『三重スパイ』 裏の裏の裏をつかれたCIA

2012年12月2日 印刷向け表示
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三重スパイ――CIAを震撼させたアルカイダの「モグラ」

三重スパイ――CIAを震撼させたアルカイダの「モグラ」

  • 作者: ジョビー・ウォリック, 黒原 敏行
  • 出版社: 太田出版
  • 発売日: 2012/11/22

2009年12月30日、アフガニスタン北東部にあるホースト基地のCIA局員達は、ある男の到着を心待ちにしていた。その男とは、フアム・アル‐バラウィ。このヨルダン人医師は、CIAから大きな注目を集めていた。それは彼が、最強国家アメリカをもってしても長年近づくことのできなかったアル・カイダの中枢に入り込み、ウサマ・ビン・ラディンに次ぐNo.2アイマン・アッ‐ザワヒリとの接触に成功したからだ。

フアムは、CIAと連携して作戦を行っていたヨルダン総合情報部によってリクルーティングされた二重スパイだった。2009年3月に単身でアル・カイダに送り込まれた彼は、潜入からわずか数ヶ月で、9・11以降における最も大きな成果をCIAに運び込もうとしていた。フアムが入手した情報があればビン・ラディンにアタックできるかもしれないと、CIAだけでなくホワイトハウスまでもが色めき立っていたという。彼がもたらすものは、ビン・ラディンに繋がる情報ではなく、この25年のCIAの歴史の中で最悪の悲劇であるとも知らずに。

本書は、CIA局員7名と民間軍事会社2名が犠牲になった緊迫の一日からはじまる。この日には多くの謎がある。なぜ、CIAで特別な訓練を受けていないフアムがアル・カイダの中枢に入り込めたのか。なぜ、フアムはボディチェックを受けることなく基地の中まで入ることができたのか。なぜ、これほど多くのCIA局員が一度に彼のところに近づいたのか。なぜ、CIAはこの悲劇を防げなかったのか。著者はこの謎に光を当てるために、時計の針を2009年1月にまで巻き戻す。

ワシントン・ポスト記者であり、ピュリッツァー賞受賞経験のある著者は、この本のために、200回以上に及ぶインタビューをアフガニスタン、ヨルダン、トルコ、アメリカの各地で行ったという。生の声を基に当時のCIAを取り巻く状況が簡潔に、しかし、臨場感溢れる文章運びで描き出されているので、アル・カイダ追跡を巡る情勢に詳しくなくとも、スパイ映画を観るように読み進めることができる。もちろん、インテリジェンス活動、組織がどのようなものであるべきかの教訓も与えてくれる。何しろ、本書の書評はCIAのHPにも掲載されている。

そもそも、ブッシュ大統領が掲げた「テロとの戦い」においてCIAはどのような役割を担っているのか。2009年2月にレオン・パネッタにCIA長官の座を渡すとき、マイケル・ヘイデン長官はこう伝えたという。

“あなたは対テロ戦争のアメリカ側の戦闘司令官なんだ”

CIAは、ペンタゴンやFBIなどよりも先に敵を察知する役割を背負ってきた。映画の中でしか目にする機会のない彼らが、実際にどのような業務を行っているのか、“ターゲッター”とはどのような職種なのか、本書にはその仕事ぶりが詳細に記されている。例えばCIAに情報を提供するNSA(国家安全保障局)には、年間5億ドル予算で運営される“タービュランス”と呼ばれる独自の検索エンジンがあるという。このシステムは、世界中のコンピュータに入り込み、情報を収集し続けている。

21世紀のCIAには、従来の業務範囲を超えた、重要な役割が課せられている。それは、攻撃してくる前の敵の抹殺である。ブッシュ政権末期の2008年中頃から、CIAは無人偵察機プレデターによるテロリストの隠れ家や訓練キャンプの攻撃を始めている。攻撃の最終判断はCIA長官が下すのだが、敬虔なカトリック信者であるパネッタは、攻撃の指令を下すときはいつも大きな葛藤を抱えていたという。それでもパネッタは、より大きな正義のためと信じて、週に一度は敵の抹殺指令を出し続けることになる。

そんなCIAの努力をあざ笑うかのように、アル・カイダは各地でテロ行為を展開していく。終わりの見えないテロとの戦いに終止符を打つために、CIAはあらゆる手段を取り始めた。個々の作戦の確度は低くとも、どれか1つがアル・カイダにまで届けばよいとばかりのやり方である。そして、このCIAの潤沢な資金力に物を言わせた気長な作戦が、フアムを引き当てた。このような戦略をとっている以上、当然作戦の精度は高められない。そのため、敵陣の本丸に送り込まれたフアムも大した訓練は受けておらず、CIAもフアムについて十分な情報を持っていなかったという。

もともとフアムは、2009年に二重スパイとなる前から、一部の間で有名人であった。彼は2007年頃から、イスラム過激派の情報発信地ともいえるウェブサイト『アル‐ヘスバ』に、“アブ・ドゥジャナ”という名前で扇動的な反米記事を投稿し続けていたのだ。“アブ・ドゥジャナ”ことフアムが書く記事は多くのファンを集め、アル・カイダの幹部にも熱心な信奉者がいたという。彼がCIAに“二重”スパイ(原著では、スパイでなくAgent)として認識されていたのは、そして“タービュランス”に発見されたのは、この活動のためである。彼が単なる扇動者から二重スパイへ変えられていく様子、二重スパイとして敵地へ潜入し、三重スパイへと変貌していく過程には、何ともハラハラさせられる。

本書にはCIA局員の私生活やキャリア変遷などが細かく描き出されているため、彼らの死は、「遠い世界の工作員の死」以上の意味を読者に突きつけてくる。危険と隣り合わせの職業と覚悟はしていても、死への葛藤や、地球の裏側に残してきた家族達への思いを完全に拭いきることなどできはしないのだ。そして、それはフアムも同様である。彼にも愛する妻や子どもがいた。信じる正義があった。あらゆる葛藤の末に彼は、三重スパイになることを選んだのだ。命を賭しても守りたいものがぶつかりあう先には、悲劇という結末しかありえないのか。そして、そんな現場にまで入り込むセクショナリズムや、権威主義を乗り越えることはできないのか。遠く離れた土地での圧倒的な現実が、身体にまとわり付くような疑問を投げかける。

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フェア・ゲーム

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  • 作者: ヴァレリー・プレイム・ウィルソン, 高山 祥子
  • 出版社: ブックマン社
  • 発売日: 2011/10/29

イラクの大量破壊兵器の存在を裏付ける証拠が捏造されたものであることをジョゼフ・ウィルソンが指摘したことから、その妻ヴァレリー・ウィルソンがCIAエージェントであることが暴露された。CIAエージェントにとって、身分の暴露は死刑宣告に等しい。また、この暴露には時の政府高官が関わっており、政府を巻き込んだ一大事件へと発展していく。書影を見ると、凄い名前の組み合わせが並んでいる。この事実の物語を基にした映画も作成されているが、ナオミ・ワッツとショーン・ペンが格好いいのだ。

アルゴ (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) (ハヤカワノンフィクション文庫)

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  • 作者: アントニオ・メンデス, マット・バグリオ, 真崎 義博
  • 出版社: 早川書房
  • 発売日: 2012/10/4

ホメイニを指導者として起こったイラン革命の影響で、イランのアメリカ大使館が襲撃された。そこでは多くの駐イラン・アメリカ大使が人質とされた。一部の大使は大使館から間一髪で脱出していたが、国外まで逃れることはできず、カナダ大使の邸宅に匿われていた。CIAに課された任務は、このアメリカ大使達を無事にアメリカにつれて帰ること。この無謀な任務の作戦名が『アルゴ』である。何と、映画の撮影を口実にイランに入り込もうという作戦である。こちらも事実を基にした映画が作成され現在公開中であるが、ベン・アフレックが格好いいのだ。東えりかによるレビューはこちら

シークレット・ウォーズ

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  • 作者: ロネン バーグマン, 佐藤 優, 河合 洋一郎
  • 出版社: 並木書房
  • 発売日: 2012/10/4

CIAはなぜイラン革命を防げなかったのか。モサドはなぜ、イランに対する警戒を高めることができなかったのか。圧倒的なボリュームで、アメリカ、イスラエルのイランにおける活動の実態を暴きだす一冊。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
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