本書は東京都水道局の現役課長による、江戸時代をテーマとした経済書である。著者は法学部を卒業後、東京都に就職し、45歳を過ぎてから経営学の分野で博士号を取得した。2007年には「M&Aと提携が財務業績に及ぼす影響」という論文で日本管理会計学会論文賞を受賞している。謹厳実直な御役人の趣味は、奔放な経済学だということなのだろうか。
本書の「あとがき」では「“一物多価”と競争の積み重ねが、経済の活力に結び付いたといえるでしょう」と結論づけている。著者は自由主義経済の効用を認めつつも、江戸時代の通貨制度に新しい経済学のヒントを見つけたようだ。
金・銀・銭という複数通貨システムによって、日本人の経済感覚が研ぎ澄まされたと評価していて、地域通貨などへの応用も視野にいれているようだ。ともあれ、本書は読み物としても抜群に面白い。おなじみ遠山の金さんを引き合いにだしながら、バラマキよりも、金融や流通システムを活用した成長戦略のほうがうまくいったと暗に現政権政党を批判してみせたりする。
その遠山の金さんが差配していた町奉行所の50人あまりの与力は下級武士であり、200人ほどいた同心は武士ですらなかった。しかし、彼らは司法・警察業務だけでなく、札差管理という金融行政や通貨管理なども担当していたため、じつは大名並みの暮しをしていたという。
その大阪町奉行所の与力だった大塩平八郎は庶民から「世直し大明神」と呼ばれた。私利を貪った船場の豪商に火をかけ大坂に大火をもたらしたといわれている。著者は大塩の人気は「天保改革の超デフレの中で、不景気に沈んでいた大坂の市街が乱で焼失したため、にわかに好景気が到来した」からだという。
それどころか、著者は安政六年の江戸城本丸の炎上も幕府による犯行ではなかったのかと疑ってかかる。国内における金と銀の交換率が、外国人にとって有利だったため、金の国外流出がつづき、それを阻止するための自作自演の放火だったというのだ。
そのバックグラウンドとなったのは、金融における江戸と大坂の大きな違いだ。江戸では枚数を数える計数貨幣の金が、大阪では重さで量る秤量貨幣の銀が使われた。また、江戸では利子は単利で計算されたが、大阪では複利だった。まさに、東京一極集中排除を論じるときの金融特区を彷彿とさせるような逸話でもある。
本書は七分積金という生活保護制度も説明している。現代でも悩ましい支給における公正・公平性に、江戸時代の役人たちも苦労していたらしい。町奉行から老中に「怠けたがゆえに困窮した者に手当を与えるのは、かえって本人をタルませる」と報告書がでているのには驚いた。江戸時代の官僚機構は現代よりもずっと風通しが良かったのかもしれない。
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それにしても江戸時代というのはじつに面白い。江戸時代から無理やり教訓を得るつもりはまったくない。それほど物知らずのお人好しでもない。しかし、楽しげな国に住む、遠い親戚の暮らし方を見るような気がするのだ。なんともいとおしく、どこか懐かしいような気がする。明治維新から太平洋戦争までの日本人にむしろ違和感を感じるのだ。
江戸の町は日本という閉じた世界の中心だった。ところが明治維新で日本人は日本というアイデンティティに目覚め、したがって日本も江戸も世界の片隅だということに気付いてしまった。開国は必然だったとはいえ、明治維新以来の薩長土肥のよる支配は日本国内の辺境人による世界における辺境国支配となった。この時に日本はユーモアとエレガンスを失ったような気がする。
このことについては今月の歌舞伎観劇記で書いてみよう。