表紙をみて思わず笑ってしまった。1光年は、光の速さで1年かかる距離だ。1億光年は1億年である。にもかかわらず表紙に描かれた人物は、遥か彼方の目的地にのんきにカヌーで向かおうとしている。
だが笑った後で、はたと気づいた。言語の習得というのは、まさしくカヌーを漕ぐような行為なのではないか。前に進むかどうかは自分次第。しかも目標に到達するまで気の遠くなるような時間がかかる。そう考えると、いたく説得力のある表紙にも見えてくる。
本書は、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」ことをポリシーに、「辺境ノンフィクション」という独自のジャンルを切り拓いてきた著者による語学体験記である。同時に極めて実用的な言語学習の参考書でもある。語学をめぐる面白すぎるエピソードと、現場でとことん使える実用的知識との融合。あまりにユニーク過ぎてちょっと類書が思い浮かばない。唯一無二の語学本だ。
著者は学生時代から現在に至るまで25を超える言語(外国語)を習い、実地で使ってきた。そう聞くと、いかにも「語学の天才」のようだが、実際は英語がそこそこ使える(でもネイティヴの英語はさっぱりわからない)くらいのレベルで、その他の言語では連戦連敗を重ねてきたという。
著者の語学との関係は特殊だ。通常、言語を学ぶプロセスは、入門から始まり、初級・中級・上級と何年もかけてステップアップしていくものだが、著者にとって言語は、探検活動の道具のひとつである。まず探検という目的ありきで身につけるものだ。
その探検の目的も、コンゴに生息するという幻獣ムベンベの探索であったり、アマゾン先住民が儀式で使用するという、飲めば未来が見える幻覚剤を体験することであったりする。
現地の言葉は、それらの目的を達成するために、なにがなんでも身につけなければならないものだ。だからがむしゃらになる。俗に言う「ケツに火がついた状態」というやつだ。時には現地で出会った言語を即興で習いながら旅をすることもあるという。ここまで実践に特化してさまざまな言語と向き合ってきた人間も珍しいのではないか。
一方で、言語はただの道具ではないとも著者は言う。適当に使っているだけで、時には「開かずの扉」を開けてしまう「魔法の剣」のような力も備えているからだ。ひとたびこのような語学の魔力を知ってしまうと、次から次に新しい言語を習って現地の人と話してみたくなる。新しい言語宇宙を探検したくなるという。こうなると語学は、もはやそれ自体が探検の対象である。
語学(言語)の何がそんなに魅力的なのか、語学が少しでもできるとどんなことがわかるのか、言語を短期間で覚えるにはどんな方法が有効なのか、そんな著者の知見やノウハウがこの本には詰まっている。
例えば、本書には著者オリジナルの語学学習法がいくつも紹介されている。暗黒舞踏のダンサー、シルヴィ先生にフランス語を教えてもらう過程で編み出した『二重録音学習法』、リンガラ語と出合って見出した『物真似学習法』、チェンマイの大学生も熱中した『マンガ学習法』……etc。詳しくはぜひ本を読んでほしいが、どの方法も著者が必要に迫られて編み出したもので説得力がある。
他の著作の例に漏れず、本書もエピソードが抜群に面白い。『すべらない話』という番組があるが、著者の「持ちネタ」はどれもぶっちぎりで優勝できるクオリティである。下手に要約して面白さを削いでしまうのは本意ではないので、珠玉のエピソードはぜひ本書でお楽しみいただくとして、ここでは、著者が体を張ってつかんだ語学の極意や知見をいくつか紹介しておこう。
「話したいことがあれば語学はできるようになる」
「コミュニケーションをとるための言語と仲良くなるための言語。この二種類の言語が使えれば、どこへ行っても最強」
「ロマンス諸語は肉食的」
「スペイン語は“平安京言語”」
「語学に予習は必要ない。断然予習よりも復習である」
「言語は脳だけでなく目、耳、口、手を駆使する身体的技術体系」
「語学レッスンはある程度の出費があったほうがいい」
「語学はロケットスタートが大切。初期の授業の頻度は高いほどいい」
「外国旅行で語学を上達させたければ、決して自分よりしゃべれる人と一緒に行ってはいけない」
「言語はその言語特有のノリを身につけることが大事」
いかがだろうか。ちなみに「スペイン語が平安京」というのは、道路が碁盤の目のように整理された平安京のように、スペイン語は初学者でも迷わずに全体像をつかみやすい、といった意味である。こう聞くと、俄然スペイン語に興味が湧いてくる。本書はこの手の誘惑に満ちている。
著者は新しい探検テーマを見つけると、そのテーマと同じくらいその現場で話されている言語にもワクワクするという。自分では否定しているけれど、やはり著者は「語学の天才」ではないだろうか。新しい世界に飛び込んでいくことにまったくためらいがない。そしてたちどころに馴染んでしまう。土地の言葉で相手を笑わせ、気がつけば著者の周りに人の輪ができている。
面白いことに、語学を学び始めた当初は、「言語とはどうしてこんなにちがうのだろう」と思っていたが、習った言語の数が増えていくにつれて印象が変わってきたという。むしろ、「人間の言語はどれもなんて似ているんだろう」と思うようになったというのだ。世界各地で25以上の言語を学んできた著者ならではの境地である。
言語を学ぶという行為は、その人に劇的な変化と成長をもたらす。著者の語学遍歴を辿るとそのことがよくわかる。これこそが語学の最大の魅力なのだろう。
人生を変えたければ、新しい言語を学ぶのもひとつの方法かもしれない。
あとは著者にならって、まず始めてみること。
えいやっと飛び込めば、その先には新しい景色が開けているはずだ。
読書もしかり。四の五の言わず、まずは本書を読むべし!