前作『代替医療解剖』の発表から実に8年。人気サイエンスライター、サイモン・シンの最新作の翻訳版がついに完成しました。テーマはズバリ『ザ・シンプソンズ』。1989年の初放映からすでに600話超! 今も続くアメリカの大人気アニメーションです。黄色い肌に、大きなギョロ目、極端にデフォルメされた姿はきっと多くの人がご覧になっているはず。社会風刺のたっぷりきいたドタバタアニメは時に社会問題にからんで日本でも話題に上ります。
でも今回の切り口は、風刺でもなければアニメ論でもありません。『ザ・シンプソンズ』、実は超難解「数学コメディー」だった!! というサイモン・シンならではのものです。この背景にはハーバード大などで数学の博士号を取得した「天才」たちが、研究職をなげうってまで『ザ・シンプソンズ』の脚本家になったという、驚くべき事実があるのですが、なぜ、そんなことが起こってしまったのか、そもそもどんな理由、経緯で『ザ・シンプソンズ』に目を付けたのか、サイモン・シン本人に聞いてみました。
——『ザ・シンプソンズ』との出会いはいつごろですか?
シン イギリス(シンは英国人)でこの番組が始まったとき、わたしは、まだスイスのCERN(欧州原子核研究機構)で研究者をしていました。ですから見始めたのは帰国してからのこと。最初はこの奇妙な番組をどう受け止めたらいいかわからず、子ども向けなのだろうと思っていました。ところが見ているうちに、『ザ・シンプソンズ』は、8歳の甥だけでなく、私に向けて作られた作品でもあることに気づいたのです。
とはいえ、このアニメにたくさんの「数学」が含まれていることに気づいたのは、十年ほども見続けた後のことでした。ある回(シーズン10/エピソード2 日本語版DVD『発明は反省のパパ』)に「フェルマーの最終定理」が出てきたのです。それで、ほかの回も注意して見たら、なんと、この作品、実は数学だらけだったんです。
——「フェルマーの最終定理」が登場する回は、その他にも「ヒッグス粒子」や「相対性理論」「ビッグバン」など、宇宙物理学の話題も盛りだくさんでしたし、それを理解していると作中で起こる爆発にも説明がつきますね。たしかにシンさんがご覧になれば、隠された「数学」や「物理」に気付かないわけがない。それで『ザ・シンプソンズ』を調べはじめたのですか?
シン まずデーヴィッド・S・コーエンに電話をかけてみました。その回の責任脚本家として彼の名前がクレジットされていたからです。そうしたら、コーエンはコンピュータ科学の修士号を持っていて、数学の論文も書いていたというじゃありませんか。そして彼は、『ザ・シンプソンズ』の脚本家チームには、強力な数学のバックグラウンドを持つ人がたくさんいるのだと教えてくれました。学士号、修士号、博士号、いろいろです。その内の一人、ジェフ・ウエストブルックにいたっては、コメディー脚本家になる前は、イェール大学の教授でした。
彼らはもうプロの数学者ではありませんが、今も数学が大好きで、『ザ・シンプソンズ』のさまざまな回に、数式や特別な数を忍び込ませることで、数学への愛を表現しているのです。本書は、そうやってこっそり持ち込まれた数学を解説するとともに、数学出身の脚本家たちのことや、このアニメ作品そのものについても見ていきます。本書を読めば、この『ザ・シンプソンズ』に隠された数学ネタの質と量に、みなさん驚かれることでしょう。微積分から数論、無限小から無限大まで、ほんとうに幅広い数学の分野が取り上げられているのです。
——しかし、それだけ取り上げていれば、アメリカやイギリスでは『ザ・シンプソンズ』が「数学アニメ」としてずいぶんと知られているとも思うのですが。
シン このアニメ作品の数学的な面に気づいていた人は、ほとんどいなかったと思います。わたしが『ザ・シンプソンズ』の数学について本を書いていると知ると、みんな戸惑ったような顔をしましたね。もちろん、一握りのコアで【数学オタク/ナード】な『ザ・シンプソンズ』ファンは、この作品に数学が頻出することを知っていましたし、その話題を扱ったウェブサイトもいくつかありました。また、アメリカでは二人の教授が、このアニメに現れる数学を講義で扱っていました。
——そうなると今回の著書は、『ザ・シンプソンズ』の大多数のファンに大変な影響を与えることになりますね。なにしろドタバタと社会風刺、あと有名人のカメオ出演で知られるアニメですから。
シン 数学は好きだけれど『ザ・シンプソンズ』はそれほどでもないという人たちが、本書をきっかけに、このアニメ作品を見直してくれたらと思います。また、(こちらのほうがいっそう重要ですが)、『ザ・シンプソンズ』は好きだけれど数学は好きではないという人たちが、数学を見直してくれたら嬉しいですね。本書は、『ザ・シンプソンズ』のキャラクターを通して、数学世界を探検しようという本なのです。ですから数学が大好きというわけではない人も、これを機に自信を持って、いろいろな数学の本を手に取ってほしいですね。数学を学んでいるあいだじゅう、バートとリサ(シンプソン家の長男と長女)が手を握っていてくれますよ。また、本書で取り上げた数学は十分歯ごたえがありますから、数学が好きな人たちにも楽しんでもらえるはずです。
——ところで『ザ・シンプソンズ』の脚本家たちの取材はいかがでした? シンさんにとっては、同好の士の集まりのようで、きっと楽しく進められたのではないでしょうか。本からもその雰囲気が伝わってきます。
シン 脚本家のみなさんはとても協力的で、快く時間を割いてくれました。また本書について、嬉しい言葉ももらえました。ハーバード大卒で数学の学士を持つアル・ジーンは本書が気に入って、お母さん用に一冊買ったと言ってくれましたし、先に話したデーヴィッド・S・コーエンは、こう書いてくれました。「サイモン・シンの好著、アニメの視聴者にひそかに数学を吹き込もうという、数十年来の陰謀を暴く」とね。
本を書くときはいつも、その本に登場する人たちに喜んでもらえたらと願っています。まあ、代替医療の本のときは、その限りではありませんでしたが。
——ところで日本もアメリカ同様のアニメ大国ですが、日本のアニメ作品で何かお気に入りのものはありますか?
シン それは語りきれませんね。
そうそう、それで思い出したのですが、子どもの頃、『海底少年マリン』(1965年に放送された『ドルフィン王子』に始まり、『がんばれ!マリンキッド』、『海底少年マリン』へと繋がる一連の作品群。『ドルフィン王子』は日本初の本格的なカラーテレビアニメとして知られる。英語版『Marine Boy』)というアニメが好きでした。イギリスでは1970年代の初めに放映されたのですが、日本での放映は1965年ですね。今日の午後は、YouTubeで『海底少年マリン』を見て過ごすことになりそうです。
※『波』2016年6月号より転載