『令和元年のテロリズム』令和日本のいびつな自画像

首藤 淳哉2021年05月18日 印刷向け表示
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令和元年のテロリズム
作者:磯部 涼
出版社:新潮社
発売日:2021-03-26
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ひとつの犯罪が時代を象徴することがある。
令和元年(2019年)5月28日、朝7時40分頃、小田急線とJR南武線が交差する登戸駅近くで、男がスクールバスを待っていた児童や保護者らを次々と包丁で刺した。男は終始無言で凶行に及び、20メートルほど走って逃げた後、突然自らの首を掻き切り絶命した。この間わずか十数秒だった。

犯人によって小学6年生の女の子と39歳の保護者の男性が命を奪われた。また17名の児童と保護者1名が切りつけられ、このうち女児2名と保護者は重傷を負った。これが令和の幕開けに社会を震撼させた「川崎殺傷事件」(川崎市登戸通り魔事件)である。

この事件が「令和元年」を象徴しているというと驚く人がいるかもしれない。わずか2年前のことなのに事件は早くも世間の記憶から薄れつつあるようにみえるからだ。そもそもあなたはこの事件の犯人の名前を覚えているだろうか?また当時、著名人がメディアで発した言葉を覚えているだろうか?

本書は、川崎殺傷事件を入り口に、「令和元年」の日本の自画像を描こうとする試みである。ある補助線を導入することで、事件はこれまでとまったく違った相貌をみせる。そしてあなたは、この事件がさらなる事件を呼び起したことを知ることになるだろう。本書を読み終えた時にあなたが目にするのは、私たちが生きるこの社会の歪んだ自画像である。

川崎殺傷事件の犯人は、岩崎隆一(51歳)という人物だった。岩崎は伯父母と同居していたが、いわゆる「引きこもり」の状態にあった。警察に岩崎の写真を見せられた時、この夫婦は「知らない人です」と答えている。それくらい両者の間には交流がなかった。岩崎は平成10年頃から引きこもり状態だったとみられる。つまり30年4ヶ月続いた平成の約3分の2を、彼は雨戸を閉めきった6畳間で過ごしていたのだ。一方、伯父夫婦はこの間、川崎市の窓口に何度か相談していた。高齢で近い将来、介護施設に移ることを考えていた夫婦にとって、引きこもりの甥をどうするかは差し迫った問題だった。

社会学者の小熊英二は、編著者を務めた『平成史』の中で、平成の時代を象徴する言葉として「先延ばし」を挙げている(総説「先延ばし」と「漏れ落ちた人々」)。高度成長期に確立した日本社会のシステムが機能不全に陥っていることはいまや誰の目にも明らかだ。にもかかわらず、根本的な価値観の転換はなされないまま、ただただ問題の先送りのためだけにリソースが費やされてきた。「先延ばし」の結果、老朽化した家屋の床が抜けるように、社会の底が割れはじめた。そこから「漏れ落ちた」人々が増え、格差意識と怒りが生まれ、その不満を巧妙に利用するポピュリストたちが現れた。

「先延ばし」で露呈した問題のひとつが、いわゆる“8050(7040)問題”である。引きこもり当事者が中年(40代〜50代)に差し掛かり社会復帰がさらに困難になる上、それを支える親も高齢(70代〜80代)となり介護の必要に迫られる事態をいう。この問題には、高齢化だけでなく、就職氷河期で割りを食ったロスジェネ世代の苦境や非正規労働と正規労働の二極化など、平成を通して解決を「先延ばし」されてきた政治課題が凝縮している。

この事件にはもうひとつのキーワードがある。「一人で死ね」だ。
当時、テレビで著名人たちは以下のようなコメントを発した。「死にたいなら一人で死んでくれよ」「自分一人で自分の命を絶てばすむこと」「死ぬのなら自分一人で死ねってことはしっかり教育すべき」「人間が生まれてくる中で不良品って何万個に1個、これはしょうがない。こういう人たちはいますから絶対数。もうその人たち同士でやってほしい」(発言主は本書の注に記載されているので確認してほしい)

岩崎の犯行は絶対に許されない。理不尽に命を奪われた被害者を思えば、「一人で死ね」と吐き捨てたくなる気持ちもわかる。だが、犯行を個人の問題に矮小化することで、見落としてしまうものがあるのではないか。人々の日常を暴力で破壊する凶悪犯は人の心をなくした怪物かもしれない。ならばなぜ怪物化したのか、悲劇を生み出した社会の構造や背景まで踏み込んで考察しなければ、また同じことが繰り返されるだろう。「一人で死ね」は、社会の思考停止を表す言葉である。

だがこの事件は、あたかも悪意が伝染したかのように第二の事件を呼び起こしてしまう。そしてここにもまた、8050(7040)問題が影を落としていた。その事件とは、「元農林水産省事務次官長男殺害事件」である。

令和元年6月1日午後3時半頃、警察に通報があった。東京都練馬区早宮の自宅で76歳の熊澤英昭が44歳の息子・英一郎を殺害したという。警察が駆けつけると、1階和室の布団の上で血だらけの英一郎が仰向けに倒れていた。首や胸などに計十数か所の傷があり、絶命後も刺し続けたとみられた。

調べに対し、熊澤は息子が「引きこもりがち」で家庭内暴力があったと語った。犯行当日は近所の小学校でにぎやかに運動会が行われていた。その音に息子が「うるせえな、ぶっ殺すぞ」などと言ったのを聞いて、4日前の川崎殺傷事件を思い出し、「怒りの矛先が子供たちに向かってはいけない」と考え、台所の包丁で刺したという。つまり、犯罪を「予防」するために殺したのだ。

熊澤は元農林水産省事務次官だった。官僚としてきわめて優秀で人望も篤く、霞ヶ関の多くの仲間が支援の声をあげた。マスメディアでも英一郎の家庭内暴力が繰り返し強調され、「父親を責められない」という同情論が高まった。

ただ、その後の裁判で明らかにされた事実を踏まえると、事件の印象は変わってくる。家庭内暴力にいたるまでの段階で、英一郎はかなり親から追い詰められていた。こうした事実をマスメディアはほとんど報じていない。アスペルガー症候群で生き辛さを抱えた英一郎の生涯は、屈辱に塗れたものだった。だが、英一郎のSNSアカウントには、死後も「殺されて当然」などのリプライが寄せられている。殺されてもなお、英一郎は社会から弾かれた存在だった。

令和元年7月18日午前10時半、京都市伏見区桃山町の京都アニメーション第1スタジオのエントランスで、「死ね!」と叫びながら青葉真司はポリバケツに入れたガソリンをぶちまけ、ライターで火をつけた。犠牲者36名。放火事件としては日本の犯罪史上最悪の「京都アニメーション放火殺傷事件」である。

青葉の半生も壮絶極まりない。生まれてからずっと社会の底辺を這いずり回っている。だが手を差し伸べる者はいなかった。彼もまた社会から見捨てられた存在だったのだ。

令和元年に3件もの陰惨な事件が立て続けに起きたのは偶然かもしれない。だがいずれの事件も、「先延ばし」によって「漏れ落ちた」人々が関わっていた。
そこにはたしかに時代が刻印されている。事件の中心にいる個人を通して見えてくるのは、私たちが目を背けてきたこの社会の負の側面だ。

保守思想家の福田恆存は、「一匹と九十九匹と」というエッセイで、九十九匹のために行われるのが政治であるのに対し、文学は「失せたる一匹の救い」のためにあると述べている。ノンフィクションが文学のサブジャンルだとするなら、社会から「漏れ落ちた」個人にフォーカスした本書は、まぎれもなく一匹のために書かれた文学である。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
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