『吃音 伝えられないもどかしさ』誰にでも居場所がある社会をつくるために

首藤 淳哉2019年02月15日 印刷向け表示
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吃音: 伝えられないもどかしさ
作者:近藤 雄生
出版社:新潮社
発売日:2019-01-31
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自分が体験したことがないことを想像するのは難しい。
かつて我が身に降りかかってきたことや、常日頃から感じていることなどをもとに他者に共感することはできるが、体験したことがなく、ましてや関心すら持ったことがないことについては、なかなかイメージすることができない。

だが本書はあなたに驚くべき体験をもたらすだろう。
この本を読み終えたあとは、世界の見え方が変わるはずだ。これまで見えなかったものが見えるようになり、気がつかなかった人々の存在に気づくことができるようになるはずだ。

あなたがこれまで想像もできなかったこと。
それは、世の中にはうまく言葉を発することができない人がいる、ということだ。耳は聞こえ、声を出すこともできるのに、言葉が詰まってしまい、なめらかにつなげていくことができない人々のことである。「吃音」と呼ばれる症状だ。

吃音を発症するのは、幼少期の子どもの約5%、およそ20人に1人と言われる。このうち8割くらいは成長とともに自然に消えるが、それ以外は大人になっても残る。日本では100万人ほどが吃音の問題を抱えているとみられる。

本書は、自らも吃音に悩んだ経験を持つ著者が、同じ問題を抱えるたくさんの人々が懸命に発した“言葉”に丹念に耳を傾けたノンフィクション。当事者のデリケートな内面が繊細な手つきで掬い上げられ、誠実にまとめられた一冊だ。

多くの人は吃音の問題を軽く考えがちである。「緊張して上手く話せないことは自分にもある」とか「誰だって話していて噛むことがある」などというように、日常でよくある場面と結びつけてとらえがちだ。だが吃音はそういうものとはまったく違う。

ある言葉を言おうとすると突然、喉や口元が硬直し、どうしても動かなくなってしまう。その結果、「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは」のように繰り返す「連発」や、「ぼーーーくは」などと伸ばす「伸発」、「……(ぼ)くは」のように出だしの音が欠けてしまう「難発」といった、さまざまな症状となって現れる。

考えてもみてほしい。誰かと話をしている時に、あるいは会議で発言している時に、なんの前触れもなくその症状が現れるのだ。著者は吃音になった状態を「鍵がかかったドアを必死に開けようとする感覚に近い」と表現しているが、その恐怖心たるや相当なものだろう。

本書に登場するのは、吃音のために大きな困難に直面している人々だ。就職面接を受けても落とされてしまったり、研修で話し方を改めるよう同僚の前で叱責されたり、あるいはそれらをなんとか乗り切ったとしても、職場では話すのが怖くて電話をとることができなかったり……。吃音を抱えていると社会生活のあらゆる場面で差し障りが生じてしまう。

追い詰められたあげくに、死を選んでしまう人もいる。
本書で紹介されているエピソードは、どれも安易に要約したくないものばかりだ。だからこそ、ひとりでも多くの人にこの本を読んでほしいのだが、一言だけ付け加えておくなら、ぼくはこの本を読みながらなんども目頭が熱くなった。そして「優しい人ばかりが死を選んでしまう社会なんて間違っている!」となんども叫びたくなった。

ラジオの仕事をしているおかげで、これまでたくさんの人の話に耳を傾けてきた。この小さな文章でぼくに出来ることがあるとすれば、話を聞く側の心構えのようなものをみなさんにお伝えすることかもしれない。

あれは新人記者だったときのことだ。初めてインタビューを録ってきて先輩に聴いてもらった時に言われたことが忘れられない。先輩は1分も聴かないうちに「ダメだこりゃ」と苦笑した。そしてこう言ったのだ。
「あのな、人の話を聞くときは、余計な言葉を挟むな。ただ待て。そしてその人がなにか言ったら、目をみながら無言で頷け。それだけでいい」

今ならその先輩の言ったことがよくわかる。ぼくはインタビューをしながら、相手が言い淀んだことに「それはつまりこういうことですか?」などと言い、「それで?それで?」とたたみかけるように合いの手を入れていたのだ。人に話を聞かせてもらいながら、相手の言葉に耳を傾けることなく自分本位のインタビューをしていた。まったくもって最低な聞き手だった。

事故や災害の現場では、言葉を失った人たちと出会うことが珍しくない。
人はある日突然、言葉を失ってしまうことがある。
そのことをぜひ覚えておいてほしい。

昨年、『幻を見るひと 京都の吉増剛造』という映画を観た。
吉増剛造といえば現代詩の巨人だが、彼は東日本大震災を目にして以来、まったく詩が書けなくなってしまう。詩人なのに言葉を失ってしまったのだ。この作品は、吉増が詩の言葉を取り戻すまでを追ったドキュメンタリーである。吉増はただひたすら先人の書いた詩を小さな文字で筆写することを繰り返す。そしてびっしりと文字の記された紙を絵の具で塗りつぶす。まるで箱庭をつくっては壊すかのような、何かの病が治癒するプロセスを観ているかのようだった。

吉増はこうした行為を繰り返し、そして京都の自然が持つ力も借りながら、少しずつ言葉を取り戻していく。身体の奥底から言葉を発するというのは、かくも大変なことなのかと思い知らされる作品だった。

日常生活で何不自由なく話すことができているとなかなか実感できないかもしれないが、言葉を発するという行為は、私たちが思っている以上に、繊細で危ういバランスの上に成り立っているものなのだ。ぼくやあなたも、ある日突然に言葉を失うかもしれない。なめらかに話せなくなるかもしれない。

だからもしも吃音を抱えた人が目の前にいたら、どうか思い出してほしい。
余計な言葉を挟まないで。せかさず、さえぎらず、言い直したりしないで。
その人の目を見て、あなたの話は伝わっているよ、と気持ちを込めて頷いてあげてほしい。

幸い本書には希望も記されている。昔に比べると吃音に対する研究も進み、少しずつだが法律によるバックアップ体制も整いつつあるという。だがまだまだ十分とはいえない。吃音を持つ人をサポートする言語聴覚士や言友会などの存在はもっと広く知られるべきだし、なによりも吃音を抱えた人も自由に人生を選択できる社会にしていかなければならない。

心優しき人が死を選んでしまう。そんな悲劇はもうこれで終わりにしよう。どんな人にも居場所があるような社会をつくるために。ひとりでも多くの人にこの本を手にとってほしいと心から願う。

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