「ヘンな論文」といえば、画像が不自然に加工されていたり、文章がコピペだらけだったり……ではなくて。本書では、「論文」というお堅い響きからかけ離れた、研究の中身が突き抜けた珍論文ばかりが紹介されている。これが笑いあり感動あり悲しみあり。論文がこんなに人間臭いものだとは!と、びっくりしてしまう。
著者はお笑いコンビ「米粒写経」のツッコミ役、サンキュータツオさん。なぜお笑いの人が論文?と思われそうだが、じつはサンキュータツオさん、一橋大学の非常勤講師もつとめる学者芸人。国語辞典に関する著書も出している。珍論文コレクターとしても知られ、ラジオで紹介するコーナーも持っていた。
本書では選りすぐりの珍論文が登場する。その一部をあげると、たとえばこんな感じ。
奇人論序説―あのころは「河原町のジュリー」がいた
飯倉義之 2004年 『世間話研究』第14号
1970年代に京都の河原町にいた、沢田研二似のカリスマホームレスに関する噂話を整理。
傾斜面に着座するカップルに求められる他者との距離
小林茂雄、津田智史 2007年 『日本建築学会環境系論文集』第615号
公園の斜面に座るカップルを観察し、その密着度や他者との距離などを調査。
現代に生きるマゲⅢ~大相撲現役床山アンケートから~
下家由起子 2008年 『山野研究紀要』第16号 山野美容芸術短期大学
お相撲さんのマゲを結う「床山」さんたちに、この職業についたきっかけや、マゲを結ううえでの悩みごとなどをアンケート調査。
……というかんじで、よくこんなに多分野から見つけてきたな~と感心してしまう。論文の内容に対するコメントも、そこはさすがに学者芸人、ただ茶化すだけではない。
走行中のブラジャー着用時の乳房振動とずれの特性
岡部和代、黒川隆夫 2005年 『日本家政学会誌』56 №6
という論文に際しては、その「ずれ」を体験してみるべく、男性用ブラジャー(そんなものがあるのか!?)をして仕事へ行ってみたのだそうだ。その結果、
ああ、女性って大変だ。ストッキングで伝線におびえ、ブラジャーのズレを常に気にして、そのうえお化粧までしなければならない。
と、女性の苦労がわかったとのこと。そうなんだよ、大変なんだよ! 世の男性たちよ、ぜひブラジャーをして、できればストッキングもはいて、町へ出てみることをお勧めする。
そんな女性の大変さについて考えさせられる論文がもう一つ、紹介されている。
男子生徒の出現で女子高生の外見はどう変わったか―母校・県立女子高校の共学化を目の当たりにして―
白井裕子 2006年 『女性学年報』第27号
論文執筆者・白井さんの母校が共学化したことで生じた変化を紹介しているのだが、たとえば卒業アルバムの写真を調べた結果、「女子校時代より共学化後のほうが髪が長い」「共学化後のほうがウェーブヘアが多い」「歯を見せて笑っている写真が多い」等々。
ちくしょー、どんどん女らしくなってきやがって、色気づいてんじゃないわよ、という白井さんの声が聞こえてきそうである。髪型がより女性らしくなっているのはわかるが、笑顔の確率まで上がっているとは……。(中略)「コイツ、笑っていやがる!」と、苦虫を噛み潰すような白井さんの姿を思うと、もはや同情を禁じ得ない。
上記はサンキュータツオさんの妄想である。が、論文タイトルの末尾「目の当たりにして」という言葉に、私も若干、白井さんの歯ぎしりが聞こえてくるような気がしないでもない。本書によれば、実際、女子校は共学化すると偏差値が低くなり、男子校は共学化によって高くなるそうである。
こんなかんじで「ほほーん、おもしろいねえ~」と冷やかし半分で読んでいたのだが、そんな私がうっかり感動してしまったのが、下記の論文である。
コーヒーカップとスプーンの接触音の音程変化
塚本浩司 2007年 『物理教育』第55巻 第4号
論文執筆者である高校の物理教師・塚本先生は、教え子から「カップにコーヒーの粉末を入れ、お湯を入れてスプーンでかき混ぜると、スプーンとカップのぶつかる音が徐々に高くなっていく」ということを聞く。そして、本当に音は高くなるのか、高くなる科学的根拠は何なのか、調べる実験が始まった。
先生と生徒は、音を数値化して実際に高くなることを確認すると、ココアや砂糖、食塩、入浴剤などでも実験し、そしてついに、その原因をつきとめるのだ。
多くの人は結論だけを知りたがる。しかし、研究で大事なのは、「ほかの可能性」を削っていく作業なのである。これが、一般の人の噂話や憶測と、学問の違いである。ほかに考えられる可能性をすべて試し、しらみつぶしに調べていった結果、浮上してきた「犯人」=事実を、疑いようもない状態にまでもっていくのが、「真実」化の作業なのかもしれない。
ここで引き合いに出すのは大げさかもしれないが、この章を読んでいて思い出した文章がある。物理学者であり随筆家でもあった中谷宇吉郎(1900-1962)が、師であった寺田寅彦を回想する一節だ。
(寺田寅彦が)「ねえ君、不思議だと思いませんか」と当時まだ学生であった自分に話されたことがある。このような一言が今でも生き生きと自分の頭に深い印象を残している。そして自然現象の不思議には自分自身の眼で驚異しなければならぬという先生の訓えを肉付けていてくれるのである。
カップとスプーンのたてる音が高くなる原因がわかったからといって、何かの役に立つわけではないだろう。でも、「不思議!」と感動して、純粋に「知りたい!」と探究する姿に、寅彦にも共通する科学の原点を見た気がした。
そして、一生徒の素朴な気づきを「どうでもいいこと」と流してしまわずに、とことん一緒に調べる先生に、思いがけず感動してしまったのだ。もし自分がこの生徒だったら、この経験は一生忘れないだろう。塚本先生も、調べていて楽しかったに違いない。「科学の楽しさを教える」って、こういうことなんじゃないか?
本書で紹介されている論文の大半は、一般的には「どうでもいいこと」なのかもしれない。しかし、論文の書き手が「おもしろい!」と夢中になって調べている姿が目に浮かぶようで、好奇心こそが研究の源であることを改めて実感させられる。
引用した文章は、上記文庫に所収されている「指導者としての寺田先生」より。
仲野徹によるレビューはこちら。