『ホームレス歌人のいた冬』 解説 by 小倉 千加子

2013年12月25日 印刷向け表示
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ホームレス歌人のいた冬 (文春文庫)

作者:三山 喬
出版社:文藝春秋
発売日:2013-12-04
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本書を私もまた、公田耕一の謎を解いてくれるものだと思い込んで、読み進めていたのは事実である。しかし、本書の読みどころはそこではなかった。著者は読者の期待を裏切ったのだろうか。

 

一面で「内閣支持急落22%」と麻生内閣の不人気を伝えた二〇〇八年十二月八日、「朝日歌壇」欄に公田耕一は彗星のように現れた。複数の選者に重複して評価された☆マークを三首で六つ獲得したのである。

 

公田耕一の登場に鮮烈な印象を受けた人々は、その日から公田の作品に深い共感と応援を送ってきた。

 

しかし、翌年九月七日の入選作を最後に公田耕一は突然姿を消す。九か月間に二十八首の入選作を残して公田耕一の歌人としての活動はなぜか終わりを告げる。

 

それから半年、フリーの雑誌記者を十年続けて五十歳近くなった三山喬は、絶望的な出版不況に「異業種への転職もやむなし」と、電話で知り合いの雑誌編集者と最後の挨拶のつもりで話をした。その際、なぜか「もしやるなら」と「ホームレス歌人をめぐるドヤ街のルポ」のプランを話した。本人は短歌に関しては「ド素人」であると言う。公田の活躍を同時進行で見つめていたわけではない。しかし、その企画が即決で通ったことから、ライター人生を続けることになった。彼は横浜寿町のドヤ街で地を這うようにして公田耕一の探索を始める。

 

三山喬はフリーになる前、朝日新聞の記者だった。東大経済学部を卒業後、朝日新聞東京本社学芸部・社会部などに十三年間籍を置いていたのだ。三十代後半で朝日新聞社を退社してペルーに移住。南米でフリージャーナリストをしていたが、九年後の二〇〇七年に帰国している。

 

「中高年独身者で仕事にも行き詰まった私は、介護つき老人施設に移った父親の留守宅を預かる、と言えば聞こえがいいが、現実にはもはや、そこしか居場所がない状態にあった。住民税や国民健康保険料の支払いすらままならない日々が続いていた。五十歳を前に、いよいよペンを折り、第二の人生を考えるか。この歳ではもう、ろくな選択肢はないことは、何回かのハローワーク通いでわかっていた」(本書50ページより)

 

三山の故郷は神奈川県藤沢市である。元朝日新聞記者と「朝日歌壇」の投稿者というだけではない符合の一致が公田耕一と三山喬の間にはあった。三山喬という人は「ホームレス歌人」を探すのに最も相応(ふさわ)しい人ではないかと思われる所以(ゆえん)である。

 

取材を始める前の「職業人生の秋」に、三山はある業界紙の面接を受け、「あなたは組織との関係に問題がある」と面接官に言われて落とされる経験をしている。

 

「貧困」は、三山にはジャーナリストとしての単なるテーマではなかった。南米にいた時、三山は「貧困」を政治の問題、社会の問題として捉えることをしたが、それだけではすまないものがあることを三山は知っていたようである。自分の性格について考えてしまうのである。そして反省せずにはいられない。

 

三山喬が公田耕一を見る目は殆ど完全に自己を投影したものである。公田耕一もまた組織との関係に問題があった人なのではないか。

 

公田耕一がホームレスになった理由に、三山喬は「性格悲劇」を見ているのだ。

 

三山喬は自らの人生を生き直すために、公田耕一を探し求める。

 

三山のこの過度の正直さとイノセンスは、公田耕一その人を上回るものである。

 

三山は、公田耕一が経験したはずの路上生活の「最初の晩」を追体験しに行く。

 

ホームレスになると人は「最初の晩」から二、三日は眠れないという。自分の境遇についてくよくよ考えるからではない。家を出るまでに考えるだけのことは考えてきた。もはや家を出た過去を振り返ることはしない。

 

「最初の晩」に眠れないのは、「前から寝てる人たち」にどう声をかけたらよいか、まだ分からないからである。先住者に受け入れてもらわなければ生活することはできない。

 

しかし三山を眠らせなかったのは、新参者としての怯えではなく、夜の「寒さ」であった。自分を見る通行人の「冷やかな視線」もあった。三山は公田とは違って路上生活を経験しに行ったのだから、切実に「前から寝てる人たち」に声をかけてもらいたかったわけではない。三山は、自分の感じた「冷たさ」は、公田の感じた「冷たさ」とは全く違うものだという気持ちを再確認する。

 

三山が自らの位置を公田耕一とは乖離(かいり)しているとする認識はこの作品に通底するものであり、公田耕一と同一視すればするほどそれを否定しようとする著者の謙虚さは読者に強い印象を与える。

 

「野宿者の最も本質的な部分、つまり帰るべき家を失うという退路を断たれた感覚は、本物のホームレスにならなければ、絶対にわからないことである」(本書14ページより)

 

しかし、「本物のホームレス」である公田耕一もまた「本物のホームレス」らしくはなかった人であることが明らかになっていく。三山は公田が自分のように生き延びる上では余計な自意識を持った人であったと推測する。そして、「朝日歌壇」読者の多くが公田に感情移入したのは「最近まで“自分たちの側”にいて、転落してしまった人に違いない」と受け止めたからであると考える。

 

問題はなぜ公田耕一が“自分たちの側”から転落していったかである。

 

公田耕一に冬のイメージがあるのは、「朝日歌壇」に彗星のように現れたのが十二月八日であったことと関係があるのだろう。

 

三山の本のタイトルは『ホームレス歌人のいた冬』となっているが、公田耕一が歌壇デビューしたのはただ冬であっただけではない。

 

「それもリーマンショックに続く冬、年越し派遣村のあった『あの冬』である」

 

その年の冬、これまでと違い、路上で寝ようにもどうしたらいいかわからない人たちまで、大勢放り出されたのだと、三山は支援者から聞いた。

 

公田耕一なる人物については、当初からシニカルな見方がなかったわけではない。

 

「不況に苦しむ弱者を詠みたかった」ために「選者や読者の心をつかむ」目的で自らの身分を偽ったとする「身元詐称疑惑」などはその代表的なものである。

 

石川啄木の「ぢつと手を見る」と比較して、公田の歌に「手」即ち「焦点を絞って感情移入をした作品が少ない」という指摘などは、なるほど短歌的に首肯できる指摘である。

 

しかし、三山喬はホームレス歌人という設定がたとえ虚構のものだったにせよ、公田耕一という投稿歌人が存在し、空前の反響を巻き起こしたことは、記憶され、語り継がれる価値があると考えたのである。

 

単行本版の『ホームレス歌人のいた冬』の「あとがき」の日付は「二〇一一年三月五日」となっている。原稿を書き上げた六日後の三月十一日、日本をあの大震災が襲った。

 

ホームレスという設定が虚構であるか否かを識別することに意味があると思われないのは、福島第一原発事故以降、私たちは程度の差こそあれ、みな「ホームレス」だからである。

 

「ホームレス歌人」が詐称であろうとなかろうと、公田耕一は避難所の生活と同じ「鍵を持たない暮らし」についていち早く謳った人である。

 

「鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか」

 

二〇〇八年の暮れ、公田は寿町のドヤで生活をしていた。そういう生活を詠むということは、それらが公田にとってまだ「当たり前の生活」になっていなかったからだと三山は考える。公田は何らかの経緯で寿町には来たものの、往来で酒を酌(く)み交わす住民にはなじめなかった。

 

三山にとって利用できる資料は公田の投稿した歌だけなのだが、そこから三山は公田の行動半径を特定していく。

 

三山は「寿日雇労働者組合」の職員・近藤昇氏に話を聞いている。かつて朝日新聞が公田に「連絡求ム」と紙面で呼びかけた時、近藤氏は組合の掲示板に、「ご連絡したいことがあります」というビラを貼りだした人である。投稿謝礼の受け取り窓口になってやろうという、組合職員としては普通の思いからである。

 

そこで、三山は公田に関する重要な事実を聞かされる。

 

得難い事実をまるで取るに足らない出来事のように語る近藤氏に三山が驚くこの箇所が、私は本書の中で一番好きである。「表現する人」と「人をサポートする人」の違いに「表現する人」の側が驚いている。

 

人が生きる上で表現すること、他者をサポートすることのどちらが重要であるかを比較することはできない。公田耕一はホームレスになる前から「表現する人」であり、そのことは、彼が「親にもなれずただ立ち尽くす」ことの原因と言えないことはない。

 

それでも著者は、何人もの地元関係者から同じ言葉を聞く。

 

「表現できる人は幸せだ」

 

表現することの両義性に、公田耕一も三山喬もあがいている。そのことが心を揺さぶるのである。

(小倉 千加子・心理学者)

  

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