『偽りの薬 降圧剤ディオバン臨床試験疑惑を追う』文庫解説 by 柳田 邦男

2018年9月3日 印刷向け表示
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偽りの薬: 降圧剤ディオバン臨床試験疑惑を追う (新潮文庫 か 85-1)

作者:河内 敏康
出版社:新潮社
発売日:2018-08-29
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製薬企業と大学医学部などの医療機関がカネで癒着して、特定の薬の効果を証明する臨床試験のデータを改ざんあるいは捏造して、実際にはない効果を「ある」とする報告(論文)を公表し、企業は論文を利用して大々的に宣伝、医師はどんどん患者に投薬したら何が起こるのか。

それは、あまりにも明白だ。その薬を処方された患者は、効くと信じて医療費を支払い、薬を飲み続けているのに、症状が改善されなかったり、危惧していた副作用が生じたりするという被害を受けることになりかねない。

一方、製薬企業はその薬の売れ行きを大きく伸ばして巨額の収益を得、臨床試験の主任を務めた教授クラスの医師は製薬企業から多額の奨学寄付金を大学に提供させて、学内での権威と地位を高めることになる。そんな「患者無視」の偽りの臨床試験と偽りの薬の販売は、医の倫理・企業の倫理に反することであり、絶対にあってはならないことだ。

ところが、まさにその通りの事件が起きたのだ。製薬企業ノバルティスファーマが、自社の高血圧治療薬(降圧剤)ディオバンに、脳卒中や狭心症のリスクを下げるという認可外の効果があると思われるので、そのことを証明する臨床試験を行ってほしいと、5つの大学(京都府立医大、東京慈恵会医大、滋賀医大、千葉大、名古屋大)に協力を求め、各大学ともこれに応じたのだ。

このうち、後に刑事事件として厚労省から告発された京都府立医大の臨床試験(被験者三千人余の大規模試験)では、当時ノバルティスファーマの社員だった白橋伸雄氏が臨床試験のデータを改ざんして、ディオバン服用の患者は他の降圧剤を服用した患者より脳卒中などの発症者が有意の差で少ないという結果が出るように操作したことが、明らかになった。同大の教授らは、この結果を論文にまとめ、内外の医学専門誌に投稿した。ノバルティスファーマは、その論文をディオバンの宣伝に大々的に利用した。その効果は絶大で、ディオバンの売上額は、年間1000億円を超えるヒット商品となった。だが、当初の数年間は、臨床試験のデータは不正に操作されたもので、同薬に脳卒中予防の効果があるという証拠はないということは、医療界の誰にも気づかれなかった。心臓血管の専門医たちが、何の違和感もなく、日常的にディオバンを処方していたのだから、行政(厚労省)も捜査機関も関心を向けるはずもない。

そんな段階から毎日新聞の科学環境部の一人の記者・河内敏康氏が、ひょんなきっかけから、ディオバンの臨床試験に疑問を抱き、《何か深い問題がありそうだ》と直感し、真相究明のために長期にわたる取材を始めた。それは、たまたま特ダネを拾ったというものではなく、河内氏が長年の取材経験で身につけた知識と情報感覚と人脈の広さを基盤にした透視力のある記者(フランス語で言うvoyant)だったからだろうと、私は思う。もちろんゴールに辿り着くまでのねばり強さが、透視力に付加されての結実になるのだが。

〈きっかけは1通のメールだった。〉こういう書き出しで始まる取材記録『偽りの薬』は、単に特ダネをスクープしたことを得々と自慢気に語るいわゆる”記者もの”とは違う。断片的な情報を掴むと、その意味を取材経験や蓄積してきた専門的な知識に照らして考え、その問題に詳しい専門家を探して会いに行く。取材範囲を広げるために、もう一人の記者・八田浩輔氏に協力を求め、チームを組むが、時には行き詰まって、取材を深められない時もある。誰かから情報を提供されても、それが確かなものかどうかを裏付ける証言あるいは証拠を手に入れることが、なかなかできないこともある。肝心の当事者である研究チームの教授にやっと会えても、臨床試験のデータ改ざんなどしていないと全面的に否定される。

そういう困難な局面が何度も繰り返される。記者たちの苦悩する心理も書き記される。それでも飽くなき記者根性で、取材を続けると、霧の向う側にあった事件の構図が次第に姿を現してくる。闇の中にあった臨床試験データの改ざんの経緯や、改ざんの”実行者”と言うべきノバルティスファーマの人物(白橋伸雄氏)の特定とその臨床試験への深いかかわり方が、二年以上のたゆまぬ取材で明らかになっていく。その取材の一コマ一コマが、リアルに記されていく。

その真実の覆いを一枚ずつ剥いでいく取材の経過は、かつて1972年のアメリカの大統領選挙で共和党側が起こした不正な事件の真相を次々に暴き、ついにニクソン大統領が関係していたことを明らかにして辞任に追い込んだワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者による取材ドキュメント『大統領の陰謀』を彷彿させる。

『偽りの薬』で解き明かされたディオバン臨床試験疑惑の問題点は極めて多岐にわたる。それらの問題点の多さと重要性は、登場するキーワードの多様さが示している。

「奨学寄付金」の額の大きさ
「企業と医師・医療機関をめぐる〝薬とカネ〟」
「臨床試験のスポンサー」
「産学癒着」
「臨床試験のデータ改ざん」
「ブロックバスター(年間売り上げ一千億円級の大ヒット医薬品)」
「販売戦略と臨床試験」
「研究論文の販売プロモーション利用」
「誇大広告」
「EBMの危機」(EBM=科学的根拠に基づく医療)
「研究者の倫理観」
「企業倫理」
「被験者保護」等々

これだけ多岐にわたるキーワードを見渡すと、ディオバンの臨床試験データの不正事件は、医学・医療界に潜むリスキーな問題がいかに多いかを露呈する役割を結果的に果たしたとさえ言える。

『偽りの薬』は、毎日新聞の初期のスクープ記事が引き金になって、一気にメディア各社の関心事となり、臨床試験のデータ捏造など問題の核心が次々に報道されると、医学界の関係委員会や厚労省も調査に乗り出し、ついに東京地検特捜部がノバルティスファーマの会社と白橋伸雄氏個人を薬事法(現医薬品医療機器等法)違反容疑で東京地裁に起訴したところで、巻を閉じている。2014年のこと。

そして、東京地裁がこの薬事法違反の容疑に対し、判決を下したのは、本書文庫版が刊行される1年半前の2017年3月のこと。東京地裁判決は、真相を追及してきた河内・八田の両記者にとって衝撃的なものだった。ノバルティスファーマも白橋氏も無罪だったのだ。

この判決内容は、本書の「文庫版あとがき」に詳述されているが、その内容は、単行本刊行後の重要な動向を新たな一章として追加したと言えるだけの意味を持つ。もともと起訴されていた罪状は、臨床試験のデータを改ざんした行為そのものでなく、薬事法の定める「虚偽または誇大な広告、記述、流布をしてはならない」という条項に違反したという点に絞っていたのだ。検察側は、京都府立医大の研究チームが医学専門誌に寄稿した論文(データの改ざんでディオバンの薬効が降圧効果だけでなく別の降圧剤と併用すれば脳卒中などの予防効果があるとしたもの。後に掲載を取り下げた)を「虚偽広告」として、違法行為の根拠にしたのだ。

これに対し判決は、ノバルティスファーマが京都府立医大に三億八千万円という桁違いに巨額の奨学寄付金を提供し、白橋氏を臨床試験のデータ処理にかかわらせて、虚構の論文を書かせたこと、偽りのデータは白橋氏が意図的に改ざんしたものであること、ノバルティスファーマは試験に関する一連の論文を大々的に広告・宣伝に利用し、ディオバンの売り上げを飛躍的に拡大したことなど、事件の構造の重要な骨格については、ほとんど検察側の主張通りに認めているのに、ただ一点、「論文は広告に該当しない」という判断をして、会社の行為も白橋氏の行為も薬事法の条項に違反していない、ゆえに「無罪」と判断したのだ。

一体、河内・八田の両記者が、製薬企業と大学医学部と医師を巡る〝黒い霧〟の真相を追及した報道と、その総括である著書『偽りの薬』に果たして意味があったのかと、私も一瞬たじろぐ気持ちが脳内を駆け巡った。だが、事件の全体像を改めて辿り直すなら、二人の記者が、臨床試験のデータを改ざんまでして収益を拡大した製薬企業のプロジェクト企画と、協力した大学、教授ら医師たちの「患者無視」の臨床試験データの捏造と、偽りの論文発表という、企業の社会的倫理と医の倫理を踏みにじった行為一つひとつの事実とそのゆがんだ全容を白日の下に曝け出した報道の社会的意義は変わらないと確信する。

もともとこの事件が内包する様々な問題を俯瞰すると、薬事法違反として刑事責任追及の対象になった行為は、事件の骨格のほんの一部に過ぎない。ちなみに一番大事な評価基準は、病気で苦しむ患者の健康と命をよりよい方向に向かわせるという大目的のために、その方法を探り実行しようとしているのかという点にあるはずだ。その倫理観が関係企業人の意識からも医師の意識からも欠落している。そこにこの事件の根源的な問題があるはずなのだが、残念なことに、刑事責任追及の裁判においては、倫理観の問題は訴追の対象にはならないのだ。

「論文は広告に該当しない」から「無罪」という東京地裁の判決に、長年この事件を追いかけてきたメディア各社の記者たちは、一瞬頭の中が真っ白になるほどの衝撃を受けたと聞く。それは、判決が争点となった諸々の事項のほとんどを検察側の主張通りに「事実」と認定すると縷々論述したにもかかわらず、最後になって、突然「論文は広告に該当しない」という判断基準を提示して「無罪」の根拠にしたからだった。

こうした奇妙なと言うべき判決が出される背景(根底と言うべきかもしれない)には、少なくとも次のような二つの理由がある。

第一は、刑事責任追及裁判の限界だ。法治国家においては、誰でも法の下に平等であり、法律に書かれている犯罪に該当する行為をしない限り、刑を科されることはないという大原則がある。これを裏返して言えば、法律に書いていないことで、刑を科されることはないということになる。従って、検察が誰かを刑事責任ありとして訴追するには、被疑者がどの法律のどの条項に反する行為をしたのかを明示するとともに、その証拠を揃えて法廷に臨まなければならない。倫理に反する行為をしたというだけでは、起訴できないのだ。

そこで降圧剤ディオバン臨床試験のデータ捏造事件では、検察はノバルティスと関係者のどの行為と誰を責任追及の対象にすれば有罪判決を導き出せるか、絞りに絞った結果、薬事法が禁じている、医薬品の「虚偽または誇大な広告、記述、流布」に違反したという行為であれば勝てるだろうという一点に限定して、ノバルティスファーマと白橋氏個人を起訴したのだ。これに対し判決は、既述のように一連の行為が不当であることを認めつつも、断罪する判断基準が法律では明示されていないので、裁判所の見解としてその基準をいわば勝手に決めて、その一項である論文は広告とは見做さないという基準に照らして「無罪」としてしまったのだ。

つまり、製薬と臨床試験をめぐる規制が法的に未整備であるため、裁判官がそれを補う判断基準を作って有罪か無罪かの裁定をしたわけだが、その判断基準が妥当なものかどうかは、法廷では論じられていない文面になっていたのだ。この医の倫理にかかわる重大な事件を裁くのに、そういう法律の適用の仕方でよいのか、そこに第一の問題がある。

第二には、裁判官の判断が、法律や判断基準の適用の仕方(解釈の仕方)において、あまりにも形式的、表面的に過ぎるという問題だ。特に、「論文は広告に該当しない」という判断基準が妥当なものであるかどうか、その実態について、『偽りの薬』が明らかにしたこの問題をめぐる事実を列挙してみよう。

09年の(京都府立医大の)最初の論文は「従来の降圧剤に加えバルサルタンを服用すると、血圧の低下と関係なく、脳卒中や狭心症のリスクも下がった」と、欧州心臓病学会誌に発表された。ノ社は、この論文を基に、バルサルタンの効果をアピールする広告を医学雑誌にたびたび掲載するなど営業活動を展開。コンサルタント会社によると、11年度の売上高は、日本の医家向けの医薬品中3番目の約1192億円に上った。

ノバルティスの内部資料によると、バルサルタンの広告は日経メディカルと業界紙メディカルトリビューンに特化して掲載されてきた。そしてその広告は、論文が撤回された慈恵医大や京都府立医大の臨床試験の経過や成果を大きく紹介するものだった。

慈恵医大の論文は、広告記事などで繰り返し引用されただけでなく、ノバルティスによって別刷りが医師たちにばらまかれた。スミスが指摘するように、《製薬企業にとっては、自社製品に都合の良い結果の出た臨床試験は何千ページもの広告に値する》からだ。

裁判官の中には、世間の常識が薄く、法律の条文の形式的な解釈ばかりに終始していると言ってよいような人物が少なくないと、よく言われる。論文は広告ではないという、東京地裁判決は、裁判官の資質もからむ判断なのかもしれない。

繰り返しになるが、一審で無罪の判決が出ようと、内容が既述のようなものである以上、その判決は製薬業界と医学・医療界との不透明な関係を払拭するメッセージにはならないだろう。逆に、河内・八田の両記者による取材記録『偽りの薬』こそ、その果たす警鐘の役割は大きいと言えよう。

ノバルティスファーマのディオバンの臨床試験不正事件は、製造企業の製品に対する品質管理の問題でもある。言い換えるなら、自社製品の品質の維持向上を、経営陣がどこまで重視しているかという問題でもある。

この事件は、この国の工業製品の品質管理が危機的な状況に陥っていることと無縁ではなかろう。

新幹線「のぞみ」の台車に亀裂が入って破断寸前だった重大インシデントでは、台車枠の強度維持に必要な厚みが不足するほど取り付け作業の都合で削られ、設計の寸法より最も薄い部分で3分の2ほどの厚さしかなかった他、底面に付ける「軸ばね座」の熱処理が施されていなかった疑いがある。台車の製造と取り付け作業は、総合重機大手の川崎重工業が担っていた。

やはり鉄鋼、アルミ、銅などの素材産業大手の神戸製鋼所は、アルミ、銅、鉄鋼の製品を強度や寸法が顧客と契約した基準に合わないのに、データを改ざんして書類上で合うように見せかけて出荷。出荷先は600以上に上り、国内では三菱製の国産初のジェット旅客機や新幹線、自動車などに広く使われ、さらにアメリカの航空機メーカー、ボーイング社や自動車メーカー、ゼネラル・モーターズ(GM)などにも出荷してきたため、国際問題に発展した。

非鉄金属大手の三菱マテリアルは、本社生産拠点の直島製錬所(香川県)や子会社五社で、日本工業規格(JIS)の規格に合わない製品などを、品質データを改ざんして出荷していた。

石油化学の宇部興産は、本社を含むグループ六社が製造するポリエチレン製品など24製品について、強度や伸びなどの検査データを捏造や改ざんをして、113社に出荷していた。

日立化成は、病院、工場、通信基地などに備え付けられている非常用電源に使われている産業用蓄電池の一部について、品質データを顧客と約束した方法よりいいデータが出る傾向のある独自検査を基に作成して出荷していた。該当製品数は約6万台、出荷先は約500社。

品質データの改ざんは、自動車製造業界にも広がり、日産自動車とSUBARU(スバル)が、燃費や排ガスのデータを改ざんしていたことが判明した。

こうした製品の品質に関する不正事件を起こしている企業は、いずれも一部上場をしている日本を代表する大手企業で、業種も多様だ。不正の根底には、企業が守るべき社会的倫理を無視した売り上げ第一主義という妖怪が跋扈しているこの国の状況がある。そして、このような状況は、この国に生きる人々の命を危機にさらしている。新幹線「のぞみ」の台車亀裂問題は、その象徴的な事例だ。

このような状況の中で起きたノバルティスファーマの事件は、格別に重要な意味を持っている。製造業における品質管理の軽視は、売り上げ・収益第一主義が闊歩する中で、人間の健康や命こそ大事なのだという価値観が薄れていくという負の影響の表れだが、製薬業においては、そこにもたらされる結果は深刻なものになるからだ。虚偽の臨床試験のデータによって、ありもしない効果があると信じて薬を服用する患者は、何万、何十万という規模になる。それだけの人々の健康と命がかかってくるのだ。そういう世界に、”黒い霧”などは、絶対にあってはならない。『偽りの薬』は、そういう時代状況に対して、実に多くの教訓に気づかせてくれる密度の濃いドキュメントだ。

(平成30年7月、ノンフィクション作家)

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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