本書は、アメリカのジャーナリスト、マッケンジー・ファンクが6年の月日をかけ、24か国とアメリカの十数州を回って書きあげた力作ルポルタージュ、『Windfall』の全訳だ。
巻頭のカラー写真を見るだけでも、著者の取材がいかに多岐広範に及ぶかがうかがわれよう。本書は気候変動(地球温暖化)を取りあげるが、それ自体が主役ではない。気候変動が起こっているという確信が深まれば、それを阻止する本格的努力がなされるという考え方は、どうやら幻想にすぎなかったようで、人類は気候変動を早急に止めそうにない。
それでは私たちはいったい何をしているのか――それを探り、その過程で人間の本性をあぶり出すことこそが、本書の主眼であり、その結果は図らずも、自己保存と目先の利益を追い求める、「共有地の悲劇」と、いわゆる「現在志向バイアス」の物語となった。
気候変動ほど大規模で普遍的な出来事が、悪いことばかりであるはずがない。そこには途方もないビジネスチャンスがある。本書をお読みになった方は、その大きさと多様性に驚かれたかもしれない。これまで、気候変動のこの「カネ」にまつわる側面が、これほどまとまったかたちで日本に紹介されたことは、おそらくなかっただろうから。
気候変動関連ファンド(じつは、クリーンテクノロジーやグリーンテクノロジーよりも、むしろ温暖化が進んだときに業績が伸びそうな企業を重視)、氷が解けて開ける北極海の航路とその領有権、やはり氷が解けることでアクセス可能になる地下資源(北極海やグリーンランドなどの石油、天然ガス、鉱物資源など)、人工雪製造、淡水化プラント、火災やハリケーンなどの保険、営利の民間消防組織(保険会社と提携し、料金を支払う人だけを守る)、水供給ビジネスや水利権取引、農地獲得(豊かな国や企業が、21世紀最初の10年間で日本の面積の2倍以上を確保)、難民の流入防止や拘束、護岸壁や防潮堤、浮遊式の建物や都市の建設、バイオテクノロジー(病原体を運ぶ蚊の駆除や遺伝子組み換え農作物など)、気候工学の応用(人工降雨、太陽光を遮る成層圏シールドなど)……。
人間の創意工夫と抜け目のなさには舌を巻くばかりだ。そして、これらが温暖化の対策となるのなら、ビジネスチャンスを活かして儲けてなぜ悪いのか? それは、そこに「不公平」があるからだ。多くの場合、儲けを手にしたり恩恵を受けたりするのは、もともと豊かで、そもそも温暖化に大きく貢献している人々であり、そのしわ寄せを受けるのは、もともと貧しく、そもそも温暖化にはたいして寄与していない人々であるという、いわば「加害者」と「被害者」の構図が存在するのだ。そこに「気候変動に関してもっともつらい真実」がある。
日本はどうかといえば、「加害者」の側にあることは間違いなさそうだ。
国際エネルギー機関が2013年に発表したデータを見ると、日本の二酸化炭素排出量は年間13億1100万トン(世界第5位)。1人あたり10.3トン(世界第21位)で、アメリカ人の半分程度ではあるが、気候変動の深刻な被害を受けているバングラデシュ人の30倍以上だ。
日本は食料の自給率が低いので、国外の農地に大きな負荷をかけている。そして、食料輸入にあたっては、輸送のために燃料を消費しており、当然、そこから熱や温暖化ガスが出る。
日本は水が豊かな国だと思われているが、じつは、近年は減少傾向にあるとはいえ2014年には3億4000万リットル以上のミネラルウォーターを輸入している。それだけではない。農業では水を大量に使うので、日本は食料を輸入することによって、外国でも間接的に水を消費している。たとえば、「小麦を1グラム輸出するのは、水を1リットル輸出するのに相当する」という本書の記述を当てはめれば、2013年の輸入量(約560万トン)は、5兆6000億リットルに相当する。また、日本の輸入品(農産物と工業製品)のために使われる水は、国内での使用量全体(約830億トン)にほぼ匹敵するという。
ところが日本の場合、「被害者」となる展開も予想されるから、事態はなおさら深刻だ。
海面が上昇すれば、土壌の塩性化、水没、洪水、高潮、津波などの害を受けやすくなる。日本は多くの主要都市が海辺にあり、国土のうち、いわゆる「ゼロメートル地帯(標高1メートル未満)」の土地面積は0.6%ほどだが、居住人口は300万人を超え、5メートル未満には人口の15パーセント以上が、100メートル未満にはおよそ8割が住んでいる。海岸線の長さは、なんと世界第6位で、日本の面積の約25倍のアメリカ(第8位)や約20倍のオーストラリア(第7位)をも上回る。
食料自給率に関しては、農林水産省の推計によると、生産額ベースでは直近は64パーセント、カロリーベースでは39パーセント(2011年)でしかないという―世界人口が増加の一途をたどり、食料確保が大問題となっているというのに。温暖化によって国内の農業生産に影響が出るのは必至で、デング熱やマラリアといった病気の発生、異常気象現象の多発も懸念される。本書にも出てくるメイプルクロフト社が2010年に算出した気候変動脆弱性指数では、日本は170か国中86位で、中国(第49位)、ブラジル(第81位)などとともに「高リスク」と評価されている。
さて、本書はルポルタージュという性格上、著者の見聞が淡々と紹介されていく。著者はあえて「加害者」を糾弾することもなければ、具体的な解決策を提示することもない。だがそれは、著者が無見識、無節操、無責任だからではない。著者は自らも「加害者」側の一員であることを自覚しつつ、事態を冷静に大局的に眺めている。そのうえで「不都合な真実」を提示して、自らにも、読者にも、地球温暖化について、さらには人間の本性や正義の問題について、考えるよう促すことを目指しているのだ。本書がその発端となれば、著者の目的は十二分に果たされたこととなるだろう。そしてその延長線上に、「公平」な解決策の立案と実現があるならば、これほど素晴らしいことはなかろう。
2016年2月 柴田 裕之