『森瑤子の帽子』「女であること」と向き合い続けた作家の生涯

首藤 淳哉2019年03月29日 印刷向け表示
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森瑤子の帽子
作者:島﨑 今日子
出版社:幻冬舎
発売日:2019-02-27
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確かあれは夏木マリさんの舞台を番組スタッフと観に行った帰り道だった。
「カッコいい女の人、というと誰を思い浮かべます?」
若いスタッフに訊かれた。たぶん彼女は夏木さんのパフォーマンスに圧倒されていたのだろう。質問のかたちをとってはいるけれど、言外に「夏木さんほどカッコいい女性はいないですよね」というニュアンスが込められていた。

もちろん夏木マリは文句なしにカッコいい。でもその時ぼくはあえて別の人物の名前をあげた。すると後輩からは「え?誰ですかその人」という反応が返ってきた。若い彼女が知らないのは無理もない。その人がこの世を去ってもう四半世紀が経つのだから。その人の名は「森瑤子」。1978年に作家デビューすると瞬く間に人気作家への階段を駆け上がり、1993年に胃癌のため52歳で亡くなった。彼女はバブルに沸く80年代を全力で駆け抜けた作家だった。

『森瑤子の帽子』は、時代のアイコンだった作家の実像に迫った力作評伝だ。森瑤子は1940年生まれ。本名は伊藤雅代。後にミセス・ブラッキンとなる。
教育熱心な父の薦めで6歳からヴァイオリンを習い東京藝大に入学するも、才能溢れる同級生を目の当たりにして挫折、詩人や画家の卵たちと新宿の風月堂に入り浸る青春時代を過ごす。卒業後、広告会社で働いていたところ、世界旅行の途上にあった無職の英国人アイヴァン・ブラッキン氏と出会い、24歳で結婚。長女出産を機に専業主婦となり、次女、三女にも恵まれた。

彼女の人生が大きく動いたのは38歳の時のことだ。初めて書いた小説『情事』がすばる文学賞を受賞したのだ。イギリス人の夫と3人の娘を持つ35歳のヨーコが、六本木のバーで出会ったアメリカ人男性と恋に落ちる物語。夫との関係に倦み、次第に若さが失われていく不安や焦燥を感じながら、夫ではない男とのセックスを「反吐が出るまでやりぬいてみたい」という欲求に駆られるヨーコ。あけすけに性を語ることがためらわれた時代に森瑤子は新しい風を吹き込んでみせた。

だがこの作品に「情事」という言葉から連想される湿っぽさは微塵もない。クールで、アンニュイで、まるで海外の作家が六本木を舞台に書いたような小説なのだ。スタイリッシュな登場人物と洒落た空間、そこで交わされるスノッブな会話は、後に森瑤子の代名詞となる。森の作家としてのキャリアは、バブルへと向かう日本経済の黄金期と重なっていた。ベストセラー作家の仲間入りをした森のきらびやかな生活は、しばしば雑誌の紙面を飾った。森はライフスタイルも真似したいと読者の憧れを掻きたてた初めての作家だった。

作家「森瑤子」のパブリックイメージといえば、このバブル真っ盛りの頃のものだろう。都会の男女の洒落たラブストリーを軽やかに描き、華やかな交友関係をエッセイに綴る。ファーストクラスで世界を飛び回り、カナダの島やヨットを夫に買い与え、与論島に誰もがうらやむ豪華な別荘を建てる。肩パッドの入った洋服と大きな帽子、それに真っ赤なルージュが森のトレードマークだった。

だが森作品の中には、そんな作家のイメージを覆すような作品がある。
『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』がそれだ。

初めてこの作品を読んだのは学生時代だった。フェミニズム関連の本を集中的に読んでいる時に誰かが絶賛しているのを見かけて手に取ったのだ。読み終えた時の「なにかとんでもないものを垣間見てしまった」という戸惑いをいまでも覚えている。カウンセラーを相手に、作家自身が誰にも明かすことのなかった心の秘密を告白した内容だったからだ。そこでは母親との葛藤や、自分の娘をうまく愛せない苦しみ、夫との性的な不一致などが赤裸々に語られていた。

無知な若者だった当時の自分は、“母性”は本能として女性に備わっているものだと信じて疑わなかったし、ましてや夫婦間に性の問題が存在するなんて想像したこともなかった。この作品でぼくは生まれて初めて「女性の複雑さ」に触れたのだと思う。

本書をまとめるにあたり、著者は数十人にのぼる関係者に話を聞いている。三人の娘たちや、現在は与論でカフェを営む夫はもちろん、森と親しかった五木寛之氏や北方謙三氏、山田詠美ら作家仲間、歴代の編集者たち、当時男女の仲が噂されていた近藤正臣氏にも話を聞いている。それだけではない。間近で森家のすべてを見ていた秘書や遺産の整理を託された税理士、森のカウンセリングを行った河野貴代美氏までもが取材に応じている。この取材の厚みは、まさに労作という言葉がぴったりだ。

ところが、それだけの証言があっても、そこから浮かび上がってくる「森瑤子」は、なかなかひとつの像を結ばない。語り手ごとに森がまったく違う顔をみせるからだ。ただ、本書を読み進めていくうちにわかってくることがある。それは、「作家・森瑤子」はペルソナであり、アバターであったということだ。

彼女は「作家・森瑤子」を懸命に演じていたのだ。読者が憧れる贅沢な生活を維持するために書き、書くための材料を仕入れるために華やかな社交に勤しんだ。いや、演じていたのは「作家・森瑤子」だけではない。妻として、母親としても、森は理想の女性であろうと足掻き続けた。

だが、当然のことながらそうした無理は続かない。原稿に追われる流行作家としての生活と主婦の仕事を両立させるのは困難だ。家庭には綻びが見え始め、筆も荒れていった。長年のストレスは作家の肉体を蝕み、癌が発覚したときはもう手遅れだった。

「作家・森瑤子」という虚像。本書がその向こう側に描き出すのは、満身創痍の女性である。傷だらけのヨーコ。この世に女性として生を享け、自力で人生を切り拓こうと格闘し、ボロボロになって佇む、ひとりの女性の姿だ。

「私はまず、強烈に、自分がここにいると世界にむかって叫びたかった。ここに生きて、人を愛し、傷つき、苦悩し、与え、与えられ、途方にくれている一人の女がいることを、知ってもらいたかった」(『プライベート・タイム』)

男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年。その時すでに森は、女性としての生き方を模索し最前線で戦っていたのだ。本書を読み終えて脳裏に浮かんだイメージは、荒野をたったひとりで進んでいく女性の後ろ姿である。哀しみも挫折も、人生をまるごと背負ったその背中は本当にカッコいい。森が創った言葉を借りれば、まさに森自身が「ハンサム・ウーマン」だった。

森が切り拓いた荒野の道は、いまではたくさんの女性が歩く広い道となった。
だが、仕事と家庭の両立に悩み、毎日を戦っている女性たちはいまもたくさんいる。そんな彼女たちが声を挙げ始めた。その声は奔流となっていまや時代を変えようとしている。もし森が生きていたら、その光景を見て何を語るだろう。

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