本書が発売されるにあたり、本人はこう言ったそうだ。
買うな! 退屈な本だ!
しかしこの発言こそが、より一層の好奇心をかき立て、最強の宣伝文句になってしまう。今、世界で最も耳目を集め、あらゆる面で逆説的な男、それがドナルド・トランプだ。
先日行われた、大統領選の2回目のテレビ討論をご覧になられた方も多いことだろう。人の質問にきちんと答えない、変なところに立つ、相手を恫喝する。その目を覆わんばかりの光景は、まるでドラえもんにおける「ジャイアン・リサイタル」のようでもあった。ならば、このジャイアンとは、いやトランプとは一体何者なのか?
マンハッタンを制覇した青年実業家。アトランティックシティを再興し、あらゆるものを金メッキで覆った不動産開発業者。「高視聴率男」を自称するエンターテイナー。そして60年以上ぶりに公選職の経験がない人物大統領候補。本書は、そんなトランプに関する様々な顔を時系列で追いかけ、その正体を徹底的に明らかにしようと試みた一冊だ。
執筆したのは、調査報道の雄として知られるワシントン・ポスト紙のジャーナリスト達。討論会の直前に、10年前のトランプの「卑猥な会話」がずいぶん話題になったが、これも彼らの手によってすっば抜かれたものだ。
20人以上にも及ぶ腕利きの精鋭軍団達によって丸裸にされていくトランプの過去を知れば知るほど、これまでの、そしてこれから起こるであろうトランプのスキャンダルも、当然の帰結として受け止められるようになるだろう。
それを裏付けるように、冒頭から知られざるエピソードが次々に明かされていく。マンションに黒人を入居させなかったとして、人種差別罪で訴追されたこと。マライヤ・キャリーやダイアナ妃と「やりたい」と公言して憚らなかったこと。二度離婚し、伴侶とは「秘密保持契約」を交わしていたこと。三度目の結婚式にはヒラリーを招待し、最前列で出席していたこと。
むろん、「卑猥な会話」騒動のきっかけになった番組「アプレンティス」についての記述も抜かりはない。この番組を通じて、有能で自信に満ちたホスト、権威を行使して即座に決断するボス、というトランプのキャラクターを磨き上げ、それをアメリカ中の人に深く浸透させた。それが、政治家への重要な架け橋になったというから、世の中分からない。
ならば気になるのは、このようなトランプの人格を形成するに至った直接的な要因が何なのかとということだ。彼の逆境を逆境とも思わない、ポジティブな思考様式は、不動産ビジネスを営んでいた父フレッドからの影響が大きいようである。
一方、攻撃的な性格は、かつて政府内で赤狩りを指導していた弁護士ロイ・コーンに由来する。人種差別訴訟の際には、彼らはすぐに1億ドルの賠償を求めて政府を反訴するという奇策に出たわけだが、その時に「くたばれ」と言い放ったコーンの気概をトランプはえらく気に入ったそうだ。その時に「攻撃されたら、容赦なくやり返す」ことを、実地で学んだのだ。
しかしそれでも、はじめは泡沫候補と思われていたトランプが、大統領選の選挙戦術において誰よりも確実に成果を出してきたことは、まぎれもない事実なのである。要は、ただのジャイアンではなく、戦略的なジャイアンなのだ。その戦略性に関する記述も、知れば知るほど興味深い。
トランプによる最大の戦略は、大統領選における既存のルールを徹底的に無視するということから始まった。全国各地で遊説を始めると原稿を読むということを完全に放棄し、用意された原稿はアウトライン程度にしか考えなかったという。だから即興の発言で繰り広げられるのは、覚えやすいセリフ、誤ったファクトとナルシストじみた虚勢のみ。
それでも悪名は無名に勝り、建前を凌駕する。TVの視聴率を稼ぐときと同じようなスキャンダラスな手法で、トランプは全国のニュースを席巻する。それゆえに、5人の熱心な有給スタッフを中核にするメンバーとしては考えられないほどの露出を実現させることができたのだ。
さらに「左と右」というイデオロギーや、「民主党と共和党」という政治概念が変わりゆく時代も、彼に加勢した。だがそれは決して偶然起こったことではなく、国民の多くが不満に思っていることを嗅ぎつける特有の勘によるものであったという。
イデオロギーを嫌悪し、「思想」より「気分」を重視し、特定の人々や集団を侮辱する。それでも「普通のアメリカン人」的な言葉はよく届き、トランプは選挙戦についての予想を、ほぼすべて覆した。政治の門外漢というトランプの立場が、有権者が既存の政治にどれだけ不満をいだいているかをはっきり示し、爆発的な人気を呼んだのである。
古臭く、悪趣味なようにも思える彼の戦略の革新性とは、「誰にもマネの出来ない」という点に尽きるだろう。人格と戦略が完全に一体化しているために、模倣もアウトソースも難しい。単なる炎上マーケティングとも一味違う。ブレまくるということで常に一貫性をもち、予測不可なことだけが確実に予測でき、ネガティブな反応もなぜかパワーの源に変わってしまう。こんな敵役が、かつて存在しただろうか。
ドナルド・トランプ、彼には新聞報道やネットのニュース記事ではなく、評伝としてのノンフィクションが、とてつもなくよく似合う。そしていつか書かれるであろう最終章には、大統領への夢が破れてもなお、強がった発言で世間を賑わす彼の姿が記されていて欲しいと、心の底から思っている。
お面にした時の面白さは、ヒラリーがやや優勢か。
ジャイアンとトランプ 、奇跡のコラボレーション。ただし、あっちのトランプの方…。