『新・ローマ帝国衰亡史』 by 出口 治明

2013年11月13日 印刷向け表示
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新・ローマ帝国衰亡史 (岩波新書)

作者:南川 高志
出版社:岩波書店
発売日:2013-05-22
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5月に出版されたのに、新書なので「薄くていつでも読める」と、ついつい積ん読本になってしまっていた。こんなに面白い本なのに、申し訳ないことをした、という自責の念でいっぱいである。

エドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」は、長年の愛読書の1冊であるが、この『新・ローマ帝国衰亡史』のどこが面白いのか。それは、ローマ帝国を辺境から眺めているからである。ローマ帝国は、地中海の帝国ではない、むしろ、大河と森の帝国であった、と著者は喝破する。アウグストゥスの時代、イタリアの人口700万人に対して、ガリア・ゲルマニア地方の人口は580万人、ドナウ地方の人口は270万人であった。

しかし、1世紀の後半から、ローマ市など、古いイタリアではなく属州などの出身の「新しいローマ人」が増え、その150年ほど後、マルクス・アウレリウス帝の時代には、イタリアの人口760万人に対して、ガリア・ゲルマニア地方が900万人、ドナウ地方が400万人に増えていくのである(数字・ファクト・ロジックは強い)。帝国の重心は、地中海から大河と森へと確実に移っていたのである。そして、大河と森の住民であった「ゲルマン人」「ゲルマン民族」は、「固定的で完成された集団とは考えられていない」「非常に流動性の高い集団」と捉えなおす現代の歴史学の地平が語られる。極論すれば、衰亡の最大原因とされる「ゲルマン民族」は、存在しなかったのである。

著者は、広大なローマ帝国を実質化していた3つの要因を、次のように述べる。まずは、軍隊の存在。もっと言えば、ローマ人であるという兵士たちの自己認識。次に、ローマ人であるために相応しい生き方の実践。そして、都市をはじめとする在地の有力者たちとの共犯関係。そして、核となる「ローマ人である」というアイデンティティが、誰かを「排除」するものではなく、むしろ多様な人々を「統合」するイデオロギーとなったことである、と。

この大帝国に衰退の影が忍び寄るのは、4世紀のコンスタンティヌス大帝の時代である。コンスタンティヌスの根拠地は、ガリアであった(そう言えば、カエサルもガリアからスタートした)。そして、コンスタンティヌスが帝国の東方を戦い取るために、ガリアの人材が大量に活用された。同じことが、ユリアヌスによって再現される。ユリアヌスもまた、自ら得たガリアの力を伴って東に向かった。こうして、ガリア(帝国西半)は、2度にわたって、皇帝から置いてゆかれる格好となったのである。東方に精鋭軍団が移動したので、人材も枯渇した。置いてゆかれた西方を支えるのは、もはや外部族出身の「第3の新しいローマ人」をおいて他にはなかった。

コンスタンティヌスに始まった、帝国のキリスト教化は、その一方で、キリスト教徒たる「ローマ人」の排他的な共同体を志向し、異教と共に、第3の新しいローマ人を含む「蛮族」を排斥していく。このように、ローマ人というアイデンティティが変質する中で、ローマ帝国の西半は、378年のアドリアノープルの戦い(ゴート族に大敗。皇帝ウァレンスが死去)から、409年ブリテン島の離反と、諸部族のイベリア半島侵攻まで、わずか30年で崩壊した、というのが著者の見立てである。

読み終えて、心地よい知的興奮が残った。ふと、辻邦生の「背教者ユリアヌス」を再読したくなった。

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作者:辻 邦生
出版社:中央公論新社
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背教者ユリアヌス (下) (中公文庫)

作者:辻 邦生
出版社:中央公論新社
発売日:1975-02-10
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背教者ユリアヌス (中) (中公文庫)

作者:辻 邦生
出版社:中央公論新社
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出口 治明

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*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
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