『日本の異国』「共に生きる」とは、どんな社会なのか?

麻木 久仁子2019年07月24日 印刷向け表示
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日本の異国: 在日外国人の知られざる日常
作者:室橋 裕和
出版社:晶文社
発売日:2019-05-25
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現在日本に在留する外国人の数は約264万人。日本の総人口が約1億2659万人で、在留外国人数はその約2%ということになるそうだ。ちなみに統計の取り方や外国人の定義に若干の違いはあるが、フランスは約12%、イギリスが約13%、ドイツが約9%というから先進国の中では日本はやはりまだまだ外国人が少ない国だろう。

だが一方で入国管理法が改正され新たに外国人労働者の受け入れを拡大する政策がとられることで、これからはますます外国人は増えていく。少子高齢化社会の打開策として外国人労働者を受け入れることの是非や、受け入れるにしても十分な体制が整っているかどうかといった問題について、議論は尽きない。が、今日本にいる人たちはすでに、たゆまぬ日常を営んでいる。本書はそうした在日外国人の日常を訪ね歩いたルポである。

高田馬場にはミャンマー人、西葛西にはインド人、西川口は新たなチャイナタウンが、神奈川県の大和周辺にはベトナムやカンボジア、ラオスの人々のコミュニティーが存在する。竹ノ塚のリトル・マニラ、池袋にはバングラディシュ人。


そんな「異国」が、気づいていないだけで日本にもたくさんある。そしていま、これらのコミュニティを核にして、外国人が急速に増える時代を迎えている。大きくなりつつある外国人社会が、僕たちの生活空間に触れはじめてきたのだ。

著者は30代の時に10年間タイのバンコクで「外国人」として暮らした経験があるそうだ。タイは歴史的にも地理的にも外国人を多く受け入れている国際社会で、バンコクでは様々な「外国人」が珍しくもなく隣り合って暮らしている。著者自身もその溶け込みやすさに居心地の良さを感じながら過ごした。

そして帰国してみると日本でも「外国人コミュニティ」が増え始めていることに気づき、バンコクで味わったちょっとゆるくて居心地の良いアジアの雰囲気への懐かしさもあって、あちらこちらを訪ね歩くようになったのだという。

例えば竹の塚のフィリピンパブを訪ねてみれば…

フィリピンパブときくと何やら昭和の空気。当時はまだ貧しかったフィリピンから高度経済成長期の日本をめざして多くのフィリピン人女性たちが出稼ぎにやってきていた。そうだった、「じゃぱゆきさん」などと呼ばれていたっけ。元々は明治時代、貧しかった日本から東南アジアなどへ出稼ぎに出た女性たちのことを「からゆきさん(唐行きさん)」と読んだのがいわば「元ネタ」だが、もはや若い人たちはまったくわからないだろうなあ。

さて、1980年代を黎明期とし2000年代に最盛期を迎えたフィリピンパブだが、興行ビザを拡大解釈して女性たちを接客業につかうという甚だ人権的な問題を含んでいた業態は国際社会から「人身売買」の謗りを受けことでビザの適用を厳しくし、フィリピーナの来日は激減する。

では現在のフィリピンパブはというと。実は今店を支えているのは興行ビザとは関係なく、日本で暮らし働く資格のある女性たち。日本人と結婚するなどして永住権を持っている女性たちが多くなっているそうだ。日本が長く日本語も堪能で、苦労のなかで人生の水も甘いも知っているようなフィリピン人の「おばちゃん」と、こちらも長く通いつめて歳をとったお客が、もはや生々しいサービスを求めることもなくあたかも癒しの場のようになっている店が存在するらしい。


テキトーにがちゃがちゃ水割りを作り、ほかのフィリピーナとタガログ語でなにやらバカ笑いをして、隣のテーブルの会話に割り込み〜

いい意味で弛緩したアットホームな空気と、常連でなくてもすぐになじめる親しみやすさは、アジアそのものだ。ひと昔前の淫靡なフィリピンバブのイメージは、あまりない

なんだか楽しそうである。多くのフィリピン人女性たちの苦しみや悲しみも、30年の時の流れの中に溶かし込んで、日本社会に根を張っているようだ。

40年ほど時代をさかのぼる。ベトナム・ラオス・カンボジアが社会主義体制に移行したことに伴う混乱と内戦の中で大量のインドシナ難民が発生した。ボロボロのボートにすし詰めになった人々が決死の渡航を試みる姿に衝撃を受けたことを思い出す。原則として難民を認めない日本が、その時ばかりは世論にも押され、およそ1万1000人の難民を受け入れた。あのとき日本に定住した人々は今どうしているのだろう。

元難民たちは、歳も寄り、祖国に帰ることもなく亡くなる人も増えてきた。そのお骨は、故郷に送られることもあるが、人によっては日本で埋葬されることになる。しかし、墓地などに関する法律の問題から、日本国内にあるベトナムやラオスの寺院に埋葬することはできない。そこで1987年、藤沢市の善然寺に「日本在住インドシナ人の墓」ができた。

熱心にお参りする人が多いというこの墓地は、3ヶ国の人々が交代で掃除をし、常に新しい花が手向けられ、墓石には「V」「C」「L」とそれぞれの母国の頭文字が刻まれている。インドシナと一言で言っても3国は歴史も文化も違うが、こうしてたどり着いた日本でともに苦労を重ねた人々は、最後まで寄り添い力を合わせて生き抜いてきたのだということが伝わってくる。

さてこうしてある一定の場所に固まって暮らすコミュニティばかりではない。モンゴル人留学生たちのコミュニティは特定の町ではなく、なんとフェイスブックのなかにある。ほとんどの情報はフェイスブックを介してやり取りされるが「日本に住んでいるほかの国の人たちよりも、コミュニケーションはしっかり成り立っていると思います」という。

「ゲル」には誰でも入ってよい、というモンゴルの助け合い文化」なのだという。どこかの町に固まって住むのではない。そこに遊牧民にルーツを持つモンゴル人らしさが見える。

様々なルーツを持つ人々が、自分たちの文化を忘れることなく、しかしそれぞれのやり方で日本に溶け込んでコミュニティを成立させていく様子には、人々の日常の営みの積み重ねが作り上げた強さや知恵があふれている。


「共に生きる」とはどんな社会なのだろうか。今回の取材でお世話になったある方は、「共生はむりかもしれないけれど、共存はできる」と言った。家族のような濃密なつながりはつくれなくても、ゆるやかに穏やかに「共に在る」ことはできる。そんな意味だろうか。

まあ日本人同士だってなにも無理に「仲良くなる」必要なんてないのだ。最低限のルールのもとに、あとは余計な緊張感やストレスを感じることなく、おたがいに「ああ、そこにいるな」くらいでいられたら。で、何かのきっかけがあってもし距離がぐっと縮まる機会があればそれもまたよし。

ところで、どのコミュニティにも共通するのは「うまい飯」である。パキスタンコミュニティで食べるビリヤニ。リトル・インディアのカレー。ミャンマーコミュニティの「シャン料理の店」はテレビ番組『孤独のグルメ』で取り上げられてから大人気だそう。納豆や豆腐をふんだんに使うので日本人の口にも合うらしい。新大久保のイスラム横丁ではスパイシーなバーベキューチキンが売り。百人町ではエッグコーヒーを飲んで。コーヒーの上に卵黄と練乳をホイップしたクリームを乗せるというのだが、さてどんな味なのだろう。

本書でいろいろなコミュニティに興味がわいたら、あまり肩に力を入れて「異文化理解」などというより、美味しいものを食べたり飲んだりすることから始めるのが一番かもしれない。美味しいものを美味しく味わいながら腹を立てたり憎んだり羨んだりなんて、なかなかできないものだから。「あ、この店食べに行きたい」と思うお店もたくさん出てきますよ!

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