受けるようになる。警察や政治家をも買収していた〈エル・パドリーノ〉は困惑する。これらの一連の事件には米麻薬取締局(DEA)の影がちらつく。情報が漏れている。組織の中にネズミが紛れ込んでいるのではないか。〈エル・パドリーノ〉は徹底的に裏切り者を探し出す。

遂にその時がきた。キキの正体がばれたのだ。DEAの潜入捜査官であったキキは拉致される。彼に加えられた拷問は凄まじかったようだ。鼻をへし折る事から始まり、睾丸に導線を繋ぎ電気ショックを与える。頭にビスをねじ込み、焼けた鉄の棒を肛門から直腸に刺しこむなど、凄惨を極めた。〈エル・パドリーノ〉に報告するために拷問の音声がテープに録音され残されていた。あまりの惨さに、この証拠テープを最後まで聞けた裁判官はおらず、一部を聞いた裁判官たちも何週間も不眠に悩まされたという。

キキの正体を漏らしたのは、メキシコ警察の警官であった。〈エル・パドリーノ〉はメキシコ政府高官をも買収し味方につけ、アメリカの追及をかわしていく。

〈エル・パドリーノ〉はその後も帝王として君臨したが、その帝国を配下のカルテルに分割統治させることにする。そして自身はその力のバランスの上に皇帝として君臨するつもりであったという。しかし、その構想は実現しなかった。仲間を殺されたDEAはあきらめなかったのだ。〈エル・パドリーノ〉は、今は刑務所の中だ。

絶対的な支配者を失ったメキシコの麻薬カルテルは〈エル・パドリーノ〉が編み出したビジネスのシステムを継承しながらも、麻薬流通の支配権をめぐり抗争を繰り返すようになる。メキシコ麻薬戦争の始まりである。

著者はコカインに関わる人物の人生を丹念に描くことにより、国家権力が薄弱な世界でどのような力が台頭し、どのようにそれらが振る舞うかを描き出す。

戦いは白熱し、ついには軍の特殊部隊員の一部がロス・セタスというカルテルを結成するにいたる。麻薬戦争は単なるチンピラの抗争ではなく、凄惨なプロの殺し合いへとエスカレートしていく。さらには市民を無差別に殺傷し、恐怖による絶対支配を確立していく。その様子を読むと背筋が寒くなると同時に、マックウェーバーの“国家とはある一定の領域内部で正当な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体である”という言葉の意味を改めて噛みしめてしまう。

また、軍の特殊部隊のメンバーを中核とするセタスなどのカルテルに兵力を供給しているのがグアテマラの特殊部隊「カイビル」だ。グアテマラの内戦の際に設立されカイビルの残虐さは、現役の特殊部隊員でさえ戦慄を覚えるほどだという。

グアテマラに平和が訪れ際に、軍では大幅な人員削減が行われた。その際にカイビルの隊員の多くが軍を去ることになる。だが、職業人として最も貴重な青年時代を、殺戮マシーンとなるよう訓練され、数々のレイプや拷問、大量殺戮を繰り返してきたカイビルの隊員たちは、除隊後に、ありふれた市民生活などできるはずもなかった。

著者は「残虐性は習得されるものだ」と喝破する。人間性を捨て去るよう訓練され、残虐性を習得した元カイビルの兵士たちは、新たな戦場を求めた。一部は麻薬戦争に身を投じ、メキシコの大地を血で染め、ある者はアメリカの民間軍事会社に雇われ、中東で殺戮を繰り返す。民間軍事会社の件は、作品社から出版された『ブラック・ウォーター 世界最強の傭兵企業』に詳しいので、興味のある方はそちらをお勧めする。

本書の後半はイタリアを中心に、西欧の麻薬ビジネスを仕切る犯罪組織ンドランゲタと、彼らと中南米のカルテルを取り持ち、国際的な麻薬密売網を築きあげる、2人の麻薬ブローカーの物語へと軸足を移していく。

キキは気づいていた。エスコバルや〈エル・パドリーノ〉が築き上げた帝国とビジネスモデルは、かつてのギャングやマフィアとは違うという事を。それはまさに闇のグローバル経済とも呼べる、もうひつの地球規模の経済活動だ。私たちとて、この経済に無縁ではない。大量の資金が、この闇の経済から、表の経済にマネーロンダリングを介して流れ続けている。大手銀行ですら、この血と白い粉にまみれた金を、それと知りつつも黙認し、表の経済に流しづけているのだ。世界の経済は、もはやコカという植物から生み出される、白い原油なくしては回らないと著者は言う。

国家による暴力の独占の失敗から生まれた麻薬カルテルは、国家の中の国家と化し、訓練された残虐性を行使し社会を支配する。そして、その金が先進国経済の原動力となっている姿を知ると気分が沈み込む。

なぜなら、本書の前半では、いくつものカルテルがらみの残虐事件が、鼻孔に血の匂いがこびり付く感覚におそわれるほどの、巧みな文章で描写されているからだ。(バスを襲撃したセタスが乗客に剣闘士ばりの殺し合いを強制し、勝ち抜いた者を強制的に構成員する。あるいは、麻薬撲滅活動をしていた神父の手足の指と性器を切り取り、本人に食べさせた。など、悲惨な話が山のように記載されている)私たちは彼らの血だまりの上に立っている。しかし、だからこそ、私たちはこのシステムから目を逸らしてはいけないのだろう。

エスコバルと〈エル・パドリーノ〉が80年代に築き、運用したシステムは今の私たちの社会を大きく規定している。著者はその影響は、レーガンとゴルバチョフの推し進めた政策より大きいと言いきる。この社会の深部に広がる闇を是非、本書で確認して欲しい。
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出版社:河出書房新社
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