『ケプラー予想』文庫版訳者あとがき by 青木薫

2014年1月10日 印刷向け表示
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本稿は、2013年12月に文庫化された『ケプラー予想』の訳者あとがきです。2005年4月に刊行された単行本『ケプラー予想』の訳者あとがきはこちらから(※編集部)

 

ケプラー予想: 四百年の難問が解けるまで (新潮文庫―Science&History Collection)

作者:ジョージ・G. スピーロ
出版社:新潮社
発売日:2013-12-24
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本書『ケプラー予想 四百年の難問が解けるまで』の単行本のための翻訳に取り組んでいたときのこと、私はおもちゃ屋さんでビー玉を大人買いした。適当に見つくろった容器の中にビー玉を配置してみたり、おおざっぱに充填密度を計算してみたりするためだ。また、読者のみなさんの理解の助けになればと、原書にはない球の配置図を加えさせていただいたりもした。自分でビー玉をいじってみたことは、訳文を作る上でいろいろと役に立ったと思う。

しかし、恥ずかしながら告白すると、ビー玉をいくらいじってみても、ケプラー予想が正しいと実感することはできなかった。その理由はおそらく、ビー玉はただひたすらコロコロと転がるばかりで、何か安定的な構造を作るような気がしなかったからだろう。ケプラー予想が正しいことは子どもでも知っている、などと言われるけれど、本当にそうなのだろうか? クロード・アンブローズ・ロジャーズが言うように、この予想は「多くの数学者が信じ、すべての物理学者が知っている」のだろうか? 私は釈然としなかった。みんなは本当に、ケプラー予想が正しいはずだと確信していたのだろうか? そんな疑問が、ずっと心の中にわだかまっていたのである。

そんなわけで、このたび文庫化にあたって訳文に手を入れるのを機会に、そのモヤモヤの解消に取り組んでみることにした。私はまずオレンジをどっさり買い込んだ(オレンジは大好きなので、消費しきる自信はあった)。なんといっても、ケプラーの配置は、「八百屋がオレンジを積み上げるときの方法」だ、と説明するのが定番になっているほどである。ビー玉とは違ってオレンジならば、何か手応えがあるのでは?

そんな期待にワクワクしつつ、私はオレンジをテーブルの上にひとつひとつ慎重に配置していった。するとオレンジは、まるで自己組織化でもしているかのように、おのずとケプラーの配置になっていくではないか。その配置は美しかった。そして、まさにこれこそは自然によって選ばれた配置だという、威厳のようなものが備わっていた。

その確かな手応えに味をしめた私は、今度は2次元の場合を試してみることにした。オレンジを大量に買い込むのはそれなりにお金がかかるので大変だが、2次元のケプラー予想ならば、財布を痛めずに実験することができる。そのためには千円ほどのお金を10円玉に崩して、テーブルの上で並べてみればよい。なるべく隙間が小さくなるようにすると、十円玉はすぐに、一個のまわりを六個がとりまく六方配置をとる。10円玉が20枚や30枚しかないときは、その配置はグズグズとしてこころもと無いけれど、60枚、70枚、80枚……と、10円玉が増えていくにつれて、配置はどんどん安定していく。そのまま枚数が増えて二次元平面を埋め尽くせば、この配置はゆるぎないものになりそうだった。六方配置が最密充填なのは確実そうに思われた。

3次元の場合にも、3次元の場合にも、オレンジや10円玉の数が増えていくにつれ、配置は説得力を増してくる。これとは別の配置が、空間や平面の最密充填だ、などということがありうるのだろうか? そもそも、ケプラー予想が成り立たない可能性など、なぜ考えなければいけないのだろう?

こうして私は遅まきながら、ケプラー予想の正しさを経験的に実感した者の1人となったのである。physical(物理的)という言葉には「身体的」という意味もあるけれど、私は自分の手を実際に動かしてみることで、この問題の基礎にある物理的直観を、曲がりなりにも自分のものにしたといえよう。

そのうえで、あらためて本書に向き合ってみると、以前とはまた少し違った面が強く心に訴えかけてきたのである。ケプラー予想は正しいに違いないのに、それを数学的に扱おうとしたとたん、どう扱ったものやらわからなくなるという事態に愕然(がく ぜん)としたのである。

それをちょっとファンタジー風に言うなら、暗い森の奥にある湖のなかほどに、光り輝く聖剣が突き立っている、という情景に似ているかもしれない。聖剣が放つ強い光に引き寄せられて、不用意に湖に踏み入った者は、不気味な生き物に足をつかまれ、底なしの沼に引き込まれてしまうのだ。

本書は、その聖剣を手に入れるまでの、ほぼ400年にわたる数学者たちの群像劇である。「ケプラー予想」と題されたそのドラマに登場する数学者の人数は、なんと150人を超える。そのなかには、恵まれない生い立ちの天才の手を引いて、陽のあたる場所に連れ出すだけのために登場する者もいれば、手詰まりな状況の中で模索する主役級の人物に、状況打開のためのインスピレーションを与える者もいる。一方、キーパーソンとなる数学者たちは、おのおのが生きた時代の問題意識の中で、ときにはそうと知らないままに、この予想を攻略するための道具を開発し、それに磨きをかけるのである。

それら道具のひとつひとつの美しさ、面白さも、このドラマの楽しみのひとつだろう。また、本文中、活字を変えて示される少し詳しい説明にチャレンジした読者は、登山家たちが経験するような感覚を味わうかもしれない──1歩1歩、足場を確かめながら地道に小さな証明のステップを重ねていくと、いつのまにか思わぬ高みに達していて、ふと見ると眼下に雲海が広がっているという、胸のすくような眺めを目にするのだ。

登場する数学者たちが、それぞれに個性的なのもドラマに厚みを与えている。重要な結果を魔法のように取り出して見せる大天才もいれば、先を急ぐあまり薄氷の上に踏み出してしまい、惨憺たる結果を招く者もいる。また、大きなヴィジョンで進むべき道を示す者もいれば、問題の一角を徹底的に攻略する者もいる。

このドラマは、「ケプラー予想の証明」というテーマを軸として展開するが、実はもうひとつ、隠れた真のテーマがあると思うのである。そのテーマとは、「数学の厳密性」だ。本書を読み進めていくにつれ、数学者もまたひとりの人間だという当たり前のことが、生き生きと、温かみを持って伝わってくる。そして人間である以上、誤りは免れない。数学者といえども、落とし穴にはまることもあれば、怪しげな手を使ってしまうこともある。それにもかかわらず、数学者たちは集団として厳密さを追い求めることで、数学に「厳密な学問」という、他に類のない特別なステータスを与えることに成功しているのである。私はそのことに感動せずにはいられない。

考えてもみてほしい。もしも数学という土台がグズグズだったなら、科学者は何を頼りにすればよいのだろう? ヒルベルトが述べたとおり、「数学は、自然現象に関するあらゆる精密科学の基礎」なのだ。その意味において、科学技術に支えられた現代社会は、数学に対する厚い信頼の上に成り立っていると言うこともできるだろう。

16世紀末の船の上で始まったこの物語は、コンピューターなしには社会が機能停止を起こすようになった現代でひとまず幕を閉じる。しかし著者も言うように、数学者の挑戦は終わらない。今、本を閉じつつある読者のみなさんには、数学の厳密性とは何か、そして数学者はこれからどのように厳密性を追求して行くのかということにも思いをめぐらせていただけるなら、訳者として嬉しく思う。

2013年11月
青木 薫

 

 

 

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