ギネスに届け!爆笑『明石家さんまヒストリー1、1955~1981 「明石家さんま」の誕生 』

仲野 徹2021年01月27日 印刷向け表示
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かつて『ヤングおー!おー!』というテレビ番組があった。大阪の毎日放送が1969年から10年あまりにわたって制作した公開バラエティーで、視聴率が30%を越えたこともある驚異的な番組だった。日曜夕方6時からの1時間番組で、最盛期には、大阪の中高生は全員が見ていたのではないかと思えるほどの人気だった。

スタート時は笑福亭仁鶴と桂三枝(現在の文枝)が司会を務め、「嘆きのボイン」で一世を風靡した今は亡き月亭可朝、やすし・きよしらが出演し、いきなり大人気番組に。スポンサーは日清食品で、1971年に発売となったカップヌードルのCM、銀座の歩行者天国で歩きながら食べるCMがとんでもなくカッコよく見えた。

番組改編で1972年に司会は桂三枝のにみなる。そのころから三枝の卓抜なアイデアが色濃く出るようになり、番組は吉本興業の若手芸人の登竜門になっていく。その中で組まれたのが、桂文珍、月亭八方、桂きん枝(現在の小文枝)、林家小染(四代目、故人)によるザ・パンダというユニットで、これも大人気に。

その弟分として登場したのが明石家さんまだ。最初の持ち芸はプロ野球選手の形態模写。後に「江川の空白の一日」で巨人から阪神への移籍を余儀なくされる故・小林繁のサイドスローの真似が秀逸だった。そんなものどこが面白いのかと思われるかもしれないが、抜群に面白かったのだから仕方がない。その芸、封印されているらしいが、印象は鮮烈で、いまでも思い浮かべることができる。

さんまの登用は、その才能を高く評価する三枝によるものだった。いかに大きな抜擢であったかは、すでに大人気であった「ザ・パンダ」という名前が、「SOS、さんま&大阪スペシャル」に改名されたことからもわかる。これをネタに、文珍が「ふん、えらなったんやね」とさんまをいじるギャグを作って流行らせたりもした。

当時を記憶するアラ還世代あたり以上の人にとっての明石家さんまの誕生、あるいは登場はこういったところだろう。この本の内容はもちろん違う。1951年7月1日、和歌山県牟婁郡古座町(現・串本町)に杉本高文が生まれた時から始まる。半年後に家庭の事情で奈良へ移り住むが、2歳10ヶ月で母を失った。

近所の人たちから「奈良の三バカ大将」と面白がられた祖父・音一の影響もあったのだろう。10歳のころからお笑いに目覚め、有名人のものまねで家族の笑いをとるようになり、中学校では友人と漫才コンビを組む。しかし、本格的な面白さが炸裂するのは高校に入学してからだ。

運動神経は抜群、「アーアーズ」というトリオを組んだり女性に目覚めたりしながら、つぎつぎとバカバカしいことをして全校の大人気を博し、奈良商業高校のヒーローになる。なにしろおもしろかったらしい。

高校時分は全盛やったからね。あのときにテレビに出たかったぐらいやから、いっちばんおもしろかってんから

本人がそう語るのだから、まちがいなかろう。しかし、どれだけおもろかったんや。いまみたいに録画が簡単にできる時代だったらよかったのにと惜しまれる。

「おまえ、吉本入れ」ちょっとおもろい関西のこどもなら、一度は言われたことのある言葉だ。教師にそう言われたことのある高文は高校三年生の夏に、なんば花月、うめだ花月、京都花月と劇場をハシゴするが、すこしも笑えない。そんな中、唯一面白くてたまらなかったのが笑福亭松之助だった。

松之助は、その芸よりも、明石家さんまの師匠としての「地位」の方がよく知られているかもしれない。ちょっと仏頂面で、豪放な芸風というのだろうか、型にはまらない面白さの落語家さんだった。なんといっても思い出されるのは、「天才バカボン」の「レレレのおじさん」を演じるところだ。これも目に浮かぶ。

その秋、弟子入りを決意した高文は、京都花月に楽屋入りする松之助に大きな声で「ちょっと!ちょっと!」と呼び止める。高座が終わったあと「なんでワシの弟子になろうと思たん?」との問いに対する答えがすごい。

……いや、師匠はセンスありますんで

すごいのは高文だけではない。松之助もだ。

まだ18やのにそんなこと言うのは生意気やという人もありますけど、僕自身は「俺ってセンスあるんや」と嬉しかった。彼とはセンスがあうんですわ

高文の実家が水産加工業だったことから、ごくええ加減に「さんま」という芸名がつけられた。しかし、どうして笑福亭でなくて明石家なのか以前から不思議に思っていたのだが、この本を読んで謎が解けた。最初は「笑福亭さんま」と名付けられていたのである。

だが、笑福亭さんまは弟子修行の途中で、好きな女の子と東京へ出奔してしまう。パチンコで生活する日々にこれではダメだと松之助のところへもどり、「もう一度、弟子にしてください!」と頼むさんま。松之助は「何も言うな、メシ行こう、ついて来い」とこたえ、入門志願の日に連れて行ったラーメン屋で、黙って向かい合いながら二人でラーメンを食べる。いいシーンだ。

古い社会である。本来ならば即破門せねばならないのに「笑福亭」を名乗らせ続けては支障が出るかもしれない。そこで松之助の本名の「明石」に家をつけて明石家に。そして、テレビに向いてるからテレビで行けと、上方落語協会にも入れなかった。この大らかで先見性ある師匠でなければ、明石家さんまは誕生しなかった。

さんまにとって、師匠と同じくらい、あるいはそれ以上に大きかったのは同期の芸人たち、オール巨人、桂小枝、そして、誰よりも島田紳助だ。友人として、同時にライバルとして切磋琢磨した紳助とさんまの関係はこの本いちばんの読みどころだ。紳助がいなければ、やはり、いまのさんまはなかったのではないか。

「ヤングおー!おー!」への出演、当初は別の落語家さんが予定されていたのが、事情があって急にさんまに回ってきた。もちろん、さんまの実力が第一だが、その人生は、さまざまな幸運の糸によって操られていたようでもある。

1981年、さんまを全国的な大スターにのし上げることになる「おれたちひょうきん族」が始まる頃までが、この本『明石家さんまヒストリー1 1955~1981』の内容である。おびただしい数のインタビュー記録だけでなく、すべての出演番組のリストまでついた428ページ。こんなに濃厚で詳細、そして笑える伝記は読んだことがない。

しかし、まだ1981年までである。巻末の広告によると、次作『明石家さんまヒストリー2 生きてるだけで丸もうけ』(仮題)は、1982年から1985年までについて書かれるようだ。いったい、全何巻の伝記になるのだろう。

ギネスに認定されている世界最長の伝記はインドのスピリチュアルリーダー・サイババの半生記で全32巻らしい。さんまおたくのエムカク氏、がんばって記録を塗り替えてほしい。まぁ、面白さは『明石家さんまヒストリー』の圧勝に間違いないけど。

 

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 さんまの同期、オール巨人とその師匠・岡八朗の物語。ずいぶん前にレビューを書きました。
 

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 笑福亭松之助師匠の伝記。おもろい芸人さんでした。

 

 

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