『欲望の見つけ方 お金・恋愛・キャリア』あなたが何かを欲しいと思う気持ちは、本当にあなた自身の欲望なのか?

2023年4月26日 印刷向け表示
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作者:ルーク・バージス
出版社:早川書房
発売日:2023/2/21
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タイトルも装幀も、いかにも自己啓発本といった趣向だが、読み始めるとまるで見当違いだったと気付かされる。本書の書き出しを引用しよう。

この本は人がなぜそれを欲するかについて書いたものだ。あなたが欲しいと思うものを、あなたはなぜ欲しいのか。

人間は欲望で動いている。年収1000万になりたい。タワーマンションで快適な暮らしをしたい。早めに結婚して平和な家庭をつくりたい……。しかし、そうした欲がなぜ自分の中に生まれたか考えたことはあるだろうか。よくよく考えてみれば、自分ではない他の誰かの欲望を真似ているだけの可能性はないか?

いや、はっきり書こう。実は我々が欲しがるもの、そのほとんどが模倣によるもので、内在するものではない。有り体に言えば、他人の欲しいもの・持っているものが欲しいのである。「そんなはずはない!」と憤る方もおられるかもしれないが、読み進めていくと、いかにこの「模倣の欲望」が巷間に満ちているか見えてくる。本書は、こうした模倣のメカニズムを理解し、真なる欲望を見出すための哲学的指南本である。

いま哲学的と書いたが、著者ルーク・バージスは哲学者ではなく、起業家だ。23歳にして初めて会社を興し、《ビジネスウィーク》の「25歳未満の起業家トップ25人」に選出、その後も複数の会社を起業した。ところが2008年、ザッポスへの会社売却取引に失敗し、倒産危機に直面。このとき、なぜか絶望ではなく解放感を覚え、自分の欲望について真剣に考える端緒となる。

そんな著者に多大な影響を与えるのが、本書のもう一人の主人公、思想家ルネ・ジラールである。1950年代、大学で比較文学や歴史学を教えていたジラールは、小説の登場人物の行動パターンにある法則を発見する。それは、登場人物の欲望が他の登場人物との関係や交流によって形成されていることだ。ドン・キホーテが騎士アマディス・デ・ガウラの冒険物語を読み、彼のようになりたいと地方を遍歴するように。

このことをジラールは「模倣理論」としてまとめ、模倣について人類学的研究に専心していく。ここで留意すべきは、食欲や性欲、睡眠欲などは「欲望」ではなく「欲求」にあたることだ。ジラールの定義する「欲望」には、欲望を形成する他の人や集団、すなわちモデルが存在する。「人間は何をすればいいかわからない生き物であり、決めるために他者を参照する」とジラールは述べる。

加えて、「真似」と「模倣」もジラールは区別している。前者は幼児期の発達や学習には不可欠な力であり、ポジティブにもネガティブにもなる中立的な行為だが、後者は対立や争いを生みやすいのでほぼネガティブである。大人はたいてい誰かの模倣を巧妙に隠している。

では、模倣の欲望に乗っ取られてしまうことの何が問題か。早い話、自分のアイデンティティを他者に委ねてしまう点にある。

たとえば職場に優秀な同期社員がいれば、競争心が駆り立てられる。学校でファッションセンスが高い人の服装をこっそり真似してみる。飲食店で、お客さんへのサービスを良くしたいという思いが、いつの間にかグルメサイトでの高評価の獲得だけに専念するようになる。

これが加速すると、常に緊張や競争の中に身を置くことになり、不安と混乱をもたらし続ける。自分本来の欲望でないので心が満たされる感覚も薄い。著者がザッポスとの取引に失敗したとき解放感を覚えたのは、意図せずこの破滅的サイクルから降りられたからであった。

著者は、本書の訳者いわく「とても気軽に読める内容ではない」ジラールの著書に書かれた理論を噛み砕き、古今東西の逸話や文学を引いて解説していく。独自の造語も多々登場するが、ここでは最も身近な社会空間である「一年生の国」について覚えてもらいたい。学校に入学して、自分の立ち位置を明確にして周囲(モデル)と自分を差別化しようと躍起になっているような環境のことだ。

「一年生の国」のわかりやすくネガティブな事例として、ザッポスの話の続きが興味深い。

ザッポスCEOのトニー・シェイは、著者との取引を白紙にした翌年、ザッポスをアマゾンに売却する。一方で、ラスベガスの廃れたエリアに巨額の投資をし、ダウンタウン・プロジェクトを立ち上げる。これは、才能ある起業家を集め、大学生活のように偶然の出会いがもたらすポジティブな空間をつくろうとした。また、フラットなザッポスの文化を輸入して、役職や肩書を極力減らし、その時々において異なる人が役割を果たす「ホラクラシー」哲学を導入した。

ところがこのプロジェクトは、相次ぐ起業家の自殺で失敗に終わる。起業家たちは似た者同士の「一年生の国」に放り込まれたも同然だったのだ。偶然の出会いはアイデアだけでなく衝突も生み、役職がないことは裏側の政治的暗闘の蔓延――激しい模倣の競争を呼んでしまったのである。

こうしたエピソードは面白く、理解の助けとなるが、正直な感想、飲み込みはなかなか難しく、実践も相当困難だろう。なぜなら、模倣の欲望は重力のように存在し、切り離せるものではないからだ。そして大半の人は「一年生の国」で過ごし続ける。フェイスブックやインスタグラムなどはもはや模倣の欲望を強く刺激し無限大に増幅させるビジネスと言っても大袈裟ではない。

また、著者の願いは、薄い欲望に囚われすぎず、自分の内奥から喜びを感じるような濃い欲望を見つけ出すことだ。が、薄い欲望の例は数あれど、濃い欲望は個々人によるためか判然としない。映画を早送りで見る人、ファストフード的に教養が欲しい人にはとことん不向きである。

しかしながら、模倣の欲望をメタ認知できれば、世界の見方が変わり、明日を少しでもよりよい一日に変化させられそうな、抗いがたい魅力がある。実際、本書にも登場するPayPal創業者ピーター・ティールは模倣理論の知識をビジネスに組み込み、成功を収めた(ただ、我々がティールのようになりたいと思うのも模倣の欲望の一種だろう)。本書では、模倣の欲望への対処のコツも豊富に紹介されている。

ともあれ、人生のロードマップ欲しさに手に取ると、自分の心奥にある深い森に案内されてしまう、チャレンジングでユニークな一冊である。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!