毎年数冊はチャーチル関連の本が発売されている。私自身、以前にもHONZでチャーチルを題材にした本をレビューしている。チャーチルという政治家には、やはりそれほど魅力があるのだろう。個人的なことを言えば、劣等生であった少年が大学教育も受けずに、政治家として大成し、第二次世界大戦で世界の趨勢を決定するほどの大きな仕事を成しとげたという点に、とてつもない魅力を感じる。学校の成績が振るわずとも、父親に劣等生としてのレッテルを貼られようとも、たゆまぬ努力を続け、幸運を味方につける事が出来れば、何者かになれるかもしれない。少年時代を劣等生として過ごしてきた私には、一種の希望の光なのだ。むろん、彼の魅力はそれだけではない。本書の著者も数多あるチャーチルの魅力にぞっこんのようだ。
チャーチルに魅せられているのは、私や著者だけではない。著者曰く、昨今の若い保守党員の間ではチャーチルは神格化されているという。しかし、チャーチルが存命していた頃の彼の評価はそれほど芳しくはなかったようだ。
例えば1940年に彼が首相に就任したときには、多くの保守党議員が彼に対して疑念や不安を隠さず、敵意をむき出しにしていたという。1940年の首相就任といえば挙国一致体制でヒトラーに臨もうとしていた時だ。国家の危機のさなか、彼が属す保守党の議員の間では、チャーチルに対して日和見主義、裏切り者、ほら吹き、利己主義者、恥知らず、たちの悪い酔っ払いなどと、あらゆる非難が沸き起こっていた。彼は、自分に敵意をむき出しにする味方を率いて、戦争に挑んでいたのである。
なぜ彼はそこまで保守党議員たちに嫌われていたのであろう。その理由のひとつは、彼の政治経歴にある。彼は保守党議員として政界にデビューするが、保守党が凋落の兆しをみせると自由党に移籍。その後さらに保守党へと移籍するなど、政治的な風向きによって党籍を変えてきたからだ。しかし著者は政党を馬になぞらえ、彼は馬を見事に操り、そして乗り換えたのだと擁護する。政党は仕事をなすための道具であり、使いこなすものなのだ。チャーチルは政党に使われる人間ではなく、政党を使いこなす側の人間であったという事であろう。
また、彼は自身の利益や知名度を上げるために、きわどい策略を行うことも多々ある。そこには巨大な利己主義の側面が見てとれる。チャーチルに愛情溢れる文章を書いている著者も彼の日和見主義的な側面や肥大化した利己主義の存在を認めている。
その他にも、当時の保守党員に嫌われる原因として、イギリスを福祉国家にするべく大きく舵を切った一人であることも見逃せない。彼の福祉政策は大目に見ても、当時の保守党の議員たちからは、社会主義的な性格のものに映ったはずだ。しかし、彼の福祉政策は時代を先取りした物であった事も確かだ。彼の福祉政策は第二次世界大戦の功績に隠れがちだが、もっと高く評価するべきだと著者は言う。
その一方で労働組合の過激なストライキなどには軍隊を派遣しこれを鎮圧している。このような側面を大きくとらえ、現代のリベラルな人々はチャーチルを批判している。チャーチルは必ずしも革命家ではなかった。彼は彼が属する階級社会や自由主義の本質を変えないために、社会から極端な貧困をなくそうとしていたのだ。しかし、階級社会にどっぷりと浸かる当時の保守党議員には、本質を変えないためには、変化こそが必要だという事実が見えていなかったのであろう。
現代では保守派の間で高く評価されているチャーチルだが、今のリベラル寄りの人々には嫌われているようだ。リベラルな人が嫌いそうな彼のエピソードには事欠ない。ある社会主義者でフェミニストの女性議員が「あなたは酔っていらっしゃるわね」と酒浸りのチャーチルをたしなめると「あなたはブサイクでいらっしゃいますな」と切り返したという。現代の政治家がこんな事を言えば、政治生命が断たれかねないスキャンダルになるだろう。
彼はその生涯において様々な政治的な失態を繰り返している。著者はこれらの失敗に寄せられる当時と現代の人々の批判を取り上げ丹念に検証していく。そして反論可能なものには、著者自身の考えを織り交ぜながら反論する。しかし、チャーチルの擁護者である著者ですら、反論できないような失態もあるようだ。
並の政治家ならば政治生命が断たれてしまうような失敗を繰り返しながらも、常に危機を抜け出す驚異的な生命力をチャーチルは示す。なぜチャーチルは極端な賛美と憎悪の念をかきたてるのか。なぜ、多くの致命的な失態を繰り返しながらも立ち直り、強固な意志で歴史に大きな足跡を残すことが出来たのか。歴史を動かすチャーチルの力とはどんなものなのか。著者はその力の源を追求していく。それは、著者がいう「チャーチル・ファクター」を追い求める思考工程である。
さらにイギリスとヨーロッパとの距離をチャーチルがどのように考えていたのか。中東の国境線を引いたチャーチルに、現代の中東問題に対する責任がどれほどあるのかという考察は、必読である。なぜか必読なのか?それは、本書の著者がボリス・ジョンソンだからである。
ボリス・ジョンソンと聞いてピンときた方もいるであろう。実は彼はイギリスの保守党に属する政治家なのである。英国では国民に「ボリス」とファーストネームで呼ばれる、ただ一人の政治家とも言われるほどの人気者なのだ。
前ロンドン市長でもあり、彼の笑いを誘う演説は、聴衆を巧みに魅了する事で有名だ。ブロンドの髪をボサボサにしている独特の風貌も目を引く。その髪型はアメリカの大統領候補ドナルド・トランプにも引けを取らない。また、最近ではイギリスのEU離脱を支持する立場をとり、物議を醸してもいる。一種、ポピュリズム的な匂いを放つ政治家でもある。だが、その人気ゆえに、次期首相候補と囁かれることもある。
もうお分かりだろう。本書は英国で国民的人気があり、政治的影響力を持った男が、チャーチルという政治家を鏡にしながら、自身の政治観や歴史観を綴っているのである。単純にチャーチルの伝記として読むだけでなく、台風の目となりうる可能性のある政治家の思考と思想を読み解くこともできる作品なのだ。