『香港』自由を模索し続ける人々

2016年1月19日 印刷向け表示
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香港 中国と向き合う自由都市 (岩波新書)

作者:倉田 徹
出版社:岩波書店
発売日:2015-12-19
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慌ただしい事から傷ましい事まで、年明け早々大きなニュースが次々舞い込んでくるが、中でも異質な恐ろしさを感じたのが、香港・銅鑼湾書店の関係者が失踪したという報道だ。後に中国当局が拘束の事実を認めたが、共産党や国家指導者にとって都合の悪い本を売る人々を香港の中から連れ去るというのは、圧力のかけ方が尋常ではない。「一国二制度」が掲げられてきた香港の「自由」に一体何が起きているのか? そもそもこれまで、香港における「自由」はどのように移り変わってきたのか?

本書はイギリス植民地時代、1997年の返還後、そして近年へと変化を続けてきた香港の姿が書かれた一冊だ。日本人の香港政治研究者と香港人の日本社会研究者の2人による共著であり、それぞれ異なる角度から香港の変遷を追っている。金融、スパイ映画、マカオに代表される華やかさ、雑多な街並み、といったパッと浮かぶイメージからは見えない香港の実態が、平易な文章でまとめられている。

だが語り口は優しくても、香港を理解するのはそう簡単ではない。なにしろ、1ページ目でまず語られるのはこんな話なのだ。

香港は国なのか、地域なのか、都市なのか。イギリス的なのか、中国的なのか、アジア的なのか。グローバルなのか、ローカルなのか。親中なのか、反中なのか。親日なのか、反日なのか。経済都市なのか、政治都市なのか。これらほとんど全ての問いに対して、「イエスでもあり、ノーでもある」としか、筆者は答えようがない。

こうした「難解さ」や「複雑さ」は繰り返し語られていて、本書の底流をなしているといえる。

では、香港において不変なものは何か。そこで著者の2人が行き着いたのが、「自由」というキーワードだった。これまでの香港にあった自由、近年脅かされてきた自由、新たに求められている自由。それぞれの自由の正体は何なのか、様々な角度から書かれていく。

最も大きな切り口は「政治」である。香港における政治面での自由の複雑さの説明として引用されているのが、世界各地の政治体制について評価した、米国「フリーダムハウス」による「世界の自由」調査だ。この調査は、選挙の手続き、政治的多様性と参加、政府の機能など、主に参政権に関する「政治的権利」と、表現と信教の自由、集会と結社の権利、法の支配、個人の自立と権利などに関する「市民的自由」の2つのカテゴリーで自由度を評価している。2015年版の香港の結果を見ると、「政治的権利」の評価は低い一方で、「市民的自由」に対する評価は高く、先進民主主義国水準の自由があるとされている。

195の国と15の地域を対象として行われるこの調査の中で、「政治的権利」と「市民的自由」との間に大きな差があるのは香港とブルキナ・ファソの2ヵ所のみだという。「民主はないが、自由はある」というこの特徴は、イギリス植民地時代にまで遡ることができるそうだ。

書かれているのは、そうした「点」の話だけではない。統治下ながら比較的自由を実感できていた植民地時代、「一国二制度」が成功したかに見えた返還直後、そして後に結局は進行した「中国化」という流れに沿った説明がされるので、香港において政治面の自由がどう揺れ動いてきたのかを「線」で理解することができる。

他にも、文化や社会といった切り口からも香港が語られる。政治や経済、法制度などに比べて捉えにくいので詳細は本書に譲るが、香港で支持を集めた小説やドラマの内容、ジャッキー・チェンやブルース・リーといったスターへの認識の変化、その時々の社会状況などから香港の人々のアイデンティティの変遷を読み解いていくことで、政治経済の視点だけでは見えてこなかった香港人の精神性が浮かび上がってくる。

そして最後に大きく触れられるのが、2014年の9月末に起きた「雨傘運動」だ。民主選挙を求めて行われたこの運動は、警察が群衆に向けて催涙弾を発射したことが火に油を注ぎ、怒った市民が大挙して現場に駆けつけることで巨大化。混乱に乗じて学生や市民は複数の地区で道路を占拠し、最終的に警察に排除されるまで79日間にわたって運動を展開した。

実際に現場を見て感じた占領地区ごとの雰囲気と思想の違いや、雨傘運動の賛成派と反対派の間にいる「沈黙する大衆」の思いなど、1章分を割いて書かれる内容は詳細なレポートとしても読める。「雨傘運動に対する賛否と、その人が触れているメディアには相関関係がある」という話も興味深かった。雨傘運動を通して見た香港の姿は、ぜひ実際に読んで確かめて欲しい。

はじめに触れた銅鑼湾書店の出来事からも分かるように、香港の「自由」は本書が書かれた後も現在進行形で揺れ動いている。だが、混沌さが増していく中でも確かなことがあると著者の2人は言う。

1つ確実に言えることは、ほとんどの香港人は、それが経済的な自由であれ、政治的な自由であれ、自らの「自由」を強く求める人たちだと言うことである。「自由」をめぐって、世界で最も濃密な論争が展開されるのが香港であろう。 

様々な立場の人々が思う、それぞれの「自由」がせめぎ合う香港という場所は、「自由とは何か」という、答えのない問いを突きつけてくる。香港はどこまでも難解で複雑だ。その実態を平易な言葉で描き出そうとする本書は、まぎれもない労作である。

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

作者:星野 博美
出版社:文藝春秋
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往復書簡 いつも香港を見つめて

作者:四方田 犬彦 翻訳:池上 貞子
出版社:岩波書店
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