名画にはワケがある 『構図がわかれば絵画がわかる』

2012年12月28日 印刷向け表示
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構図がわかれば絵画がわかる (光文社新書)

作者:布施 英利
出版社:光文社
発売日:2012-10-17
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美術館で目にする名画はどれも個性的だ。セザンヌならリンゴ、ピカソなら女性(美女?)とお決まりのモチーフが複数の作品に繰り返し登場する。単に写実的かという観点から見ると、素人目には必ずしも上手いとは言いがたいものも見受けられる。

言わば「ヘタウマ」の彼らの作品だが、決して他人は真似できない。そして、じっと見ているとなぜか感銘を受けてしまう。一体その感動の源泉は何か、「絵画の構図」を鍵にその謎を解き明かしてくれるのが本書だ。

一度目にしたら忘れられないほど衝撃的な作品と言えば、ピカソの『ゲルニカ』とムンクの『叫び』。どちらも「叫んでいる」人物が画面に登場するという点では似た主題の絵と言える。

『ゲルニカ』に描かれているのは戦争の場面。ナチスの空軍がスペインの小さな町ゲルニカで、無差別に民間人を殺戮している光景が描かれている。ゲルニカ空爆のニュースをパリで知ったピカソは強い衝撃に駆られ、怒りを爆発させ『ゲルニカ』を短日時に一気に描き上げた。

激しい絵だ。体が引きちぎれ、手や首がばらばらになっている男。ウマやウシは狂ったように暴れ、子を亡くした母は天に向かって泣き叫んでいる。しかし『ゲルニカ』の画面全体を支配しているのは静謐なトーンだ。

他方ムンクの『叫び』には殺戮もバラバラになった死体もない。海は穏やかで、遠くの紳士は静かに佇んでいる。しかし手前の男は、なにかに怯え、不安に駆られ、狂ったように叫びのポーズをしている。静けさとは反対の、沸き立つような騒々しさがある。

静と動。全く異なる印象の理由を紐解く鍵は三角形。この2枚の絵の構図には正反対の要素があり、それが逆の世界を作り出す原因になっている。

『ゲルニカ』は一見バラバラで混沌とした光景に見えるが、画面中央の上部に描かれた、手に持ったランプを頂点として三角形が画面に大きく描かれているのが分かる。その三角形の斜辺は、ランプの光が照らす光と闇の境界のラインでもあり、左の角は死んだ子供へと、右は中腰になった女の左腕と膝へと、三角形の構図を作っている。

この三角形、古代エジプトのピラミッドから始まり、美術において重要な形態であり続けた。古代ギリシアの神殿といえば三角形の破風に収められた彫刻がイメージとして思い浮かぶ。底辺が広く、重心が安定した三角形は、構図の効果として、見る人に「安定」の感覚を与える。

ピカソ自身も古代ギリシア美術に多くの影響を受けている。『ゲルニカ』には、古代ギリシアの神殿と、そこに収められた彫刻を連想させる驚くべき一致がある。凄惨な戦争の一場面であってもそこに静謐さや神々しさすら感じるのは、やはり三角形の構図によるところが大きい。

他方、ムンクの『叫び』の構図は「逆三角形」になっている。三角形が安定なら逆三角形は「不安定」の構図、その効果と作品に込められた不安という主題が見事に合致している。

今度は『叫び』『モナリザ』を比較してみよう。ここでキーとなるのは色彩遠近法。この原理はシンプルで、青い色は遠くにあるように見え、赤い色は、飛び出して、近くにあるように見える、というものだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、「自然の風景の中で遠くの山を見ると、山は青く霞んで見える」とメモに残している。空気の層が光を青く変えており、その極限が青空。ダ・ヴィンチはこの観察をもとに、風景画を描くに当たって遠くにある山ほど青く描いた。これは自然の理法に即した色彩による遠近法で、『モナリザ』の風景にもこの色彩の原理が使われている。

ムンクの『叫び』は、この色彩遠近法の原理からも『モナリザ』とは正反対のやり方で描かれている。『叫び』には画面上部に真っ赤に染まる空がある。ここでは、絵の空間構成からして一番奥にあるはずの空が激しい赤い色によって手前に飛び出して見えるという逆遠近法の効果が現れている。

『モナリザ』が色彩遠近法によって自然な奥行きを実現しているのに対して、『叫び』の色彩は空間を破壊することで落ち着かない不安定な気分を醸し出し不安を増長させる。この男の叫びを視覚的な空間として造形するには最も適したやり方だ。

このように、一見するとヘタウマで誰にでも描けてしまうような名画には、実は巧妙に仕組まれた構図の技法が随所に盛り込まれているのだ。

ポップアートの旗手であるアンディ・ウォーホルの作品といえば、マリリン・モンローやプレスリー、毛沢東といった女優・ロックスター・政治家の実物ではなく、雑誌や新聞に載った写真をモチーフにしたものが有名だ。写真を拡大コピーしたり、アシスタントに色を塗らせただけで、自分の手では描かれていないことも多い。しかし、薄っぺらな、ぺらぺらな感じの作品の裏に見える「崇高さ」や強さはどこから来るのか。

美術大学時代の同級生は美術学生だった彼を回想し、

「ウォーホルは、同級生の仲では、どうも目立たない学生だったよ。ただ、素描の技術は見事だった」

と証言している。ウォーホルの技術を持ってすれば、精巧で”立体的”な描写や作品などいくらでも作れるはず。

しかし、あえて絵画をうすっぺらの軽いものと見せることによって、”二次元”である絵画の本質、存在の魅力が逆説的に見えてくる。そのときに人は「絵画というDNAは強い」ことを思い起こす。ウォーホルは絵画を「殺す」ことによって、あらためて絵画というもののDNAが持っている絶対的なゆるぎなさをあらわにした。だから、彼の作品は崇高なオーラを放っているのだ。

真の花は、咲く道理も、散る道理も、人のままなるべし。 (世阿弥『花伝書』)

さらに著者は、完璧な構図が美しいのではなくそこに「破れ」が入ったときに美は完成する、と主張する。

「書のモナリザ」とも言える王羲之の書『蘭亭序』。絵で言えば「デッサン力抜群」の完璧な文字が並ぶ。ところが、書き進むうちに乱れが生じ、さらに書き損ないをして、それを墨で黒く塗り、正しい文字を書き直している。

普通で言えばこれは失敗作だが、王羲之はこれを「作品」とした。この書き損ないこそが、美を「完成」させている。ここで大切なのは、書の冒頭でいきなり書き損じをしたのではなく、完璧な文字の書から始まり、終わりに近づいたところで「破れ」が生まれたということだ。はじめから乱れていたら、適当な作品にしか見えないだろう。

また、ビートルズの『オブラディ・オブラダ』にもこの「破れ」が存在する。

この唄の歌詞は、市場で働くデズモンドという若者が、モリーという歌手の女の子に恋をして結婚するというストーリー。子供が出来た後も甘い家庭を築き、モリーは家で化粧をし、夜になるとバンドのシンガーを務める。

ところが甘い家庭の様子が同じ歌詞で繰り返させる2度目にはデズモンドとモリーが入れ替わる。男のデズモンドが化粧をして”she’s a singer”と夜にバンドで唄をうたってしまう。

(※こちらの動画で1:45 ”does her pretty face”と2:35 ”does his pretty face”に注目!)

実はこれ、ポール・マッカートニーがレコーディング時に歌詞を間違えたのだ。それを聴いたジョン・レノンが、こっちのほうが面白い、とそのまま作品にしたというのだ。これぞジョンの真骨頂。どちらが男でどちらが女か、この歌詞の「破れ」が深みを生み、聴衆は訳が分からなくなったところで、見たことのない世界に迷い込んだ気分にさせられてしまう。

守破離、正反合……。芸術に限らず、一流のパフォーマンスを発揮するには徹底した基礎の積み重ねによるスタイルの確立が決定的に重要だ。日々之精進。鍛錬の結果、意識せずとも技が繰り出せるようになってはじめて、その基礎を超越・逸脱しても様になって見えるようになる。オキテ破りの特権は、真にその道を極めたものにのみ許される。厳しさの先に広がる愉しさの境地に、いつの日にか私も達してみたいものだ。

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著者の布施英利氏の専門は美術解剖学。なぜ芸術作品を美しいと感じるのか、分析的に美の謎に迫りたい方には他の著作もおススメ。

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