人生は競馬の比喩なのか 『「地方」と「努力」の現代史 ―アイドルホースと戦後日本』

吉村 博光2020年08月09日 印刷向け表示
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「地方」と「努力」の現代史 ―アイドルホースと戦後日本―
作者:石岡学
出版社:青土社
発売日:2020-06-24
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誰しも一度くらいは、スポーツで胸を熱くしたことがあるだろう。しかし、その理由を問われても、明確な答えにたどり着くことは難しいのではないか。例えばイチロー選手なら、技術とか、記録とか、勝負強さとか、語るべきことはたくさんあるに違いない。

だが、その核心をきれいに取り出すことなど、誰にもできはしない。多くのメディアは、最大公約数の受け取り手に向かって記事を作る。それが、かえって多くの人に違和感を与えてしまう。ましてや、追悼報道などは「物語」に変質してしまっているケースすらあるのだ。

本書は、ノスタルジアという概念を分析軸として、国民的な人気を集めた三頭の競走馬をめぐる「語り(報道)」を読み解こうというものである。現役当時の報道だけでなく追悼報道を読み比べることで、類書にはない深みをもった内容となっている。

おそらく、競馬ファンなら一文字も読み逃したくないほどハマるだろう。でも題材は、社会現象となったアイドルホース三頭(ハイセイコー、オグリキャップ、ハルウララ)である。ファンならずとも読み応え十分だ。まずは、本書の主役たちを順に紹介していこう。

ハイセイコーは、地方競馬での6連勝を経て1973年に中央競馬に飛び込み、皐月賞などを勝った。だが、ダービー以降は大レースで惜敗することが多かった。しかし、それがむしろファン層を大幅に広げることになった。種牡馬を経て2000年に死亡。

オグリキャップは、地方競馬から1988年に中央競馬に転入。圧倒的な強さで注目されたが、ルールの壁でダービーには出られなかった。オーナーが変わる中で酷使され、やがて実力を発揮できなくなったが引退レースで奇跡の勝利を収めた。種牡馬を経て2010年に死亡。

そして、ハルウララは、2003年~2004年に社会的ブームを巻き起こした馬である。高知競馬で最終的に113戦して一度も勝つことができなかった、競走馬としては駄馬の部類に入る馬である。現在は、千葉県御宿町のマーサファームに繋養されている。

こうして挙げると約15年周期にアイドルが登場している。今年は2020年。もう次の伝説は始まっているのかもしれない。八頭立てのレースがあればそこに八つのドラマが存在する、と言ったのは誰だったか。本書では三つのドラマをじっくりと堪能できる。

著者は、自ら専門とする「教育の歴史社会学」を研究する過程で、日本社会における学歴獲得競争による立身出世物語は90年代あたりで消滅した、とイメージしていたそうだ。そんな時にハイセイコーの追悼報道に触れたのが、本書執筆のきっかけだという。

本の数だけドラマがあるとよくいわれるが、ハイセイコーの死をきっかけにゲートが開いたこの本もまた一つのドラマといえるのかもしれない。20年の時を経て著者の企図は高められ、素晴らしい本ができあがった。ここに至った、関係者の縁に私は心から感謝したい。

本書を読むと、現役時の報道と追悼報道の「語り」が別物であることに気づかされる。後世の報道で変質していくのだ。歴史社会学者である著者は、その謎を丁寧に探る。はたして、作家・寺山修司がいうように「人生は競馬の比喩」なのだろうか。著者の言葉を引用する。

少なくとも、アイドルホースというおよそまともな研究の対象にはなりえないようなものを題材としても、戦後日本社会における集合意識の一端を明らかにすることが可能なのだという、問題提起だけはなしえたのではないかと思う。  ~本書「あとがき」より

本書は、日本競馬へ深い愛情をもち歴史社会学に深い造詣をもつ著者だからこそ、書けた本だ。かつて、これほどまでに私の胸を熱くした本があっただろうか!さて、上述の集合意識の一端とは何だろう。それは、二頭をめぐる「語り」に隠されている。

実は、二頭のアイドルホースの人気を「立身出世」に求めるこのようなロジックは、現役時代には必ずしも主流的ではなかった。むしろ、それらは回顧的な語りの中で強化・再生産されてきたものなのである。  ~本書「序章」より

しかし著者は、後世の記者が嘘ばかり書き連ねていると、上げ足を取っているわけではない。

私にとって興味深く感じられるのは、客観的事実かどうかは問われずに、収まりのいい物語が定型化していくというプロセスそのものである。これは、私が専門とする歴史社会学の分野において「集合的記憶」と呼ばれている現象にほかならない。  ~本書「序章」より

客観的な「事実」ではなく、地方出身者の立身出世という収まりのいい「物語」を安易に報道するメディアを批判したいのではなく、その事実を通じて集合意識のありようと意味を問いたいのである。表面だけを追う本やネット記事とは、明らかに一線を画す本だ。

そして、ハルウララについても触れたい。著者がこの馬を取り上げたのは、地方にバックグラウンドがある点と、普段は競馬を趣味としない層によって人気が形成された点が、他の二頭と共通していたからだと書いている。

2003年当時、世間が「勝ち組」「負け組」に分かれる中、連戦連敗でも健気に走り続けるハルウララが「負け組の星」として人気になった。「現代社会への不満」とセットだったのである。その舞台が高知競馬というのもノスタルジアを誘った。

現役時の報道によると、他の二頭も「現代社会への不満」とセットになった人気だった。やがてブームそのものがノスタルジアの対象となり「語り」が変質した。一方、ハルウララの場合は、当初から「地方」「連敗」というノスタルジアを人々は意図して追い求めたのだ。

冒頭の話題に戻ろう。これまで数多のスポーツ報道に触れてきたが、結局人々は、特別な舞台装置の上で懸命に頑張る姿にただ声援を送りたいだけなのではないか。そして、その胸の高鳴りをあるいは「語り」あるいは「書いて」残そうとする。それが人の運命なのではないか。

郷愁ついでに昭和の話をしよう。新沼謙治ファンだった母に、私は理由を尋ねたことがあった。「一生懸命、歌っているからよ」と母は答えた。このやりとりが不思議と頭から離れない。子供心に「そういう歌手は他にもいる」と思った反面、「そんなものか」とも思った。

今後も、懸命に走る馬たちを私は応援していくだろう。しかし私は、その理由を母のように簡潔に言い切る自信はない。血統とか脚質とか、山ほど理由をあげるだろう。なぜならば、たとえ核心に至れずとも迫りたいと願うことが、書く者の性だからである。

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