一人の学者裁判官が目撃した司法荒廃、崩壊の黙示録!『絶望の裁判所』著者・瀬木比呂志氏インタビュー 最高裁中枢を知る元エリート裁判官による衝撃の告発

現代ビジネス2014年02月17日 印刷向け表示
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--裁判所のセクハラ、パワハラ等について、本書に記述されていることをも含めていかがでしょうか?

瀬木: これは、第5章の記述の中に含めざるをえないので書きましたが、あまり書きたくない部分ではありました。個人の問題もありますが、それ以上に裁判所という「精神的収容所」、「見えない檻」の中にいてストレスを被っている人間に不可避的に生じる問題という部分もあります。不祥事が2000年代以降に多発していることをみて下さい。裁判所の荒廃、退廃の影響は明らかだと思います。

また、大学に移って驚いたのは、各種ハラスメントについての対処がすごく進んでいることですね。比べると、裁判所はひどいです。表と裏の使い分け、二重基準(ダブル・スタンダード)の弊害もありますね。

--裁判所の自浄作用は働く可能性があるのでしょうか?

瀬木: もはやそれは難しいのではないかという認識が、この書物を書かせたということです。
「刑事の時代が終わればまたよくなるよ」などといった幻想は、学者にも根強いですからね。「おそらくそうではないですよ」ということは、かなり綿密に論証したつもりです。

--国政選挙における1票の格差問題などでは最高裁はかなり思い切った判断を出しているようにみえるのですが?

瀬木: そうした部分でも幻想が根強いですね。第4章を特に詳しくかつ綿密に書き込んだのは、そうした幻想を払拭するためです。

1票の格差判例における最高裁の論理は、国会に大きな裁量権がある、また、時間の面でも猶予を与えてあげるといった、政治家たちにものすごく配慮した内容なのですよ。アメリカの上院のように州の連合という国の成り立ちが根拠になっている場合には、各州平等に2人ということで、格差が出ても仕方がありません。しかし、日本で都道府県を単位にして選挙区を決めることに何の合理性、必然性があるのでしょうか?

英米における「1人1票の原則」は、せいぜい1対1.1とか1.2くらいまでを格差として許容するものだと思います。事実、アメリカ上院のような制度的な例外を除けば、そのような原則が貫徹していると思います。選挙権は、まさに人権の基盤ですから、それが当然ではないでしょうか?
 メディアのみならず、憲法学者の中にさえ、衆議院1対2、参議院1対5などといった最高裁がガイドラインとしてきた数値を既定のものとして論じる傾向はありますが、英米法的常識からいけば、理解に苦しむものではないかと思います。

--最後に、裁判官になってよかったこと、悪かったことを、それぞれ教えていただけませんか?

瀬木: 僕は、最初から、社会科学・人文科学あるいは法学の学者になっていた可能性も高い人間なので、それとの比較になりますね。

社会・人文科学にいっていたらもしかしたらもっと独創的なことができたかもという気持ちはありますが、まあ、それはわかりませんからね(笑)。

法学者のほうは、可能性としてはかなりありましたね。法学部に進みましたから。

裁判官になってよかったと思うのは、やはり、人間、制度というものを長い間リアルに見詰められたということです。元々学者の眼をもっていましたから、平均的な裁判官とはかなり異なった眼で、裁判も、実務も、人間も見つめられた。鶴見俊輔氏にお会いして、プラグマティズムからも多くを学びましたし。書いてきた書物についても、やはり、このような体験に基づくところが大きいですね。

最初から学者になっていたら、理論をも制度をも、今ほど醒めた眼で客観的に分析することはできなかったでしょう。もちろん学者の言葉(ターム)にはより通じたに違いないですが、その利害得失は微妙で、学者の中にも、「最初から学者になっていたらもっとよかったのでは?」と言って下さる人と、「それだとかえって小さくまとまってしまったのでは?」と言って下さる人と、両方いますね(笑)。

それは、僕が決めることではなく、僕の学者生活、執筆生活が終わったあとで、人が決めることでしょう。僕としては、『民事訴訟の本質と諸相』のはしがきに書いたとおり、運命に従うだけです。基本的に唯物論者なのに運命論者なのですね。

いや、唯物論者というのも本当はどうなのか? 唯物論者が、『映画館の妖精』(騒人社)のようなファンタジーを書くかは疑問かもしれない。いずれにせよ、人生いろいろありましたから、運命論者になりました(笑)。

悪かったことは、本に書いたとおりです。が、それは、基本的に、もう過ぎ去ったことだと思いたいですね。もちろん、すべてが過ぎ去ることはありえませんが。

--それでは、これは質問ではなく、元裁判官の学者、そして、子どものころからの自由主義者、個人主義者(はしがき、あとがき)として、平均的な日本国民に対するアドバイスをいただけませんか?

瀬木: そうですね。これは司法に限りませんが、あとがきに書いたとおり、制度を、虚心に、客観的に、また、主体的に見詰める眼を養っていただきたいと思います。イデオロギーや教条によってではなく。何事もイデオロギーによってしか判断できない(奴らか俺たちか、ゼム・オア・アスの論理)、そして、自分を正当化するために、気に入らない者を批判、非難する、そうした正義派のやり方や言葉は、もはや行き詰まっており、その方向では、本当の変化は起こらないと思うからです。

僕は、クリスチャンではないのですが、新約聖書は若いころに何回も読んでいて、知恵に満ちた、深い書物だと思います。その言葉を借りれば、「蛇のごとくさとく、鳩のごとく素直に」自分の眼で見据えていただきたいと思いますね。

>>インタビュー第2弾はこちら

瀬木 比呂志(せぎ・ひろし) 一九五四年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。一九七九年以降裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。二〇一二年明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法等の講義と関連の演習を担当。著書に、『民事訴訟の本質と諸相』、『民事保全法〔新訂版〕』(ともに日本評論社、後者は春ごろ刊)等多数の専門書の外、関根牧彦の筆名による『内的転向論』(思想の科学社)、『心を求めて』『映画館の妖精』(ともに騒人社)、『対話としての読書』(判例タイムズ社)があり、文学、音楽(ロック、クラシック、ジャズ等)、映画、漫画については、専門分野に準じて詳しい。
絶望の裁判所 (現代新書)
作者:瀬木 比呂志
出版社:講談社
発売日:2014-02-19
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