『ジュエリーの世界史』宝石商という商売著者あとがき

2016年6月28日 印刷向け表示
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ジュエリーの世界史 (新潮文庫 や 76-1)

作者:山口 遼
出版社:新潮社
発売日:2016-06-26
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”宝石屋”と”宝石商”

宝石が嫌いな女性はいないが、宝石が好きな男性もほとんどいない。これが宝石商にとっては頭痛の種だ。私事になるが、私も宝石商を50年以上やっている。仕事上の、あるいは私的な友人でも、話が彼等の夫人や令嬢に及びはじめると、どうも私のひがみかもしれないが、彼等が思わず身構えるのが、ピンとくる。女房子供に宝石屋を近づけると、ろくなことがない。どうもあいつらは、わけの分からないものを、とてつもない値段で女共に売りつける連中だ、と男性諸公はかたく信じているようだ。とんでもない誤解である。

一流宝石商の言い分はこうだ。私たちは、女性がどうしても欲しいとおっしゃるものをお届けしているだけで、三拝九拝して買って下さいと申し上げているのではない、と。

事実、歴史に残る大宝石商は皆、商売人としては実に態度の大きな男ばかりだった。そのかわり、自分の職業と売る物については、買い手以上の愛着と、知識と、自信とを持っていた。顧客もまた、こうした商人を信頼して、様々な相談を実に率直に持ちかけている。

すでに取り上げたカルティエ、ティファニー、ウインストンといった大宝石商の伝記からも分かるが、こうした宝石商と顧客の関係は、普通の商人と客の関係とは、ちょっと異なる。一度信頼された客のためには、全力を尽す、それがまた信頼を生み、より大きな商売ができる。この過程で、共通の美を求める連帯感が生まれれば、大成功だ。大富豪と大宝石商との関係は、どうも、このようなものであるらしい。

どんな商売にも、”商”と”屋”がある。宝石商と宝石屋の違いは、信用を通じて顧客により良いものを提供して、その過程で利益を求めるか、単に安売りで一時的な利益を求めるかにある。

これは実話だ。近年のこと、東京のあるお金持ちが、イタリアの大宝石店で昔買った品物を、修理に預けた。ところが、どうしたわけか、その品物が修理中に行方不明になってしまった。こうしたことは、どの宝石店でもあることだが、このイタリアの宝石商の謝り方がすごい。

事故を知るや、社長自らがローマから飛んできた。紛失した品物よりも、素人目にも明らかに高価な商品を十数点、自ら持参した社長は、客の家へ駆けつけるや、紛失の事情を説明すると共に、その十数点のなかから、お好きなものをどれでも代替として選んでいただきたい、と申し出た。

ためらう客に、少なくとも倍はする品物を選ばせた社長は、その日のうちにローマへ取って返した。このつぎローマへお越しの節は、ご滞在のホテルは私共の方で準備いたしますから、との名台詞を残して。マストロヤンニにでも演じさせたい役どころである。欧米の一流宝石商とは、こうした人種なのだ。

宝石商はユダヤ人

宝石、宝飾品という品物が、人類にとって最古の時代から存在したものである以上、それを作り、売った人々もまた、古くから存在したに違いない。だが、宝飾品そのものは莫大な遺品が残っているものの、古代の宝石商の記録は、極めて少ない。

自給自足が原則であった原始社会では、誰もが宝石商であり得た。自分で見つけた貝や石を、自分で加工して飾るだけで、充分であったのだから。だが、金属の加工が必要な段階に入ると、専門家が必要となる。しかし、専門家を育て、その社会的存在を認めてゆくには、生産に余剰がなければならないのが経済の原則だ。こうした条件がそろったのが青銅器時代であり、理論的には、この頃から宝石商が存在しても不思議ではない。

遺跡として残る最古の宝石店は、英国のウーリー卿が、トルコ南端のアルミナ遺跡で発見したものであろう。家の遺跡はわずか一坪以下の広さにすぎないが、なかからは、金や銀の塊と、溶けかけた金貨、はかりなどが出土している。これは紀元前一世紀頃の遺跡だ。この後も、ローマ時代を通じて、人名を刻んだ作品や宝石が残ってはいるが、それが作者を示すものか、所有者を示すものかは不明である。

同一の職業にたずさわる人が、特定の都市や地域に集まって作る組織がギルドである。宝石商という仕事の発達史の次の段階はこのギルドで、特に、アレキサンドリア、パルミュラ、スミルナなどの町のギルドが有名であった。新約聖書の「使徒行伝」にも、銀細工師のギルドについての長い言及がある。が、宝石商や宝飾品を作る職人についての記録は、普通極めて少なくおぼろげなものにすぎず、ここからいきなりルネッサンス期へと飛んでしまう。

彼等の記録がほとんど残されなかった理由は、その職業にたずさわっていた特定の人々――主としてユダヤ人であるが――に対して、偏見があったためかとも思われるが、確証はない。古代や中世では、どの分野でも職人については軽視されることが多いが、宝石商は特に影の薄い職業であったようだ。

階級社会の宝石商

宝石商、それも一流の宝石商が存在し得るためには、それを支えるだけの経済力を持った顧客がいなければならない。だから、名をあげるに値いする宝石店は、すべて先進工業国にしか存在しない。新聞記事などで、香港やアラブ諸国などの宝石店が話題になることがあるが、彼等は所詮、観光客相手の土産物屋か、特定の人間のための輸入代理店にすぎない。

では、アメリカ、西欧諸国、そして日本の一流宝石店が同一のものかと言えば、これが大きく異なる。特に我が国と、宝石の先進国である西欧との間には、我々日本人が普通では気がつかない、大きな差異がある。宝石商自身の差というよりも、それを支える社会の構造の差だ。

たとえば、欧州には入口に鍵のかかった宝石店がある。ロンドンの「ガラード」、パリの「ヴァン クリーフ」や「カルティエ」、ローマの「ブルガリ」など、皆そうだ。海外旅行の折りに訪ねられた方は、ご記憶であろう。もっとも、最近では〝ブティック〟と称して、誰でも入れるもう一つの入口を脇に設けている店も多いが。

こういう店には、入るだけでも大変。必ずドアマンがいて、予約のない客やふさわしからぬ服装の人間は、まず門前払いが普通だ。こうした形式をとるのは、日本とは比較にならないほど犯罪が多い状況での自己防衛も理由の一つだが、欧州の社会が本質的には階級社会だからだ。

暗黙の不文律に基づく階級社会、これが欧州の現実である。こうした宝石店は、社会の特定の階級の人のみが訪れる店であり、誰でもが行く店ではない。だから、誰にでもドアを開けるわけではない。もちろん、欧州の中産階級も宝石を買う。だが、彼等が行く店は全く別に存在する。この両者は、店も客も互いにまじわることは絶対にない。扱う商品の内容も、価格も、両者は完全に異なる。これはなにも、宝石店だけではない。高級雑貨店は皆おなじである。

日本では、こうした店舗は開けない。ココハ、アナタノクルトコロデハアリマセン、と門を開かない店が、大胆にも日本に出現したらどうなるか、想像しただけでも楽しい。社会的平等の旗手である大新聞が、真っ先にかみつくであろう。”大金持ち以外は客にあらず、というお店、日本に上陸”などという記事、ついで、”金で人間を区別できるか――なげかわしき世相、荒川区、匿名希望75歳”という投書など、袋叩きにあうのは目に見えている。

特定の人しか相手にしないという、不遜としか言いようがない営業方針をとれるのは、ある人間の属する階級が原則として変化することはないという、牢固たる階級社会なればこそだ。ある人間が、上にも下にも階級的に動かないのなら、今、上流の階級だけを客とすることは、店に実害を及ぼすことはない。そうしたことに不満を持つ人が客になり得る可能性は、全くといってよいほどないのだから。これが、西欧民主主義社会なるものの実態だ。

この点で、我が国は根底から違う。本人の能力と努力次第で一代ごとに階級が変化するこの国では、誰がいつ客になるか分からない。だから、日本の宝石店は、あらゆる客に対して対応できなければならない。当然のこととして、店構えも品揃えも、西欧の宝石店とは大きく異なり、経営上でも大変な重荷となっている。

まだまだ若い日本市場

では、こうした事情をかかえた現在の日本の宝石市場は、どのようなものなのか。鹿鳴館以後、国全体の西欧化のなかで、宝飾品は順調に市場を拡大していった。だが、戦前の日本は現在の西欧に似て階級社会であったので、その在り方は現在と大きく異なっていた。

今日、日本の宝石、宝飾品市場は、年商一兆数千億円を超える巨大な市場となっていることはすでに述べたが、これは、女性一人当り、年間で実に4万円以上の支出をしていることになるのだ。これほどまでに宝飾品は、女性の必需品となっているのだが、この市場の歴史はまことに新しい。戦争による空白期間を経て、大衆市場へと変化した現在の宝飾品市場は、1964年の東京オリンピック以後、わずか50年ほどの歴史しかない。今はちょうど、二代目の客と三代目の客とが交代を始めた時期にあたる。

住は一代、衣は二代、食は三代という言葉がある。中国にも、富貴三代、方知飲食――富貴ナルコト三代ニシテ、モッテ飲食ヲシル――という表現がある。金に困らないようになっても、食を理解するまでには、三代かかるということだが、宝石を知るのは、何代かかるのだろうか。

少なくとも一代ではない。初代が手当り次第に集めた宝飾品を、子供の頃から日常品として見てきた二代目が、年頃になると盗み使いなどして、若い頃から本物に慣れる。これで少しは品物のよしあしが分かる。しかし、自分の趣味で統一できるほどにはならない。三代目は、こうした二代にわたる品物をひきつぎ、自分の趣味や主張を加えたコレクションを作り、用い方も決して気張ることなく、日常品としてさらりと使えるようになるだろう。やはり、宝石も三代、まさに富貴三代、方知宝石、である。

この意味からすると、現在の日本人は、まだ宝石を充分に知るという段階には達していないと言える。事実、二代目にさしかかっている現在の市場で売られている商品、宝石商の売り方と顧客の買い方、その実際の使い方など、どれを見ても、残念ながら、宝石を知るの境地には達していない。また、蓄積も極めて少ない。

水準の低さで最も顕著なのは、売られている商品に、良心的なものと粗悪品とが混っていることだ。これはもちろん、第一は売り手側の責任だが、買い手側も商品のよしあしが区別できなければ、グレシャムの法則通り粗悪品がのさばる。よく、骨董の良いコレクションをするためには、偽物をつかむ経験がなければならないと言われるが、良くできた二流の粗悪な宝飾品を見抜くには、一代の経験では無理である。

誤解のないように言うが、市場が成熟すれば粗悪品がなくなるのではない。どんな市場にでも、粗悪品を作って売る商人は存在する。宝石についての先進国である西欧でも事態は同じだ。ただ、買い手の経験が増え、市場が成熟すれば、一流品と粗悪品とが一緒に売られることはなくなり、おのずと別の市場に分かれてゆく。現在の日本の宝石市場は、業者も客もあまりにも若く、こうした水準に達していない、というのが実状である。

良い店と悪い店

では、粗悪品はどういう点で見分けられるのか、という問いが聞こえそうだ。本書は実用を目的としたものではないので、簡単に誰でもが理解できる特徴を二つだけあげる。粗悪品の最大の特徴は、”高価に見せよう”とすることだ。

これが最も顕著に現れるのが、「メレー」と呼ばれる小粒の飾りダイヤモンドの使い方だ。メレーを多く用いるほど、作品は美しくなる。良心的な作品には、普通では人目につかないような所にまで、びっしりとメレーを入れているが、一見高級品実は粗悪品はこの逆で、メレーが10個はいるスペースがあるのに、6個しか使わない。残りのスペースは、彫りやメレーを留める爪を大きくしてごまかす。

また、ティファニーの項で述べた通り、ダイヤモンドの指輪で、爪の飛び出し部分を異常に大きくしてダイヤモンドを大きく見せようとする品物も、二流品の典型だ。分かりやすいもう一つの特徴は、細工に繊細さが欠けていることだ。宝飾品には指輪を除いて、動く部分がある。ブローチならピン、ブレスレットならつなぎの部分、耳飾なら耳に固定する金具、ペンダントなら鎖を通す輪の部分などだ。この部分がなめらかに動かない作品は、間違いなく粗悪品である。

大変に大雑把な言い方をしたが、こうした怪しげな商品が、かなりな比率で大手をふってまかり通っているのが、現在の日本の宝飾品市場である。一言でいえば、客も業者も若い。だからこそ、逆に考えれば、まだまだ大きくなり、高い水準に達するだけの可能性があると言える。日本のジュエリー・デザイナーの水準の高さについては、国際的なデザイン・コンテストや展示会などで広く認められている。また、鹿鳴館時代以来、輸入する一方であった日本から、宝飾品の輸出をするまでになっている。

永年宝石商をやっていると、始終尋ねられるのは、宝石はどんな店で買えば間違いないのか、という質問だ。またまた実用書めくが、いささかなりとも実際のお役にたてばと、簡単に述べてみたい。

良い宝石店の第一の条件は、商品が豊富なことだ。売れる店には、いろいろな業者が多くの商品を持ってくる。店はそのなかから良い物を自由に選び、売れない店よりも有利な条件で、より多くの商品を扱うことができる。だから、ある品物を買いたいと思った時に、似た商品をどの位見て、比較ができるかは、その店の力を示すものだ。

第二には、やたらと安いとか、割引とかを強調しない店であることだ。宝石商も商人である以上、損をしてまでものを売るわけはないので、安さや割引だけを強調する商品は、それ以外に取り柄のない商品にすぎない。そうした店で買い続ければ、残るのは安かろう、悪かろうの品物だけだ。

第三には、販売員を見ること。良い店の販売員は、それぞれの顧客に最も良いと思うものだけを勧め、ろくでもない店の販売員は、何でも売れさえすればよい、という態度を見せる。大変に雑な言い方だが、9割がたは正確である。

宝石商は宝石狂

企業として見た宝石商の特色は、大企業が存在しないことにある。アメリカにはさすがに、年商が1000億円を超える企業が二つほどあるが、これとても、数百億円単位の小売部門の連合にすぎない。市場そのものが小さいのなら別段不思議はないが、アメリカ市場が4兆円を超え、日本の市場が一兆数千億円という市場を持ちながら、最大企業のシェアが4%以下というのは、やはり異常である。

宝石商が大企業たり得ない理由があるのではないか。すでに繰り返し述べた通り、個性ある宝石店はみな、宝石が何より好きだという宝石狂の人によって経営されている。そうした人は店の隅々や商品の一つ一つに、非常に細かい注意を払っている。

しかし、一人の人間が、業務の隅々まで目を光らせる範囲にはおのずと限界がある。だから、企業として大きくなりすぎ、特定の経営者の視界を超える規模に達すると、とたんに宝石商としての面白さが薄くなり、ひいては企業としての成長にブレーキがかかる。どうやら、この繰り返しで、宝石商の経営規模に限度が生まれる、というのが正解だろうと私は思う。

この意味では、商売というよりも、趣味に近い。宝石商にとって最も嬉しいのは、自分が良いと思った商品が、その商品が最もふさわしい人に売れた時ではなかろうか。単に、何でもいいから売れさえすればよい、というのは心ある宝石商のとるべき態度ではない。

これまで長々と、現実に宝石業にたずさわる者としての自己弁護をかなりまじえて、宝飾品の歴史と広がり、そして宝石商という不思議な人種について述べてきた。どんな職業にも、それなりの言い分はあるものさ、と言われてしまえばそれまでであるが、宝石や宝飾品について、とかく虚栄の代表と考えがちな――特に男性諸公の――意見を、若干なりとも正せるならば幸いである。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
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