『いちまき―ある家老の娘の物語―』 巻措く能わざる「他人事」波乱万丈の一族史

2015年11月6日 印刷向け表示
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いちまき: ある家老の娘の物語

作者:中野 翠
出版社:新潮社
発売日:2015-09-30
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中野翠は私の憧れのもの書きである。一世代上の彼女の書く、切れ味の鋭いコラムを読んでは留飲を下げてきた。今でも、世相を見る目は私の判断基準の一つになっている。その中野翠が自分の先祖について書いたという。自分のルーツになぞ、あまり興味を持たなそうな気がしていたので、少し意外であった。

この写真が中野翠をこの物語にいざなった張本人、中野みわである。

本書の冒頭を読んで納得した。翠の父親の遺品の整理をしている時に見つかった『大夢 中野みわ自叙伝』。曾祖母みわと一族について綴られたこの小冊子を読んだら興味を抱かずにはいられない。自分の足元へと伸びた幕末から現在までの血脈は、どくどくと流れ続けていたのである。

そう言われてみれば、意志の強そうなこのまなざし(眼力といった方がいいか)は中野翠のそれとよく似ているような気がする。品よく座る姿も凛としていて、ただ者ではない雰囲気が漂う。

 

 

みわは安政六年九月二十二日に江戸の桜田門で生まれた。中野翠じゃなくても「なんかスゴイ」と思ってしまう。「桜田門外の変」は、みわが生まれた半年後に起こっている。日本史と一族がいきなり結びついたら、調べ始めずにはいられないだろう。なにせ、興味をもったら一直線のコラムニストなのだから。

みわの生家である木村家は下総国関宿藩の藩士で、みわの父、木村正右衛門正則(後の山田大夢)は家老であった。みわは本当のお姫様だったのだ。幕末の騒乱では佐幕派だったため、上野戦争で敗退した後は流浪の果てに静岡に落ちついた。関宿藩にいたみわの家族(曾祖母、祖母、母、兄、そして妹)は散り散りになって、農家や親戚の旗本を頼って逃避行の末、身を隠した。静岡での生活の目途がついたころ、正右衛門はようやく家族を呼び集めたという。

正右衛門の失意は大きく、一時は自殺をも考えたようだ。だが沼津兵学校附属小学校の教授方手伝および寄宿寮取締という職に就き、士族の身分を捨て、名を「山田大夢」と改めたことで新しい人生が始まった。

この沼津兵学校というのが凄かった。旧幕府の知を集積したような特殊な学校で、教授には西周以下幕閣の優秀な学者や軍人が集められ、軍事教育機関として日本初の西洋式訓練を施す学校が作られたのだ。大夢も関連の学校の校長を歴任し、地元の名士となっていく。

新撰組や坂本竜馬の物語は歴史上の物語のようだが、明治維新から今まではわずか百五十年ほどしか経っていない。わずか三代前のことだ。中野翠の子供の頃の記憶を辿れば、みわにせよ、父親の大夢にせよ、親戚たちの話に出てきていたに違いない。

タイトルの「いちまき」とは「一巻」と書き血族の一団のこと。読み進めるうちに、ひとつの確信を得た。

中野翠はこの本を書くために選ばれ、知らぬ間に多くのトラップに引っかかっていたのだ。彼女の働きのおかげで「いちまき」はさらに大きく広がった。これを企んだのはおそらく“みわ”だ。どこからか老女の高笑いが聞こえる。

(週刊新潮10月29日号掲載分に加筆しました。写真は編集部からお借りしたものです)

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作者:古川智映子
出版社:潮出版社
発売日:2015-09-05
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  NHK朝の連続ドラマ「あさが来た」が面白い。主人公の「あさ」は「みわ」より少し年上だが、同じように幕末維新、明治時代を生き抜いた女傑である。この本も非常に面白かった。ドラマの先を予習したい方はぜひ。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
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