本書は、David Christian, Future Stories: What’s Next?, Little, Brown Spark (2022)の邦訳である。
「未来とは何か」。もっとも身近でありながら、けっして答えの出せない疑問だ。誰しも来たるべき未来を思い描いては、希望に胸を膨らませたり恐怖におののいたりする。生きている限り未来は必ずやって来るが、その未来を確実に知ることはできない。時間が容赦なく流れるとともに、知りようのない未来が次々と押し寄せてくる。そして現在に達した瞬間に、たった1つの未来が現実となって襲いかかってくる。
だから私たちは、どうにかして未来を予想しようとする。天気予報や経済予測、さらには占いや予言などに耳を傾ける。それどころか、ふだん道を歩いているときや誰かと話をしているときなどにも、つねに一瞬先に何が起こるかを予想している。では、私たちはどうやって未来を予想するのだろうか? そもそも私たちは、未来、さらには時間をどういうものとしてとらえているのだろうか? そしてこれから先、どんな未来が待ち受けているのだろうか?
底の知れないこれらの疑問に真正面から取り組んでいるのが、本著者である歴史学者のデイビッド・クリスチャンだ。過去を探るのが本分の歴史学者が、なぜ未来のことを? 著者は従来の歴史学から大きく踏み出して、「ビッグヒストリー」というまったく新しい歴史学を牽引する第一人者。そのビッグヒストリーを歴史=過去だけでなく未来にまで押し広げようとしているのだ。
従来の歴史学は、有史以来起こった人間世界のさまざまな出来事を物語にまとめる営みといえるだろう。政治や経済、宗教や軍事などを踏まえて、人類が文明の曙以降どのような足跡をたどってきたかを描き出す。
しかしビッグヒストリーでは、ずっと遠い過去にまでさかのぼって、宇宙誕生以降の全歴史を相手にする。宇宙、地球、自然、そして人類を、この世の始まりから現在までの1つの大きな潮流として見つめるのだ。そのために、いわゆる文系学問だけでなく、物理学や宇宙論、地球科学や生物学、進化論や考古学、さらには心理学や神経科学など、幅広い学問を学際的に取り入れる。そうして、過去のさまざまな出来事の因果関係、人間の本性と存在の意味、そしてこの宇宙と人類の関わり合いを多角的に深く掘り下げていく。なんとも壮大な視点だ。
本著者は1989年、オーストラリアのシドニーにあるマッコーリー大学でこのビッグヒストリーの講義を始めた。幅広い分野の学者を招いて1つの大きなストーリーを描き出す、魅力的な講義だったらしい。その斬新な取り組みが注目を浴び、1990年代になるといくつもの大学で同様の講義が開かれるようになった。そして2011年、あのビル・ゲイツがビッグヒストリーの重要性と将来性に惹かれて1000万ドルもの資金を提供し、本著者と手を組んで「ビッグヒストリー・プロジェクト」なるものを立ち上げた。世界中の中高生に多面的な歴史観を身につけてもらうために、オンラインでビッグヒストリーの講義をおこなうというプロジェクトだ。
そんな本著者は、著作『ビッグヒストリー』(明石書店)や『ビッグヒストリー入門』(WAVE出版)、そして前著『オリジン・ストーリー』(筑摩書房)などで、宇宙・地球・人類の歴史を生き生きと描き出し、ビッグヒストリーのパワーを存分に発揮させた。しかしそれだけでは、過去から未来へという時間の流れのうちの前半だけ、過去にしか光が当たらない。
そこで本作では満を持して、このビッグヒストリーを未来にまで延長していく。巷にあふれる陳腐で感傷的な未来予想ではけっしてない。ビッグヒストリーで培った幅広く奥深い視点から、未来と時間の本質、私たちと未来との関係、そして実現しそうな未来を展望するのだ。そこでは、先ほど挙げたさまざまな分野の学問が縦横無尽に駆使されていて、知的興奮を大いに掻き立ててくれる。
だがそもそも、ビッグヒストリーが未来とどう関係してくるというのだろうか? それこそが本書の中心テーマ、そして本著者のユニークな視点である。私たちはまだ知らぬ未来へと突き進んでいくために、つねに過去に目を向けている。歴史を手掛かりにして未来を予想し、望むべき未来へと舵を切っていくのだ。実はこうした能力は人間だけのものではない。人間以外の動物や植物、さらには1個1個の細胞や微生物ですら、未来を予想している。それは進化によってあらゆる生物が身につけたスキルだというのだ。
そこで本書は、微生物や動植物、そして人間が、未来や時間というものをどう受け止め、どうやって過去から未来を予想するのかを、ビッグヒストリーの視点からひもといていく。そしてその上で、人類やこの宇宙を待ち受ける未来について大胆な予想を繰り広げていく。今後100年といった近未来だけでなく、数千年や数万年、さらには数億年、数百億年先までの未来を相手にするという、途方もない壮大さだ。
まずパート1の第1章では、そもそもの大前提として、「未来、そして時間とは何か」という問いに切り込んでいく。私たちの抱く時間の概念は、「川のように流れる時間」と「地図のように広げられている時間」という2つのとらえ方が組み合わさって成り立っているのだという。哲学に関わってくる話で、やもすれば難解になりかねないが、図やたとえ話が駆使されているおかげですっと腑に落ち、知的快感が得られるだろう。続く第2章では、どうやって過去から未来を予想するのかを考えていく。そこでは、過去のトレンド(傾向)やパターン、そして因果関係というものが大きな役割を果たす。相対性理論や心理学なども関わってくる奥深い話だ。
パート2に入って第3章では、もっとも原始的・基本的なレベルとして、細胞や微生物がどうやって未来を予想し、未来を方向づけるのかを掘り下げる。そこには生化学や遺伝学が関わっていて、未来思考が生物の根源的な能力であることが感じ取れる。次に第4章では、植物、動物、そして人間の未来思考をひもといていく。意識を持っているかどうかにかかわらず、動植物はさまざまな方法で未来を予想し、それに合わせて振る舞う。生理学や神経科学の関わるその能力は、進化による必然なのだという。
パート3では以上の話を踏まえた上で、人類がこれまで未来についてどう考え、どうやって未来を予想してきたかを、時代を追って探っていく。まず第5章では、人類特有の未来思考能力を掘り下げるために、狩猟採集時代(本著者は「基礎時代」と表現する)の人々に目を向ける。私たちが優れた未来思考をものにしたのは、社会的な能力のおかげだという。しかし先史時代の人々は、現代の私たちとは違うふうに時間や未来をとらえていた。それは現代の私たちをも支配する3つの時間のリズムで説明できるのだという。
続いて第6章では、農耕が始まって都市や国家が築かれて以降(「農耕時代」)の人々に注目する。この時代には、科学技術の不備を補うように、占いという独特の未来予想術が大きな役割を果たしていたという。さまざまな文化に見られるその実例に触れていくと、占いが人類史にどれだけ深い影響を与えてきたかが感じ取れる。
そして第7章では、技術革新以降の「近代」に生きる私たちが、どのように未来を考えるかに焦点を当てる。世界がめまぐるしく変化するこの時代、私たちには新しい未来思考能力が求められている。科学、確率論、情報工学などに支えられたその能力とはどんなものだろうか?
ここまでは、私たち人間が未来についてどう考え、未来をどうやって予想するのかを掘り下げてきた。そこでパート4では、それを土台にして、これからの未来を大胆に描き出していく。まず第8章では、今後100年間の未来に、政治・経済・環境の観点から迫っていく。すると必ずしもバラ色の未来は見えてこない。歴史の転換点に生きる私たちは重大な局面に置かれているようだ。
次の第9章では、続く1000年間の未来について考えていく。宇宙開発やナノテクノロジー、人工知能などの進歩によって、人類はどんな未来へと進んでいくのだろうか?
最後の第10章はとても壮大だ。数千万年や数億年、さらには宇宙の終わりに至るまでの未来である。そこでは私たち人類の果たす役割はほとんどなく、宇宙物理学がこの世界の未来を左右する。宇宙誕生からスタートするビッグヒストリーは、こうして究極の未来までをも垣間見せてくれるのだ。
もちろん未来は誰にも分からない。本書の未来予測がことごとく外れることだってありうる。世界の状況が変われば予想が大幅に修正されることもあるだろう。しかしビッグヒストリーを踏まえた未来思考を解き放てば、未来を少しでも正しく予想し、少しでも良い未来に向かっていけるのではないだろうか。先の見えない現代に生きる私たち1人ひとりにとって、それは必須の営みなのかもしれない。本書はその道しるべとなる1冊といえるだろう。
水谷 淳