エンタメ化されたニューロサイエンスが素直におもろい『つむじまがりの神経科学講義』

仲野 徹2020年07月27日 印刷向け表示
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つむじまがりの神経科学講義
作者:小倉明彦
出版社:晶文社
発売日:2020-06-05
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『つむじまがりの神経科学講義』、どこかで聞いたようなタイトルである。ベストセラーになった拙著『こわいもの知らずの病理学講義』のパクリとちゃうの、と思った人、正解です。出版社は同じく晶文社で担当の編集者さんも同じ。それに、もう定年になられたが、著者の小倉明彦先生はかつての同僚教授である。

あとがきで、魚の縞模様を専門とするストライプ・近藤こと近藤滋教授と私を科学エンターテインメントの先輩と持ち上げていただいているが、実際には小倉先生の方が一般向けの解説書を出すという点では先輩にあたる。焼肉をしたり麺をうったりしながら、そこでなにがおこっているかを生物学的・化学的に解説するというゼミの内容をまとめた『実況・料理生物学』を出されたのは10年近く前。もともと大阪大学出版会から出されたのだが、いまは文春文庫のラインアップにはいっている。

小倉先生、ひとことでいうと、ユニークでおもろいおっさんである。この本でも『実況・料理生物学』でも読んでいただければ一読瞭然なのだが、なんでそんなしょうもないことをよく知ってるんですか、と言いたくなるようなことをご存じだ。それに、チャレンジャーでもある。

以前、植物のなにかの形についてエッセイを書いておられるという話を小耳にはさんだ。先生、ぜんぜん専門と違うやないですか、そんなん書けるんですか、と尋ねたら、「いやぁ、引き受けたからしかたないんですよ」と。ふつう、引き受けないでしょうが、そういうのは。でも、完成作を読ませてもらったら、それなりに説得力のある内容で驚いた。内容が正しかったかどうかは知らんけど。

しかし、『つむじまがりの神経科学講義』、勝手に略称『つむじ神』はそんなことはない。専門なのだから内容は鉄板(のはず)だ。もちろん内容は神経科学について。まず、「まえがき」にしっかり書いてあるが、神経科学と脳科学は似て非なる言葉である。

脳科学は高次脳機能、脳はどう考えるか、といったことについての研究である。それに対して、神経科学は、もっとミクロで、神経細胞がどう興奮するか、とかの研究だ。高次脳機能に対して低次脳機能と呼ばれている、というのはウソ。

もうちょっと具体的にいうと、つむじ神のメインテーマである記憶でいうと、脳科学では、どのような記憶パターンがあるか、とか、睡眠と記憶の関係という大きなフレームでの研究であるのに対して、神経科学では細胞あるいは組織レベルで記憶がどう成立するかの研究だ。(←イメージです)

同じ研究科(大阪大学大学院・生命機能研究科)に所属していたので、小倉先生の研究について何度も耳にしたことはあった。しかし、わかっていたかと言われると、あまりわかっていなかったということが、この本を読んでよくわかった。小倉先生、誠に申し訳ございません。

ちょと言い訳をさせてもらうと、最近は研究の専門化が著しいし、自分の守備範囲で読まねばならない論文がたくさん出るし、で、なかなか専門外の分野まで勉強する余裕がござらぬのじゃ。しかし、つむじ神を読んだ今は違う。(たぶん)しっかり理解できた。

全三章で、第一章『神経科学とは何か』は神経科学の基礎知識としての発生学、解剖学、生理学だ。さすがにこれくらいの内容は知っていたが、じつにうまく解説されているのに驚いた。教科書的な内容といえばそれまでなのだが、教科書よりも百倍はわかりやすい。この章だけで買う価値は十分にある。ここだけなら頑張ったら立ち読みできそうだが、そんなことはせんとちゃんと買うように。

真骨頂は第二章『記憶のしくみ』である。まずは、記憶のしくみにはどんな仮説があったのか。つぎに、記憶の基本メカニズムともいうべき海馬(タツノオトシゴのことですが、神経科学ではタツノオトシゴに似た形をした脳の領域のことです)におけるLTP(長期増強)の発見。そして、LTPの維持についてのRISE仮説。

小倉先生の専門だけあって力が入る。とりわけ、小倉理論ともいうべきRISEについては力が入りすぎているくらいだ。なんとなく緊張感が高まる。で、この章の最後は、最近とっても流行っている、記憶を書き換える実験について。ふぅ、ここまでで、神経学の正常編はおしまい。

最後の第三章は『記憶の異常について』。この章の内容が、ほとんどの人にとってはいちばん馴染みがあるだろう。テーマは、認知症、PTSD(心的外傷後ストレス障害)をはじめとするストレスと記憶障害、それから、記憶がよすぎるサヴァン症候群。それぞれについて、第二章までの知識に基づいた解説がおこなわれ、理解がむっちゃ進む。内容はこんな感じ。ちょっとだけここで読めます。

全編を通じているのは、どういう疑問があって、どういう研究で答えられてきたかがしっかりと書かれていること。なので、とっても腹落ちしやすい。それに、どこまでわかっていて、どこからがわかっていないかがきっちりと書かれているのがとてもいい。

脳科学の本は玉石混交とはいえたくさんあるが、神経科学についての一般向けの入門書は初めてではないか。それも、おもろいおっさんがエンターテインメントを意識して書いた本だ。小倉先生におちょくられながら神経科学を学ぶ。なんとも気持ちよろし。

『へそまがりの神経科学講義』でもよかったんとちゃうんかと思いながら読み進めたのだが、最後にちゃんと、へそまがりとつむじまがりの違いについて書いてあった。ちなみに、小倉先生は、頭髪がもともと薄くなりつつあったところに、この本にも書いてあるようにリンパ腫の化学療法ですっかり失われたので、つむじが曲がっているかどうかの判定はすでに不能である。へそはあるはずだが、曲がっているかどうかは知らない。
 

実況・料理生物学 (文春文庫)
作者:明彦, 小倉
出版社:文藝春秋
発売日:2017-02-10
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 小倉先生の本。こういうことを知ってて料理をするととても楽しい。
 

記憶のしくみ 上 (ブルーバックス)
作者:エリック.R・カンデル ,ラリー.R・スクワイア
出版社:講談社
発売日:2013-11-21
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記憶のしくみ 下 (ブルーバックス)
作者:エリック.R・カンデル ,ラリー.R・スクワイア
出版社:講談社
発売日:2013-12-20
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 高次脳機能としての記憶についてはこの本を。大昔にレビューしてます。
 

こわいもの知らずの病理学講義
作者:仲野徹
出版社:晶文社
発売日:2017-09-19
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 え~っと。よろしく

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