『南半球便り 駐豪大使の外交最前線体験記』

2023年9月20日 印刷向け表示
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作者: 山上 信吾
出版社: 文藝春秋
発売日: 2023/7/31
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著者の山上信吾氏は、コロナ禍の2020年12月から2023年4月までの2年4か月、駐オーストラリア日本国大使として、日豪両国の関係発展に尽力した外交官である。

山上氏が在任期間中に、在オーストラリア日本国大使館公式ホームページに和英両文で102回発表した「南半球便り」の中から、50回余りを厳選してまとめて一冊にしたものが本書である。

2020年にオーストラリアへの赴任が決まり、関係図書を購入しようと思い書店に行ってみたところ、アメリカやヨーロッパ諸国に関する本がたくさんあるのに比べて、オーストラリア関係の本が極めて少ないことに衝撃を受けたという。近年、日豪関係の重要性が飛躍的に高まっているにも関わらずである。

この点、山上氏は本書について、「日本の安全保障(戦略的パートナーシップ、エネルギー、食糧)にとって死活的に重要な国であるにもかかわらず必ずしもよく知られていない日豪関係に光を当て、現役として書ける限界を追求した」と語っている。

実は私は山上氏とは大学時代からの友人である。更に言えば、父親同士も陸軍士官学校の同期であり、息子同士がまた大学で同期という、親子二代に亘る80年以上の付き合いである。そうしたこともあり、大使赴任直後からメールで毎週送られてきた「南半球便り」は、興味深く読ませてもらっていた。

山上氏の赴任後、直ぐにキャンベラの大使公邸に訪ねて行こうと思っていたのだが、コロナの関係で中々実現せず、ようやく今年2月になって実現した。評者自身は民間企業でしか勤務したことがなく、大使の仕事というのは余りピンときていなかった。中央官庁を務め上げた友人は多いが、皆、50代半ばには第二の人生に転身していったので、本省勤務後も大使として60代半ばまで働ける良い職業なのだなというくらいのイメージしかなかった。それ以外は、数々の式典や公式行事やパーティーに参加して、美味しい料理とワインを堪能するといったイメージだろうか。

日本の外交という広い視点で見た場合にも、小村寿太郎や重光葵、吉田茂、そして杉原千畝など、戦前の外交官の名前はたくさん思い浮かぶが、戦後の外交官の名前は殆ど思い浮かばない。

そもそも、太平洋戦争での敗戦以降、果たして日本に外交というものはあったのかという素朴な疑問を持っていた。確かに、1951年のサンフランシスコ講和条約までは、天皇制も含めた日本という国の存亡をかけた外交というのはあったように思う。しかし、戦後、日本が憲法によって戦争を放棄し、高度経済成長の波に乗る中で、日本の国益というのは経済的利益だけを意味するようになり、外交はひたすらアメリカ任せというのが、一般的なイメージではないだろうか。

しかし、今年2月にキャンベラで山上氏から聞かされた話で、そうした外交官のイメージは一新された。これ程までに情熱を持った外交官、そして国家公務員が他にいるのだろうかと。そもそも、大使というのは、天皇から任命され、日本国を代表して外交交渉、条約の調印・署名、滞在する日本人の保護などを行う特別なポジションなのである。だからこそ、「特命全権大使」と呼ばれるのである。

山上氏の離任直前の今年2月に大使公邸で開かれた天皇誕生日レセプションには、オーストラリアの政・財・官・学の要人やマスコミ関係者を始めとした600名以上が訪れたという。その中には、日頃から親交のあるトニー・アボット氏、スコット・モリソン氏という2人の元首相も含まれていたという。これも、今日における日豪関係の絆の深さの象徴であり、山上氏の外交官としての努力の賜物なのだと思う。

一国に「外交」がなければ国が立ちゆかないのは自明の理だが、この国では一体誰が「国益」というものを考えているのだろうか。超高齢化と超少子化が同時進行し、人口が激減し、経済は縮小していく一方の日本という国が、中国、ロシア、北朝鮮という核保有国に囲まれて、これから一体何処に向かうのだろうか。

アメリカと中国という超大国に挟まれ、その狭間で揺れ動く日本には、どのような外交戦略があるのだろうか。そして、一体それを日本の誰が真剣に考えているのだろうか。実際、国家公務員の幹部だった多くの友人たちに何度聞いても、この国には国のことを真剣に考えている公人は、もはやどこにもいないと言う。

どのような国であっても、最低限、外交と防衛は国の役割であり、民間が担うことはできない。それをこの国では誰が真剣に考えているのだろうか。私の亡父は、父親(私の祖父)の代からの職業軍人だったが、戦後は組織というものに見切りをつけて独立し、もはや国について語ることはなかった。国を思っても、結局、国はその気持ちに応えてはくれないと。

しかしながら、上述したような日本という国の地政学上の危うさ、地震・火山大国としての国土の脆弱性、急激な人口減少、長期的な経済停滞などを考えれば、外交の重要性はいくら強調しても強調し過ぎることはない。むしろ、国家としての立ち位置の困難さを考えれば、諸外国以上に外交が重要だと言える。

今年4月に開かれた山上氏の離任送別会では、天皇誕生日のレセプションに出席したアボット氏とモリソン氏にジョン・ハワード氏を加えた歴代の3人の首相から、セイコーの腕時計を贈られたそうだ。そのバンドには、「三人の首相から日本の最も偉大な大使への贈り物。貴使の勇気と知的リーダーシップに感謝して」と記されていたという。

山上氏は現在、無任所の特命全権大使として東京にいるが、今後どのような職務に就くのかは聞いていない。只、山上氏がこれからどこに軸足を置くかに関わらず、これからも日本と世界をつなぐ「外交官」としての一層の活躍を期待したいと思う。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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