『ストーカーとの七〇〇日戦争』勇気ある行動が教える、社会の硬直性の破り方

栗下 直也2019年06月29日 印刷向け表示
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ストーカーとの七〇〇日戦争
作者:内澤 旬子
出版社:文藝春秋
発売日:2019-05-24
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交際8カ月で別れ話を切り出したら、スマートフォンの着信履歴が埋まり、LINEには恫喝のメッセージが届く。身の危険を感じ、警察に相談したら、交際相手は偽名で前科があることまで判明する。私が付き合っていたのは誰なのだろうか。もしかしたら凶悪犯なのか。これからどうなるのか──。

平成生まれの新たな犯罪の1つが「ストーカー」だ。昔からつきまといによる被害はあったものの、長らくは「民事不介入だから警察は手を出さない」が常識だった。1999年に起きた桶川ストーカー殺人事件が契機となり、ストーカー規制法が制定され、犯罪として認知された。

とはいえ、多くの人には対岸の火事だろう。いきなり我が身に降りかかったら、誰もが右往左往するはずだ。

今なら前述のストーカー規制法が犯罪抑止の一助になると思われるかもしれないが、残念ながら著者が被害にあった当時は、SNSへの書き込みは規制の対象外だった。法が現実を後追いするのは避けられないが、規制以外の一般人が思いつく解決法にはことごとく壁が立ちふさがった。

著者は示談に持ち込むものの、相手はいっさい約束を守る気がない。誹謗中傷のLINEを送り続け、インターネット上の掲示板には捏造された性的嗜好を書き込まれる。

つきまとわれるだけでも怖く、被害者の著者は息を潜め暮らすのに、加害者の名前や犯歴は「人権」を盾に守られる。著述業でメディア露出も多かった著者の苦悩がどれほどかは想像に難くない。

ホラードラマさながらの展開だが、著者は追い詰められながらも客観的な視点を失わない。いつ襲われるかにおびえながらも、検事が俳優の斎藤工に似ていることに新鮮さを覚え、スーツの趣味がよいことに感心するなど観察を怠らない。緊張と緩和の非連続のリズムが心地よく、ページをめくる手が止まらない。

冷静な視線は自身にも向けられる。別れの切り出し方が悪かったと反省し、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられても、事実は事実と認め、都合の悪いこともさらけ出す。生活の匂いが立ちこめるような材料を読者に提供することで、ストーカーの理不尽さを際立たせる。

著者がもがけばもがくほど浮き彫りになるのが、ストーカー対策の制度の欠陥だ。しかし、それ以上に著者は人々の無理解に苦しめられる。

司法や警察の関係者の一部は、法の下に完全に思考停止しており、想像力を働かせない。彼らにとっては数あるストーカー事案の1つにすぎないのだ。弁護士の加害者への紋切り型の対応が火に油を注ぐ結果になるのは典型だ。

著者は専門家への相談を重ね、「ストーカーは病気」との結論に至る。治療の効果も認められていることから、加害者に治療を望むと、「加害者を憎んでいないのか」と不思議がられる。加害者が治癒し、つきまといをやめることが被害者の利益だという判断に共感してくれる人は、医療関係者以外、皆無だった。

日本社会は前例踏襲が原則で、そこから一歩踏み出すことは難しい。それは人の尊厳、生命を巡る攻防でも変わらない。大樹によらず、自ら動くことでしか社会の硬直性を突き破れないと、著者の勇気ある行動が教えてくれる。

 ※週刊東洋経済 2019年6月29日号

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