『生命機械が未来を変える』を読んだら、日本の大学が束になってかかってもMITに負けるのではないかと心配になってきた

2022年6月27日 印刷向け表示
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作者: スーザン・ホックフィールド
出版社: インターシフト (合同出版)
発売日: 2022/6/21
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『生命機械が未来を変える』ご恵送いただいたこの本、たいそうなタイトルやなぁと思いつつ軽い気持ちで読み始めたのだが、一気に読了。そして、ふたつのことに驚愕した。ひとつは、もちろんその内容だ。

MIT(マサチューセッツ工科大学)においておこなわれている研究を中心に、生物学と工学を本当の意味で融合させた研究、「エネルギー」、「浄水」、「医療」、「身体」、「食料」についての5つの「革命」的な研究が紹介されている。「身体」以外についての内容はまったく知らなかったのだが、どれも掛け値なく世界を大きく変えうるレベルの研究である。

もうひとつの驚きは、MITの元学長が、これらの研究の内容と意義をじつによく理解し、わかりやすく説明していることだ。本当に重要な研究を見極める能力、直接取材するフットワークのよさ、そして、未来に希望を抱かせる書きぶり。著者はスーザン・ホックフィールド博士。神経科学者でありながら、女性として初のMIT学長を見事に務めあげた、その真骨頂を思い知らされた。

第一章『未来はどこから来るのか』では、簡単な自己紹介の後、世界恐慌の頃から第二次世界大戦後まで学長としてMITを率いたカール・テイラー・コンプトンのことが紹介されている。すこし物理を知っている人は、コンプトン効果のコンプトンと思われるかもしれないが、それは間違い。同じく実験物理学者ではあるが、コンプトン効果でノーベル賞を受賞したアーサー・コンプトンの兄である。

原子物理学を専門とするプリンストン大学教授であったコンプトンにとってMIT学長への指名は青天の霹靂であった。しかし、着任後は物理学と工学の統合に専念し、集約的なアプローチを採用することにより、とてつもない業績をあげる。戦時のことである、そのひとつがレーダー装置の開発なのだが、科学者、工学研究者のみでなく、言語学者や経済学者まで含めた3,500人もをMITの放射線研究所に集結させ共同研究をおこなわせた。このような経緯を経て、MITは、工学だけでなく、物理も世界トップレベルの大学に成長した。

さらにコンプトンのすごいのは、1942年という早い時代に、生物学と工学の融合のインパクトを予見し、MITの生物学部を「生物学・生物工学部」に変更したことからも見てとれる。しかし、さすがに早すぎた。本当の意味でそれを実現化するには、生命科学の進歩を待たなければならなかった。そして、いよいよその時代になって学長に就任したのが、この本の著者であるホックフィールドだ。

彼らが取り組んでいる研究こそが、今世紀を彩る科学物語になる。私はそう信じて疑っていない。今から1世紀前には物理学と工学が1つになり、世界を完全に変えた。今度は生物学と工学が私たちの未来を大きく変えようとしている。本書は、これから誕生する未来の展望を読者にご覧いただき、今起きていることを目撃する喜びと興奮を一緒に味わってもらうためのものだ。

おいおい、大きいこと言いすぎとちゃうんか。と思われるかもしれないが、あながち大言壮語とは言い切れない。コンプトンの成功体験に裏付けれれているし、実際、読み終えた時、本当に世の中が変わるかも知れないと思い始めていたのだから。以下、5つの研究をごく簡単に紹介してみよう。

ひとつめは『エネルギー革命▶ウイルスが育てるバッテリー』である。タイトルを見て思った。なんやねんそれは、と。ウイルスがバッテリーを育てるはずないやないか。しかし、内容を読めば納得だ。バクテリオファージ=バクテリアに寄生するウイルスを利用して、よりすぐれた電極を作り、エネルギー問題に寄与しようという研究だ。ちょっと聞くと荒唐無稽とも思えるアイデアだが、実現可能性のあるレベルに達してきている。

ふたつめの『浄水革命▶タンパク質マシンを水フィルターに』は、ひとつめよりはイメージしやすい。我々の細胞には「アクアポリン」という水分子だけを通すタンパク質が存在している。そのタンパク質を膜に埋め込んで、水だけを透過させて浄水しようというアイデアだ。発想としてはあり得るが、直観的に、実現化は相当に難しそうだ。しかし、これも着実に進歩している。もし大規模な装置ができれば、水資源問題に大きく寄与することはまちがいない。

つづく『医療革命▶がんを早期発見・治療できるナノ粒子』と『脳を増強し身体の動きを取り戻す』は、タイトルでおおむね察しがつく。いずれも真の医工連携があってこその研究だ。後者のブレイン・コンピューター・インターフェイス(BCI)-ブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)としても知られるが、AIなどを利用することが多くなり、BCIという言葉がよく使われるようになってきている-の映像がここにある。ぎこちなさを感じないではないが、四肢麻痺の患者が「念じる」ことによってロボットアームを動かせるとはすごい。

もうひとつ、実際に下肢を失った研究者による新時代の義足研究も劣らずすごい。その人工足関節にはコンピューターが内蔵されており、正常な足関節の動きを模倣することができる。さらには「動かすことも感じることもできる人工の膝下部、足関節、足」を持った義肢の開発まで進んでいる。この義肢を使いこなすには、従来とはちがう脚の切断術をおこなう必要がある。医学と工学の相互フィードバック、これこそ真の融合ではないか。

最後の『食料革命▶地球のすべての人びとに食料を』は、植物の品種改良についての話である。書くと長くなるので省略するが、そのスケールの大きさと構想の素晴らしさには度肝を抜かれた。少なくとも私にとっては、上の4つと違い、完全に想定外のプロジェクトだ。

そんなこんなで、かなりの驚きをもって読み終えた。MIT、すごすぎるではないか。就任早々、「エネルギー革命」のプロジェクトを知ったホックフィールドは、「学ぶべきことがたくさんあった――しかも急いでまなばなければんらなかった」と考えた。そうしてとった行動と内容、そこから導いた結論が素晴らしすぎる。少し長くなるが引用しよう。

終身在職権を得て間もない教授たちを月に一度の朝食会に少人数ずつ招待した。MITで終身在職権を得るには、誰も成し遂げたことのない成果を出さねばならない。私が毎月の朝食会に招待したメンバーは間違いなく、そのような偉業の達成を可能にした資源、人、精神の「魔法の調合」について語れる人ばかりだった。
 ――中略―― 
そうやって教授メンバーの話を聞くうちに、私はある驚くべき事実に心打たれた。彼らが私に語ってくれた発見や熱意だけをヒントにして彼らが所属する学部や学科を推測しろと言われても、とても正解できそうにないのだ。彼らの研究は、歓迎も承認も受けることなく、学問分野の境界を越えていた。研究室で生まれた新しいアイデアを市場へ迅速に送り出すには、そんな柔軟性こそが何より重要だと私は気づいた。

この大学に、この学長。日本の大学が束になってもMITにはかなわないのではないか。紹介されている研究に胸躍らせながら、すこし暗くなってしまった。

 

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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