本書は16人の在野研究者の生き様を紹介するというシンプルな構成だ。謎の同人ウェブメディア「En-Soph(エン–ソフ)」での連載シリーズ「在野研究のススメ」を、再構成しまとめたもので、すべての章は読み切りだ。
論文の数や掲載誌のインパクトを追求する一般的な研究者とは異なり、我が道、我が学問を行く在野研究者たち。制度や固定観念に囚われることのない、彼らの研究内容は独特で、鋭さと危うさを兼ね備えた魅力を持つ。しかし、研究内容にもまして、興味深いのは、その生活事情や金銭面の工面である。そこはしなやかで、したたかに、自分のやりたいことを、やり続けるための作戦がある。
生活のできる限りを研究に捧げるために、利用できるリソースを徹底的に活用するストイックな姿勢を崩さないのは、研究のために「どれくらい働いたらいいか?」という問いを立てた三浦つとむである。一方で、親の仕送りに寄生し、弟に呆れられるまで海外留学し続けた南方熊楠も登場する。金銭面はさておき、徹底して研究に取り組む人たちが登場するのかと思いきや、絶対に働きたくないと豪語し、妻のひもとなり、ゴロゴロ過ごす選択をした野村隈畔のような、一見ダメすぎる人物も紹介される。
家に毎日ゴロゴロして居つて気の向いたときに何か一つ位書けば、間に合ふように思われた。そして店では妻が働いて居り、私は私で自分の好きな原稿を書くのであるから、大分二人は睦まじく理想的に行きさおうな気がした
こんな体たらくな状況を、徹底的に自己肯定をする野村隈畔の人生の最後は、講師を勤めた講習会で出会った女性と情死してしまう。それも妻を残して、38歳の若さでこの世を去った。徹頭徹尾のダメさ加減である。
しかし、野村隈畔はゴロゴロしながらも、10年で10以上の著作を書き、成果を形に残していた。一方、自分の研究成果に徹底的に無頓着でろくに成果を発表しない在野の研究者がいた。南方熊楠である。
『ネイチャー』への寄稿などで、積極的に研究成果を世に発表している印象があるが、実際に単著が日本で出版されたのは60歳ごろ、自身の金策のためにしぶしぶの出版である。熊楠にとって世評や名誉のために研究することは邪道であり、評価など気にせず仕事に集中し、研究の中身を大切にする姿勢を終生崩さなかった。
同様に、三浦つとむは同じ学歴でも、「学校歴」よりも「学問歴」を重視すべきで、学者としての本質的能力は学校歴にはないと喝破していた。しかし、小学校程度の学歴しかなかった在野考古学者の相沢忠洋は、学歴を重視し、学歴を持たないものに不寛容な日本のアカデミズムの壁にぶつかった。
納豆を売り歩きながら、群馬の山々で発掘作業を続けていたが、ある日、黒曜石の槍先型をした石器を発見した。のちに岩宿遺跡と呼ばれ、旧石器時代を証明する重大発見であった。しかし、この発見を考古学という学問の中で、学説として定着させるためには専門家を無視することはできない。彼らの承認が必要であったが、学閥の混乱に巻き込まれ、一冊の本になるほどの壮絶なドラマが巻き起こった。「学歴はやっぱり必要だ」と相沢は学歴がもつ力のリアリティを痛感していた。
昨今の大学や研究室ではアカハラ、ポスドク、ワープア、大学不要論と明るくない話題があちらこちらで散見される。安心して研究できる場所などどこにも確保されていない。それでも、勉強をやって、やって、やりまくりたい研究者は大学や学会の外でやればいい。16人の在野研究者それぞれから、勇気をもらうことができ、さらに生き残るための具体的な40の心得がまとめられている。
研究のその先に仕事があるのか、意味があるのか、価値があるかはわからないが、まだ踏まれたことのない幾千の小径へと歩みを進めていく姿勢こそが最大の武器である。やりたいからやる、ごくシンプルな動機で勉強しまくる在野研究者の放つ熱量は、迷い、立ち止まり、くすぶっている読み手の背中を押してくれる、いや、蹴飛ばしてくれるに違いない。
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成毛のレビュー