【連載】『人体 ミクロの大冒険』 
 第1回「私たちが生きている」ということ

2014年3月29日 印刷向け表示

本日から全4回に渡り、NHKスペシャル「人体 ミクロの大冒険」という番組が放送されます。HONZではそれに先駆け、同時発売される書籍『人体 ミクロの大冒険』(角川書店)の一部を、放送内容に合わせる形で、連載していきます。

この番組の目玉は、何といっても「細胞という単位から私たち人間の実像を見る」という試み。第1回は、それを可能にしたバイオイメージングという技術について。 

人体 ミクロの大冒険  60兆の細胞が紡ぐ人生 (ノンフィクション単行本)

作者:NHKスペシャル取材班
出版社:KADOKAWA/角川書店
発売日:2014-03-27
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バイオイメージングとは、生きたままの状態で生物の体内活動を観察することだ。

じつは、この本にまとめた私たちの体内世界についての新しい知見は、このバイオイメージング研究による成果が大きなウエイトを占めている。これまで生きたままの観察を細胞レベルで行うのには大きな制約があったが、現在はさまざまな最新技術のおかげで、「生きた状態」を観察できるようになっており、その観察を通じて専門家たちは思いがけない体内世界の実態を知った。その最新研究を取材したことがこの本のベースになっているのだ。

バイオイメージングとそれまでの観察はどこが違うのだろうか。少し脱線するが、重要なことなので、ここでざっとまとめておきたい。

小さな対象物を観察するためには、顕微鏡が必要だ。

小学校の理科の授業を思い出してほしい。顕微鏡を使った実習で、プレパラートの上に観察する対象物を置き、さらにその上から透明の絆創膏のような物を置いてサンドイッチにした記憶があるだろう。しかし、そのやり方では、観察できることには制限が多い。たとえば、観察対象が葉っぱなら、その表面の構造は観察できるとしても、酸素の取り入れ口である気孔がどのように動いて機能しているのか、観察することは不可能だ。魚が酸素不足に陥ったときにパクパクと口を動かすように、気孔も動いているのかどうか、知ることはできない。

さらに細胞そのものを観察しようとすると、これまでは身体から取り出すしかなかった。身体から取り出して培養した細胞しか、観察できなかったのだ。つまり、体内で真に細胞がどのように活動しているのか知ることはできなかったわけだ。

そこで登場するのがバイオイメージング技術だ。こちらは細胞を体内で観察できる。

バイオイメージングの代表選手ともいうべき存在が2光子顕微鏡だ。思いっきり簡単にいえば、二方向から光を入れて対象を観察する顕微鏡だ。単純に光を当てる顕微鏡と違い、表面より少し内側も観察することができる。つまり、観察したいものを表面に出すためにスライスする必要がない。血管ならば、その内側も観察できる。

西村さん(※編集部注:東京大学医学系研究科の西村智博士)も、2光子顕微鏡を使う。

西村 智・博士

マウスを顕微鏡下に固定して、いろいろな場所の血管を観察する。マウスは麻酔をかけられているだけなので、血管のなかは通常通り、血液が勢いよく流れている。

さらに、もうひとつの技が蛍光タンパク質の遺伝子をターゲットとなる細胞に組み込むこと。レーザーを当てると、狙った細胞だけが蛍光で浮かび上がる。

こうして撮影された血管内の映像は、いままでの想像に基づく血液とはまったく違う実態を教えてくれた。そこに映し出されたのは、赤血球ばかりが目立つ、いや、赤血球だけがぎっしりとなって血管内を移動している姿だったのだ。

私たちが見せてもらったのは、細めの血管と太めの血管、それぞれを流れる血液の映像だった。どちらもインパクト十分だった。

太い血管の場合は、黒い粒のように見える赤血球に文字通り、埋め尽くされている。譬えていえば、幾多の車線がある幅の広い通りを車が埋め尽くしているような光景だ。どんな大都市も真っ青の渋滞ぶりだ。しかも、本物の渋滞ならば、車それぞれの速度はノロノロになってしまうが、赤血球は飛ぶようなスピードで移動している。淀むことなく、ビュンビュンと流れているのだ。

細い血管の映像は、数珠繫ぎ状態だ。細い血管の直径は、赤血球の直径と大して変わらないように見える。その血管のなかをベルトコンベヤーのように赤血球が次々と移動していくのだ。流れているというより、次々とあとからやってくる赤血球に押されて前に進んでいるようにも見える。初売りに殺到した買い物客が狭い入り口を押し合いへし合い通っていく光景に似ていた。

まるで、血液のなかに存在しているのは赤血球だけと思えるような過密ぶりだ。 

映像を見せてくれた西村さんにそういうと、西村さんは大きく頷いたあと、印象的な言葉を呟いた。

「血液はじつは、細胞の塊なんですよね」

細胞の塊。私たちは血液はその名の通り、液体だと思っている。それは一種の誤解なのだ。血管から出れば、液体のごとく振る舞うが、体内での血液は、主に赤血球という細胞がほぼ連なってできている巨大な酸素運搬〝器官〞なのである。
 

勤勉なる酸素デリバリー

西村さんの映像はどちらも、200種類の細胞のなかで赤血球が最多であるという事実を雄弁に語っていた。

最多の理由は自ずと浮かんでくるだろう。それだけの数があって初めて、全身にくまなく酸素を届けることができるということなのだ。

赤血球による酸素のデリバリー。その実態を詳しく教えてくれたのは、東京大学の工学系研究科の高木周博士だ。

高木 周・博士

高木さんは工学部に所属しているように、もともとは人体の専門家ではない。専門は機械工学だ。その専門分野の研究テーマとして人体シミュレーターを開発し、人体研究にのめり込むことになったという。血流について詳細な研究を行っている。

高木さんの研究室は2005年に建て替えられた比較的新しい校舎にある。1階には老舗の洋食店の支店やサンドイッチチェーン店が入っていて、西村さんの研究室がある建物とは同じ大学でもだいぶ趣が違っていた。研究室も広々とした窓があり、全体に明るい雰囲気だった。 そして、ご本人もそんな研究室の雰囲気にマッチして、明るく快活に説明を繰り広げてくれる研究者だった。

その説明には譬え話が数多く登場した。自分の研究をわかってほしいという情熱なのか、譬え話をどんどん思いつくアイデアマンなのか。あるいは、人体はそもそも専門外なので、人体に関する情報にご本人がまだ強い新鮮さを感じているせいかもしれない。とにかく次々と譬え話を持ち出してくる。

「血液の流れというのは、場所によってスピードが極端に変わります。末端に行くほど遅くなるんです。譬えていえば、心臓から出る大動脈の段階では、まるでジェット機並み。それで羽田に到着すると、モノレールに乗り換えますね。それくらい遅くなります。そして、その先もどんどん遅くなって、最後は徒歩でテクテクと歩いて改札口まで行く。そこで大切な酸素を相手に手渡しするという感じです」

テレビ制作者としては、この譬え話を聞いた瞬間、そのまま借用して映像化しようと決心するところだ。それほどこちらは感服させられたのだが、本人はまだ不満があるのか、次の譬え話をあれこれ探していた。

「手紙のほうがいいですかね。飛行機で一気に運んで、車で郵便局に届けて、歩いて各家のポストに配るとか」

譬え話のほかにも、高木さんの解説には特徴があった。変わった質疑応答形式なのだ。こちらの取材なので、通常ならばこちらが質問を持ち出し、高木さんが答えるという進行になる。ところが、それがいつのまにか逆になっているのだ。

「たとえば、心臓から腕を通って指先の細胞に酸素を届けるのに、およそ1分かかるとしますね。それじゃあ、そのちょうど中間地点、肘のあたりの細胞に酸素を届けるのにかかる所要時間はどれぐらいと思いますか?」

  30秒くらいでしょうか?

「いえ、やはり1分近くかかります。不思議でしょう。なぜだか、わかりますか?」

  いいえ、まったく。

「じつは赤血球の移動では、大半の時間は毛細血管とその先の静脈を通るのに要しているんです。それに比べれば、肘までの所要時間も指先までの所要時間も大差ないんです。そこはジェット機に乗って移動しているようなものですから」

  なるほど。

「では、なぜ、毛細血管を通るのにそんなに時間がかかるか、わかりますか?」

   いいえ。

「毛細血管の直径は、赤血球の直径より狭いんです。だから、無理矢理押し通る格好になるので、どうしても時間がかかるんです」

「毛細血管がなぜそんなに狭いのか? それにも、もっともな理由があるんです。狭いところを無理矢理通ることで、赤血球は血管壁と密に接触し、そこで酸素を手放して周りの細胞に渡すんです」

と、こんな具合である。

説明のひとつひとつに、「細胞レベルで調べると、人体はよくできているなぁ」という発見の喜びが滲んでいる。昔、時計を分解してその仕組みの精巧さに感心した工学少年の面影がよぎる。

高木さんの解説を聞いていると、細胞だけではなく、人体の仕組みそのものについて、私たちの常識が意外に浅いことに気づかされる。私自身は毛細血管の直径がそれほど狭いことも知らなかった。

誰でも、心臓から全身へと酸素を運ぶ往路が動脈、逆に心臓に戻る復路が静脈という常識は知っている。では、動脈と静脈の境目をご存じか、と聞かれると、どうか。

理科室にあった人体模型の影響のせいか、身体の半分を通っているのが動脈、もう半分を通っているのが静脈のような印象がある。よくよく考えれば、そんなわけはないことに気づく。 酸素を運ばなければいけないのは、身体のすべてであって、右半分というわけではないのだ。

だが、そんな単純な思い込みは間違いだとすぐに気づいても、では正解は何かと考えたら、簡単には浮かんでこない。なんとなく行路の半分を過ぎれば、どんどん酸素が減って、自然と静脈に変わるのではないかと思っていた。いや、思っていたというのも言い過ぎだろう。考えたこともないというのが正直なところだ。

境目は、毛細血管だという。

「赤血球は動脈から毛細血管に入ってそこで酸素を渡します。毛細血管の先には、静脈が待っ ていて、赤血球はそこを通って一目散に心臓に戻るわけです」(高木さん)

一目散に戻る理由は明らかだろう。

酸素を持たない、いわば「空の状態」で赤血球が血管を移動しているヒマはないのだ。酸素を渡したら、すぐに心臓へ戻り、肺へと送られ、そこで新たな酸素を受け取る。それをまた全身のどこかに届けるために、一目散に駆け出していくわけだ。行き先が決まっているわけではないが、基本的にはひとつの場所を往復するという1対1のデリバリーなのである。 

年末にインターネットで本を注文したら、宅配便の人が元旦に届けてくれて驚いたことがある。年明けに仕事がはじまったら読もうと思っていた程度で、元旦早々に読む必要はなかった ので、妙に恐縮してしまった。三が日も変わらず働く人に思わず感謝というところだが、酸素のデリバリーの熱心さ、勤勉さははるか上をいく。こちらのデリバリーでは、「複数の荷物を積んでグルグル走り回る」という時間のかかる手法は許されないのだ。

高木さんの譬え手法を借用すれば、大通りを埋め尽くす酸素配送車(赤血球のことだ)の大群は、それぞれ大切なお届け物(酸素のことだ)をひとつだけ積んでいる。大通りから路地に入った配送車はその路地にある1軒に配送を済ませると、そのまま路地を抜けて反対側の大通 りに出る。あとは、集配センターに戻るべく、疾走するだけだ。途中で引き返すことはないし、ほかの家を訪問することもない。なんと目まぐるしい配送システムだろう。

しかし、それは、私たちが生きていくうえで、欠かせないことだ。神経細胞も確かに大事だし、それこそが人間の人間たる部分を担っているのも事実だ。しかし、何よりも私たちは酸素呼吸によって生きている。酸素を取り込み、全身の細胞に送り、エネルギーを得ることで、私たちの生は支えられているのだ。

兆の細胞に対し、 兆の赤血球が酸素を間断なく届ける。そのデリバリーによって初めて、私たちは生きていることができるのである。 

第2回へつづく) 

NHKスペシャル「人体 ミクロの大冒険」
・プロローグ ようこそ!細胞のミラクルワールドへ 
 2014年3月29日(土)総合 午後9:00〜9:49

・第1回 あなたを創る!細胞のスーパーパワー
 2014年3月30日(日)総合 午後9:00〜9:49
・第2回 あなたを変身させる!細胞が出す”魔法の薬”
 2014年4月5日(土)総合 午後9:00〜9:49
・第3回 あなたを守る!老いと戦う細胞
 2014年4月6日(日)総合 午後9:00〜9:49

 

■本日放送分(プロローグ)の見どころについて
プロローグには、最多の細胞のほか、最大の細胞や最小の細胞などが出てきます。名前は誰でも知っているはずですが、なかなか正解は出てきません。それだけ細胞に関する知識は少ないもの。その未知なる驚きの世界をぜひご堪能ください。(NHKエグゼクティブプロデューサー・高間 大介)

※本文内の画像はNHK様よりご提供いただいております。

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決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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