いま、東京では桜が満開。春先の陽気が心地よいこの季節、ムズムズとして耐え難い病気と言えば……そう、「植物を育てたい病」! 種を蒔きたい! 水をやりたい! こやしのにおいをかぎたーい!! 園芸好きは、花粉症よりもはるかに重い病にかかっている。
園芸家は(花の芳香を)すでにあの厩肥の、湯気を立てる藁の山の中に感じている。その香りに酔いながらも注意して、この神の贈り物を庭一面にばらまく。それはまるで、ひと切れのパンにマーマレードを塗って自分の子供たちに与えているようだ。(中略)カツミレよ、なにも言わずに、この馬糞のごちそうを受け取ってくれ。
本書は熱に浮かされたようなその「病気」ぶりを、自身も園芸マニアだった著者が愉快に綴った不朽の名作。これまでにも訳書が出版されており、このたび平凡社からも文庫化された。記したのは、カレル・チャペック。19世紀末、現在のチェコに生まれ活躍したジャーナリストである。多彩なカレルは小説や戯曲、童話の分野でも活躍し、国民的人気を誇った。
ここで紹介される園芸家の体験は、土いじりの好きな人なら「あるある!」と思わずニンマリしてしまう。
(種を蒔いて)三日目には、長い白い小さな足の上になにかが生えてきて、狂ったように大きくなっていく。さあでてきたぞと大声で叫ばんばかりに喜び、初めての小さな芽吹きを、まるで瞳のごとく大切に取り扱う。四日目になって、その小さな芽が信じられぬほどの長さにのびたとき、これは雑草かもしれない、という不安が頭をもたげる。鉢のなかで成長する、最初の長い細いものは、つねに雑草なのだ。
はい、私も、ルッコラだと思ってせっせと雑草を育てていましたとも。
細心の注意を払って、花壇の土を耕してみるが、その結果は、思ったとおりだ。つまり、芽を出している球根を鍬でざくっとやってしまうか、アネモネの芽をシャベルですっと切ってしまう。びくっとして後ろへさがると、咲いているプリムラを自分の足で踏みつぶすか、デルフィニウムの若芽を折ってしまう。用心して注意すればするほど、被害の範囲も大きくなる。
はい、フリージアの球根をざっくりとスコップで割りました。
球根はまだいくつか残っているのに、鉢がもうないことに気づく。そこで鉢をいくつか買い足す。ところが今度は、球根はもうなくなったのに、鉢と培養土が余っていることを発見する。そこで、さらに球根をいくつか買い足すが、今度は土が足りなくなったので、新しく培養土をひと袋買う……(まだ続く。以下略)
はい。もう置く場所もないというのに、エンドレスに植木鉢と土と種を買い足しております。
人が何かに熱中している姿は、他人から見ると滑稽でさえある。そのおかしみの奥に、深い慈しみと、どきっとするほどの洞察を感じられるのも、本書の味わいである。
若いうちは、花壇を楽しむかわりに、女の子の尻を追いかけ、自分の野心を満たし、自分で育てたものではない人生の果実を楽しみ、全体的に破壊的にふるまう。
わが身を振り返り、ちょっと耳が痛い。
わたしたち園芸家は、未来に対して生きている。バラが咲くと、来年はもっとよく咲くだろうと考える。(中略)五十年後には、このシラカバの木々がどんなになっているか、早く見たいものだ。
そう、小さな種に大輪の花を想い、その未来にわくわくしながら世話をするのが園芸の至福! 植物に限らず、育てることの醍醐味は、未来に希望があることだ。
しかし、カレルが50年後のシラカバを見ることはなかった。1938年のクリスマスの夜、48歳で亡くなったからだ。寒い夜の園芸作業で肺炎を起こしたことが原因だった。よりによって、大好きな園芸が命取りになるなんて! だが、この後に起こったことを知れば、じつは園芸が彼を救ったとも言えるのだ。
反ファシズム的作品を多く発表していたカレルは脅迫を受けながらも祖国で生きる道を選び、亡命しなかった。そして世を去った翌年、ナチス・ドイツ軍がチェコを占領。その死を知らないゲシュタポ(ナチスの秘密警察)が、逮捕するためにカレル邸に押し入った。
もしも生きていたら、肺炎で亡くなるより悲惨な末路が用意されていたことだろう。実際、兄で画家のヨゼフは風刺漫画を描いたために逮捕され、アンネ・フランクと同じ強制収容所で亡くなっている。この『園芸家の一年』の楽しい挿絵から察せられるヨゼフのユーモラスな人柄を想像すると、その非業の死はひどく切ない。
本書を純粋に愉しむことからは外れるが、こうした時代背景を知ると、「たかが園芸に大げさな」と思われそうな文章にもより深い意図が感じられ、違った意味に読めてくる。
未来は、わたしたちの先にあるのではない。もうここに、芽の形で存在しているのだから。未来は、もうわたしたちといっしょになっている。今わたしたちといっしょにいないものは、未来になっても存在しないだろう。わたしたちには芽が見えないが、それは芽が地面の下にあるからだ。わたしたちに未来が見えないのは、未来がわたしたちの中にあるからだ。
主亡き家にゲシュタポがやってきたのは、3月だった。踏み荒らされたであろう庭の地面の下では、カレルが命を賭して植えた無数の球根や種が、春の足音を聞きながら芽吹く準備をしていたはずだ。カレルにとっての園芸は、世の不条理を忘れさせ命の輝きに感動できる、救いのひとときだったに違いない。そして本書も、痛切な皮肉を込めて、戦争へと突き進む世に抗いながら咲かせた時代の花だったのではないか。
1945年、チェコは解放され、ヒトラーは自殺。第二次世界大戦も終わりを迎えた。
「ロボット」という言葉は、カレルとヨゼフが生み出し、この戯曲で世界中に広がった。
代表作のひとつ。風刺が効いたSFの古典。
平凡社版『園芸家の一年』に解説を寄せている、いとうせいこう氏の植物生活エッセイ。
なんと、かのヘルマン・ヘッセも園芸病だった!