『月下の犯罪』名門一族の秘められた罪をめぐる極私的ノンフィクション

首藤 淳哉2019年09月10日 印刷向け表示
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「180人のユダヤ人を虐殺したのは、私の大叔母だったのだろうか…」
そんな帯の文句に惹かれて本書を手に取った。

1945年3月24日の晩、オーストリア国境近くの村レヒニッツにあるバッチャーニ家の居城で、ナチとその軍属のためのパーティーが開かれていた。月が明るい晩だった。この時、駅には200人近いユダヤ人たちが立たされていた。彼らは対赤軍用の防護壁を築くためにハンガリーから連れてこられた強制労働者たちだった。

夜9時半、彼らはトラックに乗せられどこかへ運ばれた後、4人の突撃隊(SA)に引き渡された。SAはユダヤ人たちにショベルを渡すと、L字型の穴を掘るよう命じた。疲れ切ったユダヤ人たちが固い土を掘っている時、城の電話が鳴った。電話を受けた親衛隊上級曹長のフランツ・ポデツィンは「いまいましいブタどもめ」と吐き捨てると、部下にパーティーの参加者を連れてくるように命じた。そしてこう告げたのだ。「駅から来たユダヤ人たちが発疹チフスにかかっていて、奴らを撃たねばならん」。

ライフルと弾薬がパーティー客に手渡され、彼らは現場へ向かった。
ユダヤ人たちは裸でL字型の穴の前に跪かされていた。
酒の入ったポデツィンらは次々に引き金を引き、穴の底にユダヤ人たちが折り重なって行った。その後、客たちはパーティー会場に戻り、朝までダンスに興じたという。

戦後、大量殺人および非人道的行為などの罪で7人が起訴されたが、重要な証人が何者かに暗殺されるなどして裁判は早々に行き詰まってしまった。ポデツィンら主犯格2名はその間に逃走し、スイスから南米に亡命した。またその後何年にもわたり殺害現場を特定するための調査が行われたが、180名の遺骨は今日に至るまで発見されていない。

これがレヒニッツのユダヤ人虐殺事件の概要である。
チューリヒの日刊紙の記者だった著者は、ある日同僚から「あなたの家族の話よね?」と記事を見せられ、この事件のことを知った。そこには「地獄の招待王」の見出しとともに、マルギット・バッチャーニ=ティッセン伯爵夫人がユダヤ人虐殺に関わった、と書かれていた。彼女はパーティーを主催し、深夜、戯れに裸のユダヤ人の頭に銃を向け、引き金を引いたのだ、と。記事には写真も添えられていた。そこには見覚えのある大伯母の顔があった。

バッチャーニ家はハンガリーでは有名な貴族の家系だ。事件を知ったのをきっかけに、著者は一族のタブーについて調べ始める。本書はその7年におよぶ記録である。

ただ、レヒニッツ事件の謎解きを期待して本書を手に取った読者は、肩透かしを食うかもしれない。実のところ事件はほんの導入部に過ぎず、本書の大部分を占めるのは、著者の祖母が遺した手記をめぐる旅の記録だからだ。

祖母マルタは晩年、自らの生涯を書くというアイデアにかかりきりだった。2009年に亡くなる時、彼女は死の床でノートを燃やしてほしいと頼んだが、著者の父は中身もあらためないまま、遺された手紙などと一緒に保管することを選んだ。祖母の死から2年がたって初めて、著者の手によってマルタの本当の人生が明らかにされた。

マルタは1922年、ハンガリーのシャーロシュドという小さな村の城主の娘として生まれた。その2年後、同じ村で食料品店を営むマンドル家にアグネスという女の子が生まれる。彼女はユダヤ人だった。アグネスの人生が暗転するのは、1944年3月19日のことだ。ドイツ軍がブダペストを占拠したのだ。

ブダペストで学校に通っていたアグネスは、この日、弟を連れて映画を観に行っていた。映画が始まってしばらくすると突然照明がつき、ドイツ軍が街に入って来たため映画は終わりだと告げられた。市電に乗ると、ユダヤ人は外へ出るように命じられ、姉弟はそのまま収容所へと連行された。

一方、マルタは舞踏会で出会った男性と結婚し一児をもうけ、お腹には二番目の命が宿っていた。夫が戦争に駆り出され寂しい思いをしていたマルタは、シャーロシュドに里帰りしていた。ある日ベッドで本を読んでいると、表が騒がしくなった。庭に出ると、マンドル夫妻が子どもたちを助けてほしいと父に必死に訴えていた。父は耳を貸さなかった。そのとき、二発の銃声が響いた。村にいたドイツ兵がマンドル夫妻を射殺したのだ。

この体験が、マルタを生涯苦しめることになる。
動転したマルタは、村の教会に駆け込むと懺悔台で気を失ってしまう。司祭はひどく驚いたからだと慰めてくれたが、それが嘘だということをマルタは知っていた。ひどく寒く、その冷たさは彼女に一生つきまとうこととなった。マンドル夫妻を救えたかもしれないという後ろめたさとともに。

手記には、夫妻の死を伝えなければならないという思いに駆られたマルタが、身重の体で列車に揺られ、収容所までアグネスを探しに行っていたことが記されていた。だがアグネスはそこにはいなかった。

後に著者は、収容所の地獄を生き延びたアグネスがアルゼンチンにいることを突き止める。アグネスは両親が殺された事実を知らなかった。マンドル夫妻の死は、公的には「自殺」とされていた。事件は揉み消されていたのだ。

2013年10月、著者はブエノスアイレスで90歳を超えたアグネスと面会した。
終戦から70年近くを経て、ようやく祖母の使命を果たそうとするかのように。そこで彼が何を話したかは、ぜひ本書で確かめてほしい。

大伯母の事件をきっかけに、身内の罪を調べるというきわめて個人的な動機に基づいて始められた著者の取材は、祖母の手記、祖父のソ連での収容所体験、アグネスの回想なども交えながら、20世紀の暴力の歴史を辿る旅へと発展していった。

だが戦争を知らない世代にとって、祖父母の世代が体験した出来事をどう受け止めればいいのだろう。それが今の自分にどう関係するのか。著者は何度も自問する。その一方で、著者は我が身に引きつけて祖母が体験したことをイメージしようとも試みる。マンドル夫妻が殺されたあの日の午後、自分なら祖母と違う行動がとれただろうか。面倒事と関わろうとしない父親に異を唱えることはできただろうか、と。

「最近はフェイスブックやツイッターで、誰かを応援したり、何かに反対したりすることに何時間も費やしている。事件の写真や誰かの鋭い分析をシェアし、ランペドゥーサ沖で移民たちの船が難破しているヴィデオにリンクを張り、南スーダンの女子割礼を廃止する嘆願書に署名したりしている。だがもし、これらの出来事がコンピュータの中ではなくて、道端で起きていたらどうしただろう?もしメディアを通してではなく、生身の人間として抗議しなければならないとしたら?」

そうなのだ。私たちとマルタに果たして違いなどあるだろうか。
親に虐待され夜遅く町をさ迷っていた女の子や、理不尽な職場で神経をすり減らされた新入社員を救えなかった私たちは、あの日ユダヤ人夫婦を見殺しにしてしまったマルタと、どこかでつながっているのかもしれない。

20世紀とは形を変えて、暴力はいまもこの社会のあちこちに偏在している。
暴力に脅かされる誰かを目にした時、私たちは一歩を踏み出せるだろうか?

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