帰国の航海では”邪魔者”の角幡もいなくなってしまった。「隊長と二人で海を渡るなんて考えただけでも恐怖」と前は思っていた峠さんだが、実際には二人とも疲労が限界に達して肉体的には非常に厳しい状態にありながら、今までの「憎しみ」「怒り」は消えている。二人だけの純粋で爽やかな旅がある。
最大の危機はグアム入港時。エンジンが止まってしまい、防波堤のすぐそばに高波が打ち寄せたいへん危険な状態に陥っていた。一歩間違えれば防波堤に激突し、ヨットもろとも海の藻屑になるところだが、真の冒険家の顔になった隊長が奮闘し、危機一髪で入港に成功した。峠さんはこう書く。
ギラギラ輝くグアムの熱い太陽をバックに、隊長は、「いやぁ、スリリングだったなぁ!」と、真っ黒の顔に真っ白な歯を剝き出しにして、ガハハと笑った。あまりにまぶしくて、私は涙が出るのを一生懸命こらえていた。
私が読んでも「まぶしい」場面だ。
そして最後には感動的なラストシーンが待ち受けていた。
一年以上にもおよぶ苦難と危険の連続だった冒険行を終え、相模湾に入ると、峠さんは驚くことにあれほど恋い焦がれていた日本を前にして「さびしさ」を感じる。
五感と向き合い、自然と対話した充実の日々を失いたくないという理由だが、それだけではなかったんじゃないか。隊長と別れたくなかったんじゃないか。男性としてか師匠としてかわからないが。
彼女はこう書く。
隊長に、「このままチャウ丸(船の名前)でどっか行っちゃおうよ」と言いたかった。そう言おうとしたまさにその瞬間、隊長が私の目を見つめて、思いも寄らないことを言い出した。
「恵子、お前はよくやった。お前がいなかったらこの探検はなかった。こうして生きて帰ってこられたのもお前がいたからだ。たいしたもんだ。よくやった。……ほんとうによくやった。ありがとうな……」
こんな隊長は見たことないくらいに、優しい口調だった。
思いもかけない出来事に、私は驚いた。それと同時に、溢れる涙を抑えることができなかった。
探検出発前の訓練のときから、私はいつも怒られっぱなしだった。一度だって誉められたことがなかった。まさか隊長が私のことをそんなふうに思ってくれていたなんて……。私には、とても信じられなかった。
「お前はほんとうに頑張ったよ。さ、握手しよう」
隊長が手を差し出した。
いや、ジーンときてしまった。艱難辛苦の果て、ついに二人の心はつながったのだ。とてもノンフィクションとは思えないほど、できすぎたラストである。
と同時に私はなんだか切なくなった。「残念!」と思ったのだ。
隊長は日本に帰る理由を持たない人である。家族もいないし、この冒険が人生の集大成なのである。ニューギニアで「幻の犬」探しを続けていたのも、ロマンを追うだけでなく、日本に帰りたくなかったゆえだろう。
だから、もし峠さんが先に「このまま二人でどこかに行きましょう」と言ったら、「よし、そうするか!」と映画「卒業」ばりの展開になったのではないか。でも、隊長が一瞬先に「本心」を見せてしまったがために、二人が新しい世界に向かって逃走するというチャンスを失ってしまったんじゃないか。ああ、もったいない。もしかしたら二人は今頃、ニューギニアでネットカフェを経営し、料理上手な峠さんがいるだけに酒井選手にもっといろいろな料理を食べさせていたかもしれないのだ。
……なんて妄想も広がり、この本は実に楽しい。
読み方によって全然ちがう相貌を見せるのもノンフィクションの醍醐味だと再認識させられた。 それから、本書では「どうでもいい男」に甘んじることになった角幡唯介にこの冒険記を書いてほしい。彼の端正な筆にかかれば、このハチャメチャな珍道中も文学性の高い紀行文となるのかもしれない。書き手が変わっても、同じ事実がちがったものに変化する。
それもまたノンフィクションならではの醍醐味なのである。
(高野 秀行・ノンフィクション作家)