『料亭「吉兆」を一代で築き、日本料理と茶の湯に命を懸けた祖父・湯木貞一の背中を見て、孫の徳岡邦夫は何を学んだのか』新刊超速レビュー

2013年10月7日 印刷向け表示
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9月半ば、台風18号が本州を襲い、各地に大きな被害をもたらした。特に驚かされたのが京都の洪水だ。桂川が氾濫し、嵐山の渡月橋が今にも流されそうな映像に胸を痛めた人は多かっただろう。

嵐山の料亭といえば「吉兆」である。ブログに寄れば洪水は吉兆の門まで来たが、幸いにも庭の一部が浸水しただけで、建物自体に大きな被害はなかったそうだ。

この長い長いタイトルの新刊は、この京都吉兆嵐山本店三代目総料理長である徳岡邦夫が、創業者である祖父、湯木貞一に対する深い思いを書き尽くした一冊である。

工夫して心砕来る想いには花鳥風月みな料理なり

吉兆の理念として湯木貞一が打ち出したのは「世界之名物 日本料理」というものだった。日本料理は単なる料理ではなく、茶道に基づいた佇まいや侘び寂びの気品を持ったもので、これは日本料理にしかない。だからこそ、世界之名物と銘打ったのだ。その極意が先の言葉である。孫の邦夫に意味を問い、その場しのぎのあやふやな答えに烈火のごとく怒った貞一はこう言い放つ。

心砕くる思いとはな、工夫して工夫して、寝ても覚めても考えて、やっとでき上がっても、相手に気に入ってもらえず、まさに心が砕け散る、そんな思いや、わかるか。日本海の断崖に大波がバーンと当たるやろ、自分の思いがあの波のように散り散りになっていくんや。それでも、料理というもんは、やっていかなあかん

昭和5年、湯木貞一は29歳で大阪市西区新町に「御鯛茶處吉兆」という小さな店を出した。この店には茶釜が備えてあり、食後で茶の湯でお茶を点てるという斬新なものだった。精魂込めて作った料理をお客様にゆっくり食べていただく。このスタイルが当時の文化人たちの間で評判になり、客足は増えていった。

開店資金を返済すると、今度は高価な茶器を、金を惜しむことなく購入し始める。表千家に入門し、茶人としても著名な貞一は料理人の顔と同時に茶道具の収集家としても世に知られている。しかしただ集めるだけでなく、惜しみなく日頃の料理を盛り付ける器に使う。写真に残されたその姿は斬新で、海外からの著名な料理人も参考にしたという。魯山人の大鉢に何を盛り付けるか、きっとワクワクしながら考えていたに違いない。

先見の明を持つ貞一は、経営自体も株式会社化し、大阪、京都、神戸、東京の各支店を独立させてグループ会社制とし、子どもたちそれぞれに託し独立させた。

その衣鉢を継いだ徳岡邦夫の奮闘が始まる。平成7年、35歳で「京都吉兆」の三代目総料理長になった邦夫は、貞一の伝統を引き継ぎつつ、バブルがはじけ、客足が遠いたピンチをチャンスに変えようと、合議制や大卒者の受け入れなど大胆かつ柔軟な改革に乗り出す。

船場吉兆の賞味期限切れ問題など多くピンチはあったものの、一度は京都で食べてみたいお料理、それが嵐山吉兆だ。昼食36750円のコースが毎月ウェブサイトで紹介されている。美しく盛り付けられた料理写真を眺めながら本書を読んだ後、やはり一生に一度はこのお料理を味わってみたいと心からそう思った。

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