真打ち登場!テレビを見るならこれを読め『新型コロナウイルスを制圧する』

仲野 徹2020年07月31日 印刷向け表示
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新型コロナウイルスを制圧する ウイルス学教授が説く、その「正体」
作者:河岡 義裕 ,河合 香織
出版社:文藝春秋
発売日:2020-07-31
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 「待ってましたっ!」思わず声を掛けたくなる1冊だ。ウイルス学の泰斗中の泰斗、東京大学医科学研究所教授の河岡義裕教授による新型コロナウイルスの解説書である。ただし、最初に書いておく。この本は、新型コロナウイルス感染症がどう制圧されていくかを示す預言の書などではないということを。

新型コロナウイルスとはどういうウイルスなのか、現状で何がわかっていて何がわかっていないのか。今後どうなっていく可能性があるか。そして、河岡先生がどのようにしてウイルス研究の道にはいり、どのような研究をしてこられたか。どれもがわかりやすく書かれていて、読み応えたっぷりだ。

研究者の名前で出版されている本、実際にはライターが執筆しておられる本がけっこうあるらしい。「らしい」というのは、そのことが明示されていないことが多いからだ。しかし、この本は違う。ちゃんと著者として聞き手の名前、河合香織が記されている。

海外のノンフィクションでは、一流研究者と一流ライターの連名で出版された優れた本がいくつもある。ゲノム編集でノーベル賞間違いなしと言われるジェニファー・ダウドナの『CRISPR(クリスパー)、究極の遺伝子編集技術の発見』などはその典型だ。日本でもそんな本が出て欲しいと切に願っていた。

立花隆と利根川進の『分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか 精神と物質』はそれに近いかもしれない。しかし、あくまでも対談である。科学者に聞いた内容をライターがわかりやすくまとめた本とは少し違う。

聞き手の河合香織はユニークなテーマを追い求めるノンフィクションライターだ。『セックスボランティア』について書いたかと思えば、『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』、そして、なんと言っても、大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞した『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』。

超一流の研究者とトップクラスのノンフィクションライターの組み合わせ。日本でもようやくそんな本が出た。それにテーマは新型コロナウイルスだ。読まずにおれまい。

よくウイルスが人を襲うなどの言い方をしますが、ウイルスを擬人化してはいけません。

そうなのである。ウイルスは、ランダムな変異という進化の結果生み出された、生命と非生命の中間的な単なる「粒子」にすぎないのだ。まず第一章『新型コロナウイルス最前線』の冒頭で、この本のスタンスを明瞭に示す重要なことが語られている。つかみは完璧。

ついで、ワクチン、特効薬、再感染、誰もが興味を持つことについて。河岡のいちばんの専門はインフルエンザである。その研究やワクチン開発などとの対比や、自らの新型コロナウイルス研究を紹介を織り交ぜて、丁寧に語られていく。

タイトルに『制圧する』とあるのに、いつ、どのように制圧されないかが明確に語られていないことに不満を抱く人がいるかもしれない。しかし、それは間違えている。楽観的になりすぎず、悲観的になりすぎず、現状を淡々と語ることこそがこの本の真髄なのだから。

第二章『ウイルスと共に生きる』は、「無闇に恐れる必要はない」、「ワクチン開発の特許戦争」、「人間にとって有用なウイルスもある――ネオウイルス学とは」、「気が緩んでいるからウイルスに感染するわけではない」など、より高い視点からの内容だ。

専門家には、ウイルスの流行を抑えるためにはこれがベストだということが言えるだけです。 ――中略―― 経済への影響という意味でも、あの時点でいったん行動自粛をした方が、痛手が少なかったのではないかというのは結果論かと思います。

自らの専門をしっかりふまえ、語るべきことはきちんと語るが、決して言い過ぎない。河岡のスタンスがこの文章からだけでも十分に読み取れる。

河岡がどのような研究者であるか、その短い伝記が第三章『ウイルとわたし』だ。新型コロナウイルスにそんなこと関係ないと思われるかもしれないが、それも違う。一流研究者と一流ライターによるノンフィクションは、ある意味これが大きな意味を持つ。いったいどのような人が語っているのか。本の内容の信頼度はそれに大きく依存する。

日本では今でも「新型コロナウイルス」と呼ばれ続け、報道でもそのように表記されているので、本書では便宜的に私もそのように書きましたが、どこかでちゃんと名前をつけないと思います。

まったくそう思う。マスコミのリテラシーのなさを如実に物語っている。かつてはMERSウイルスが新型コロナウイルスであったし、いまの「新型コロナウイルス」――本名SARS-CoV-2――がいつまでも「新型」であるわけでもない。それに、あらたな新型コロナウイルスがいつか必ず出現するのも間違いなかろう。

こういう本を待っていた。全編、うなずくくことばかりだ。ただ、一カ所だけ、意見の違うところがあった。河岡は研究の8割は運であるという。さすがにそれは言い過ぎではないか。わたしは7割くらいと思っている。たいして違わないと思われるかもしれないが、この1割は譲れない。

1月の時点で危機感を抱き始めたと河岡はいう。恥ずかしながら、その頃はまったく甘く見ていた。そして、もう一つ、完全に読み違えていたことがある。半年もたてば、すなわち今頃になれば、ワクチンの開発はむずかしいとしても、新型コロナウイルスの引き起こす病態などについてはほぼ完全に理解ができているだろうと想像していたのだ。残念ながら、思っていたよりもわかっていない。

ゴールデンウィークころまでは、自分なりに新型コロナウイルスについてあれやこれやと考えていた。しかし、よほど確実なエビデンスが出るまで思考を停止することにした。専門家の間でさえ、いろいろと意見が分かれるのである。前提が偽の命題はすべて真になってしまう。少なくとも今の段階では、素人が考えてもほとんど無駄だろう。

その関係でひとつ気になっていることがある。日本人のファクターXやら、予測できるのではないかという式についてだ。そういったものが存在する可能性を否定するものではないし、正しいかもしれない。しかし、少なくとも現状ではあいまいな憶測に基づいたものでしかない「理論」が一人歩きしてしまう危険性がある。都合のいい解釈をして利用する為政者が出現しかねない。杞憂と思われるかもしれないが、ルイセンコ学説の悲劇を忘れてはならないのである。

この本を読めば、河岡先生がいかにお忙しいかがよくわかる。しかし、ここぞという時、これは確実というエビデンスが出た時には、現状とできれば確実な未来予測について、ぜひ大きな声で解説していただきたい。必ずや、我々がついていくべき道しるべになるはずだ。

CRISPR (クリスパー)  究極の遺伝子編集技術の発見
作者:ジェニファー・ダウドナ ,サミュエル・スターンバーグ
出版社:文藝春秋
発売日:2017-10-04
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 発見の経緯から、その倫理的問題まで。ゲノム編集をめぐるじつに優れた1冊です。
 

分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか 精神と物質 (文春文庫)
作者:隆, 立花 ,進, 利根川
出版社:文藝春秋
発売日:1993-10-09
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 さすがに今となっては内容が古いが、その分、神経科学・脳科学の進展に感銘をうけたりする。
 

選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子
作者:香織, 河合
出版社:文藝春秋
発売日:2018-07-17
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 出生前診断、命の選別を考える上でベストの1冊。わたくしめのレビューはこちら
 

ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
出版社:中央公論新社
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