『一流の狂気』心の病が危機を救う

2016年3月19日 印刷向け表示
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一流の狂気 : 心の病がリーダーを強くする

作者:ナシア・ガミー 翻訳:山岸 洋
出版社:日本評論社
発売日:2016-02-29
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「理想のリーダー像」をめぐる議論は、いつの時代も絶えることがない。局面によって「理想」の中身が異なることからしても、答えのない問いだと言えるだろう。そんな中、意外な角度からこの話題に一石を投じる人物が現れた。

精神科医である著者は、政治や軍事、ビジネスといった分野のリーダーに着目し、「危機の局面においては、うつや双極性障害、統合失調症などの精神障害を持つ人の方が、リーダーとして優れている」という大胆な仮説を打ち立てる。本書はそれを、精神医学の観点から裏付けていこうする野心的な一作だ。

精神疾患を持つリーダーとして、南北戦争の北軍将軍であるウィリアム・シャーマンやCNN創業者のテッド・ターナー、他にはチャーチル、リンカーン、ガンディー、キング牧師、フランクリン・ローズヴェルト、ケネディといったリーダーたちが取り上げられる。疾患の種類や症状の程度はそれぞれ異なるものの、精神障害によってもたらされた能力が危機を乗り切ることにつながったという点で彼らは共通しているという。

躁病やうつ病などの精神疾患によってもたらされるプラスの能力として、著者はリアリズム、レジリエンス、エンパシー、クリエイティビティの4つを挙げ、これらの要素が危機の時代のリーダーとしての能力を後押しするとしている。

とはいえ注意すべきなのは、個々の要素と疾患との結びつき方がそう単純ではないという点だ。著者によると、うつでは4つの要素がすべて認められる。躁の場合はクリエイティビティとレジリエンスの2つが見られる。そして、躁とうつ両方の病相をもつ人、すなわち双極性障害をもつリーダーは、うつだけを持つリーダーよりもさらに多くの有利な特性が認められる傾向にあるそうだ。一方で、躁とうつ以外の精神疾患、例えば統合失調症や不安障害では、レジリエンス以外の3つの特性は証明されていないというから複雑である。

精神障害の有無を判断するにあたって著者は、「症状」、「遺伝(家族歴)」、「疾患の経過」、「治療」に着目する。それら4つの観点から過去の文献や記録文書をひも解き、その人物がどのような精神疾患を、どの程度患っていたのかについて考察を進めていく。

例えばチャーチルの場合、自身も隠さず述べているように何度か重いうつ状態の時期があり、うつの症状が収まった時には一転して「気難しくて、攻撃的な人」になった。チャーチルの友人らは、「自信の絶頂にいるか、ひどいうつの底にいるか」、「あの人には、ちょうどいい加減っていうものがないんだよ」などの記述を残している。チャーチルを直接知っている、もしくはチャーチルの研究をした多数の医師たちは、チャーチルはおそらく循環気質(双極性障害と関連することが現在分かっている)だったと口を揃えて述べている。こうした点から、チャーチルの「症状」は、軽躁と重いうつが交代にやってくる「双極Ⅱ型障害」の定義を満たすと著者は言う。

また、「遺伝」についても、躁や精神病性の状態を引き起こすことのある神経梅毒に罹っていた父のランドルフ卿、うつエピソードを経験し最終的に自殺を遂げた娘のダイアナ、重篤なうつエピソードが複数回あった従弟などに触れ、チャーチルの親族には重症うつ病への家族的素因があったことが書かれている。

20代初めのキューバ滞在時や30代半ばの内務大臣時代、海軍大臣だった41歳の時、そしてその後も数度、チャーチルのうつは反復して起こった。よって「疾患の経過」という面でもチャーチルの精神疾患は認められる。また、抗うつ効果のあるアンフェタミンの投与という「治療」の事実もあった。

著者はこうしたアプローチでうつ病の存在を裏付け、ナチズムに対して現実的な評価を行い、第二次世界大戦における英国の危機を乗り越えたチャーチルのリーダーシップの背景には、精神疾患による「リアリズム」があったと結論づけている。もちろん、それ「だけ」が要因だったと述べている訳ではない。持ち前の明晰な頭脳や強い勇気が影響していたのは言うまでもないことだろう。

だが、社交的でエネルギーに満ち、多忙な政治活動の合間を縫って生涯で43冊もの著作を残すようなバイタリティをもたらす躁状態が見られる一方で、うつ状態の際には何度も死に直面してきた「絶望の人」でもあるなど両極端を揺れ動いてきた人物が常人には真似できないようなリーダーシップを発揮したというのは、つながりとして何だか「ありえる」話ではないだろうか。

精神疾患に注目すると、リーダーの内面がより人間味を帯びて浮かび上がってくる。それは本書で書かれる他のリーダーたちについても同様だ。大きな功績の裏にある不安定なメンタルを垣間見ると、「リーダー」という言葉に対するイメージも変わっていく。

さらに興味深いのは、診断の上で「正常」とされるリーダーについても掘り下げている点だ。例えばチャーチルとの比較としてチェンバレンが挙げられる。彼は大臣時代に多くの改革法を実施し、英国経済を成功に導いた功労者と評価されたこともあるなど「平時」においては優れた政治家だった。だが、周りから「正気の人」と見られていたチェンバレンはナチスドイツへの宥和政策を主張し、「不安定」とされていたチャーチルが結果的には英国を大戦時の危機から救った。

他にもリチャード・ニクソンやジョージ・W・ブッシュ、トニー・ブレアといった人物が挙げられ、平時にはうまくいっていたリーダーが、危機には対処できなかった例が次々と書かれていく。中には一見「異常」だと思われているリーダーもいるが、実は精神疾患はないことを著者は様々な角度から指摘する。ここで強調しておきたいのは、著者は平時においては「正気の人」がリーダーに向いていると考えており、決して精神障害に秘められた能力を絶対視している訳ではないということだ。

書き終わる前に、著者の解釈の信憑性についても触れておこう。確かに少々強引な印象を受ける部分もある。だが、「精神病理学的状態とリーダーシップとの間の直接の関係について私たちがなんらかの推論をしようとするならば、不確実性という要素はつねに伴ってくる」と書かれているように、過去の人物の動機や意図について証明することは厳密に言えば不可能だ。訳者あとがきにも書かれている通り、「純粋な好奇心」のもとに読んでいくのが、精神医学の素人である多くの人にとっての本書の楽しみ方だろう。

思い切った解釈はあるものの、精神障害の苦しさやつらさを脇に置き、読む時の「面白さ」を優先するような書き方はされていない。未治療のうつ病や双極性障害は危険であり、重症の患者はすべて治療を受けるべきだときっぱりと述べられている。その上で、特に軽度のうつ病の場合には「無条件での治療という考え方の先にあるものをみる努力もすべき」だと著者は言う。大胆な主張を打ち出しながらも、書かれ方は全体的に慎重で、内省的だ。

そもそもの主張が尖っているだけでなく、精神医学と歴史学という、「解釈」の比重が特に大きい分野を掛け合わせたアプローチである。「トンデモ」と「知的冒険」の間をさまようのは、ある意味仕方がないことなのかもしれない。「確かに分かっていること」を淡々と説く本の大事さは改めて言うまでもないだろう。それでも本書のように、大胆な仮説を掲げ、冒険的に裏付けを進める本ならではの魅力というのも間違いなく存在する。本書に抱く印象と、危機のリーダーたちが持つ歪みや力強さはどことなく重なる気がした。

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