『その科学が成功を決める』、『その科学があなたを変える』などの著作で知られるリチャード・ワイズマン博士の新作である。幸運、自己啓発、錯覚、説得など心理学に関する研究を続けてきた博士が今回選んだテーマは「睡眠」。なぜ急に睡眠? と思われたかもしれないが、理由は後ほど。
ワイズマン博士の著作は、豊富な実証的研究が盛り込まれているのが特徴だ。本書でも、睡眠メカニズムの堅苦しい解説ではなく、実際に行われた実験の結果を列挙し解説していくスタイルが貫かれている。
何かとやってしまいがちな睡眠不足だが、時に取り返しのつかない事態を招くこともある。スリーマイル島原子力発電所の事故、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故、チェルノブイリ原子力発電所のメルトダウン。睡眠不足が深刻な事故に結びついた例は決して少なくない。
だが重大事故を持ち出すまでもなく、些細な睡眠不足が危険につながることが実験によって示されている。引き合いに出されるのは、2003年にワシントン州立大学で行われた研究だ。その内容は3、5、7、9と被験者を睡眠時間ごとにグループに分け、機敏さを調べるテスト(コンピュータ画面を眺めながら、いくつか点が見えたらすぐにボタンを押す)を行いつつ2週間のあいだ研究室で過ごしてもらうというもの。
驚くべきことに、7時間眠った人でもほんの数日間で注意力が大幅に低下し、テストの結果も悪くなった。さらに3時間や5時間睡眠の場合と違って体は元気なので、脳の活動の低下に気づいていないことが多かった。もし車を運転していた場合、こうした自覚なき睡眠不足は致命的だ。アメリカでは強い眠気が原因で毎年10万件以上交通事故が起き、うち1500件が死亡事故につながっている。
特に恐ろしいのが、両目を開けたまま脳が眠り、数秒間意識を喪失する「マイクロスリープ」という症状だ。2012年に行われたある実験では、32時間眠らずに慢性的な睡眠不足状態をつくり、器具をつけて脳の活動を測りながら運転した結果、運転中に20回以上もマイクロスリープが観測された。もちろん本人に自覚はない。
予防のためには、何よりもしっかりと寝ることだ。本書では快眠の秘訣も豊富に書かれる。「肉体よりも頭脳を使ったときのほうが眠くなる」「悩みがある時はベッドサイドにメモを用意し、自分が今抱えている問題とその解決方法を書くと寝つきやすい」「楽しいことを考えると寝つきやすい(楽しすぎて興奮するのは逆効果)」など、様々なコツが実証的研究の結果とともに紹介される。「自分に必要な睡眠時間を知る方法」「時差ボケ予防法」「いびき対策」なども役に立つだろうし、「赤ちゃんと同じベッドで眠るべきか」「赤ちゃんはなぜ一日中眠るのか」など子育てに関する話も興味深いものが多い。
中でも印象に残ったのが、昼寝の効用だ。昼寝は頭が冴えて仕事がはかどるだけでなく、健康にも良い影響をもたらす。20歳から80歳までの成人2万人以上に対して6年がかりで行われた調査によると、年齢や肉体的運動量を考慮しても、週に最低3回30分昼寝をしている人は心臓病で死亡する割合が37パーセント低かったそうだ。
真面目でためになる話以外にも、摩訶不思議で奇妙な話がたくさん出てくる。実際に見たことはないのだが、夢遊病者の行動は想像を超えていた。夜中に寝たまま裸で芝刈りをするなんていうのはまだかわいい方である。高さ40メートルのクレーンの上で眠る少女がいたかと思えば、17歳の少年が夢遊病で4階の窓から足を踏み外し、アスファルトに落下して腕を折っても目覚めなかった例もある。
もし夢遊病を発症した人に出会ったら、いきなり起こそうとしたり体に触れたりしてはいけない。極端な例ではあるが、起こそうとした人が夢遊病者に銃で撃たれたり、ナイフで刺されて殺されたりという悲劇も起きている。穏やかに相手の名前を呼び、落ち着かせるような言葉をくり返すのが身のためだ。
さらに別の症状で、「夜驚症」というものもある。自分の身に重大な危険が迫っていると信じ込み、そのように行動してしまう症状だ。巨大な蜘蛛や恐ろしい侵入者、幽霊などの空想に支配され、当人は眠った状態のまま突然起き上がり、目を大きく見開き、叫んだり激しくつかみかかったりする。数分で終わったあとすぐにまた眠りに落ちるそうだが、この現象が起きている時の心拍数は1分間に160以上になるというから相当なストレスである。
他にも効率的な睡眠学習の方法、夢が持つセラピー効果、明晰夢(夢を見ている自覚のある夢)を見る方法など、著者の繰り出す話題は幅広い。睡眠本によくある難しい用語の羅列とは無縁で、読んでいて眠くなることがなかった。訳者あとがきに「睡眠百科」という表現が出てくるが、本書を最もよく表している言葉だと思う。
心理学の研究者である著者がなぜそこまで調べ上げるのか。それは、彼自身が数年前に夜驚症を発症したからだ。眠りに落ちた直後に冷や汗をかいて目を覚まし、部屋を見回すとクローゼットの前に悪魔が見えたという。実体験からくる切実さを考えれば、著者が紹介する研究にデタラメなものが混じっていないことは容易に想像できる。
睡眠という個人差の大きい領域だからこそ、多様な研究を知って視点を増やすことの意義は大きい。満足に眠れている人もそうでない人も、本書の数ある実験結果を参考に、自分にとって理想の睡眠を追求してみてはいかがだろうか。
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