『あくびはどうして伝染するのか』 - 人体という驚異のデバイス

2013年11月11日 印刷向け表示
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あくびはどうして伝染するのか 人間のおかしな行動を科学する

作者:ロバート・R・プロヴァイン
出版社:青土社
発売日:2013-10-24
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科学の本というより科学的思考に関する一冊。

あくび、くしゃみ、せき、しゃっくり、わらい、くすぐりなど、これまであまりにも当たり前すぎて、きちんとした科学による検証がなされてこなかった人間の不可思議な行動たち。その深い一般認識と乏しい科学的存在のギャップを埋めるべく、著者は数々の実験を試み、科学の範疇にプロットしていく。

各々が独立した章としての読み物になっているだけではなく、これらの行動を横断的に見ていくような記述が随所に散りばめられているのが面白い。その着眼は、デバイスとしての人体、社会的シグナルとしての生理現象という点に集約される。

例えば1962年にタンザニアで発生した笑いの伝染病。女子学生の中で笑いの発作が次々に起こり、それが急速に大流行したのだ。笑いはインフルエンザのように大流行して14校もの学校が休校に追い込まれるほどひどかったという。

また、今年日本では涙活が大流行したが、中南米には共に嘔吐することで浄化と心の触れ合いを求める人々がいる。そこでは『モンティ・パイソンの人生狂騒曲』『エクソシスト』など激しい伝染性嘔吐のシーンの抜粋ばかりを上映するフィルム・フェスティバルが開催されているのだ。

このような不随意な行動には、社会的な信号としての役割が潜んでいる。だが研究という点においては、生物学者と社会科学者のエアポケットのような領域になっており、長らく手つかずとなってきた。この隙間を縫うように、著者は検証していく。

さて標題の、あくびはどうして伝染するのかという件。シグナルに着目するからには、情報の発信と受信という二つの側面を考えらなければならない。すなわち自然発生的に起こるあくびと、伝染性のあくびである。

自然発生的に起こるあくびの特徴は、強い自己認識によって抑制されうるということだ。ある実験において、テレビカメラの取材が入ったとたん、被験者達は思うようにあくびが出来なくなったという。自由意志であくびができないということ自体、無意識によってコントロールされていることの何よりの証である。

一方で受信側となる伝染性のあくびについては、あくびの検知機能に着目する。たとえば自閉症スペクトラム障害の患者には、自然発生的なあくびは見られたが、伝染性のあくびは見られなかったという。これらの現象は、伝染性のあくびが比較的新しい進化的起源を持ち、他人に共感することや感情的つながりを持つ能力と深い関係があることを示唆する。

これは時節柄、深夜にまで及んだ飲み会の風景などを想像してみると理解しやすい。まず、誰からともなく発生する「ふわぁ〜」というあくび。するとそれが誰かに伝染し、あくびが連鎖する。それを見た誰かが、「もうこんな時間か、そろそろ帰るか」と声を発し、集団は立ち上がる。

あまりにも普通のやりとりで見過ごされがちだが、もし伝染性のあくびという行動がなければ、この飲み会は朝まで続いたのかもしれない。そしてあくびが伝染した瞬間、感情のさざ波が起こり、集団のメンバーは集合体的な超個体へと変化したのだ。このような不随意の生理現象に、コミュニケーション上の意味が付与されると、SFのような世界が身近で繰り広げられていることに気付かされる。

また本書には、行動のキーボードという表が添付されており、さまざまな行動をコントロールの随意性を軸に対比していく。ここからは、いくつかの興味深い事実が得られる。その一つはあくびが、ゆっくりとしたくしゃみに似ているというものだ。実際にあくびのビデオ映像の速度を上げると表面的にはくしゃみに似ており、その逆も示される。

さらには、あくび、くしゃみの表情とオーガズムの関係にも踏み込んでいく。著者は性的オーガズムの決定的シーンばかりを集めたサイトを紹介し、これらの動作はどれもクライマックスで終わるということから、共通の神経行動学的遺産を共有しているのではないかと指摘する。実際にサイトを見るとちょっと微妙な印象も受けるが、着眼が面白い。(※注:音声をオフにしてから左下のFREE PREVIEWをクリック)

この他にも、私たちの先祖にあたる霊長類のはしゃぎ回った時の「ハアハア」という息遣いが人間の「ハハハ」という笑いに進化したという話や、くすぐり合うことが成人になると性行為へと発展していくなど、興味深い事実がいくつも紹介されている。一番驚いたのは、おならで信号を送り合うニシンの例である。ごく一部のニシンにおいては、おならが仲間を集めて捕食動物を回避する役割を果たしているそうだ。

著者はこれらの研究を「小さな科学」と呼ぶ。それは取るに足らないからではなく、途方もない道具や莫大な予算を必要としないことに起因する。入り口の障壁が少ないため、即座に行動できる最も民主的な科学なのだ。この種の研究の延長線上にノーベル賞のような栄誉はないかもしれないが、イグノーベル賞級の面白さがある。

僕はこの手の本をよく買うのだが、積ん読のまま終わってしまうケースも多い。だが夜中にふと、本書の表紙を見ながらあくびをしている自分に気付いたことがきっかけで、手にすることとなった。げに恐ろしきは、あくびの持つ伝播力。

理性という薄皮を一枚めくると、そこには古くて新しい世界が広がっている。言葉のない太古の時代から、まるでテレパシーのようなコミュニケーションが交わされていたのかと想像すると実にシュールだ。人体に予め備わっていたウェアラブルデバイス。科学のフロンティアは、私たちのあまりにも身近な日常に潜んでいる。 

正直シグナル―― 非言語コミュニケーションの科学

作者:アレックス(サンディ)・ペントランド
出版社:みすず書房
発売日:2013-03-23
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高村和久のレビューはこちら 

動物が幸せを感じるとき―新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド

作者:テンプル・グランディン
出版社:NHK出版
発売日:2011-12-21
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作者:成毛 眞
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