『澤野工房物語』下駄とジャズの二刀流で、細く、長く、好きを貫く

内藤 順2018年11月19日 印刷向け表示
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澤野工房物語 下駄屋が始めたジャズ・レーベル、大阪・新世界から世界へ
作者:澤野由明(澤野工房代表)
出版社:DU BOOKS
発売日:2018-09-28
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人生100年時代と言われる昨今だが、一つ気になっていることがある。それは人生が長くなっているにもかかわらず、会社の寿命は案外短いということだ。

一般的に企業の寿命は30年とされているから、パラレルキャリアという言葉に注目が集まるのも無理はないだろう。しかし最も重要なのは、キャリアを2つ作ることではなく、どのように持続可能な状態を築けるかという点にある。

大阪の新世界において、下駄屋を営む澤野 由明氏。彼は創業100年を超える老舗「さわの履物店」を経営する人物だ。この下駄屋の店主がなぜかジャズ・レーベルを始め、今や世界中に多くのファンを持っているという。本書はこの澤野氏のビジネス群像を描きながら、格好のジャズ入門書としての側面を持ち、さらには多くのビジネスマンの生き方指南書にもなりうる一冊だ。

下駄とジャズ、この一見無関係に思える2つのキャリアが、交わりそうで交わらない。まず最初に注目したいのが、澤野氏にとって一番好きなジャズを、メインの仕事ではなくサブに位置付けたことだ。サブであったからこそ、ジャズの事業を大きくする必要がなかったし、たくさん売る必要にも迫られることがなかった。だから自分の手の届くサイズ感の中で、プル型の商いを貫けたのである。

無論このやり方は長期戦を強いるが、その時間を耐えることができたのも、下駄屋という生活のベースがあったからに他ならない。好きを貫くためには、お金のための仕事をしなくてもすむ状態を作ることがマストであるということだ。

また澤野氏が注力したジャンルが、ただのジャズではなく、ヨーロッパのジャズであったこともポイントと言えるだろう。ヨーロッパのジャズとアメリカのジャズでは、同じジャンルとはいえ魅力は大きく異なる。黒人の血と汗が音に滲み出たアメリカの熱いジャズに対して、ヨーロッパのジャズはクラシックを肥料に温室で純粋培養されたアートに近いものであるという。

いわばジャンルのメインストリームではなく、支流のような領域を偏愛する場合には鉄則がある。それは同類を見つけたときに、マウンティングをしてはならないということだ。

かつて「すべてのジャンルはマニアが潰す」という言葉があったが、マウンティング合戦が跋扈する分野は、なにしろ裾野が広がらない。裾野が広がらないということは、すなわちマーケットが広がらないことを意味する。だから澤野氏はとにかく、ジャズ=小難しい音楽というイメージを取り払うために「聞いて心地よかったらええやんか」と言い続け、ハードルをできるだけ低くすることに尽力した。

さらに彼が行ったのは、聞き手から送り手へと領域を広げていくことであった。一風変わった趣味であればあるほど、ただの趣味で終わらせないという姿勢を貫けば、偏愛の中に経済圏が生まれてくる。澤野氏は、国内盤LPをヨーロッパに輸出することから始め、ひょんなことから輸入に手を広げ、さらには自主制作やコンサートの主催へとフィールドを広げていく。

純粋なファンの目線だけで商いを続けていくのは、案外難しい。この時に何をしたかではなく,何をしなかったかに着目すると、見えてくるものが大きい。 形のないものには愛情を注げないからという理由で、ストリーミングやダウンロードはやらない。基本的にジャズはアルバム単位で聞くものというポリシーからベスト盤やコンピレーション盤を商品化しない。また余裕がなかったため、広告を出すことも一切しなかった。

ストリーミングやダウンロードをやらないというのは、LPやCDといったパッケージ販売のみを行っているということである。見方によっては衰退マーケットとも言えるだろう。

事実、澤野商会は、メディアが変化するタイミングで3度潰れかけている。1回目はCDが本格的に普及し始めた85年頃。2回目は輸出業務に次いで始めた輸入業務が立ち行かなくなった87年頃。そして3回目は、中古レコードを販売していた店舗が閉店になった98年。

しかし、二刀流で細く長く商売を続けていたからこそ、この激動の時代を生き延びることが出来たのだ。トンネルを抜れば、その先に見えてくるのは残存者利益というものである。利益を先送りし続けることによって、「CDを出している最後のジャズ・レーベル」という独自性を狙えるところまで来ているのだ。これが衰退マーケットを扱う際の、最大の醍醐味とも言えるだろう。

サブに置いたから大きくする必要がなかったし、大きくする必要がなかったからニッチを狙えたし、ニッチを狙ったから長く続けることが出来たし、長く続けることができたから残存者利益を狙うことができた。すべてが計算尽くではなかったはずだが、好きを貫けば自ずとこの構造に落ち着くことだろう。つまり本書は、澤野氏の働き方をベースに、偏愛経済学が成立する条件がについて語っているのだ。

走っている最中に、ゴールが遠のいていく。そんな感覚を持っているビジネスマンは意外に多いかもしれない。だが焦って目先のことに囚われてははいけないということを、本書は様々な角度から教えてくれる。長期戦を生き残るためのヒントが余すことなくおさめられた、急がば回れのキャリア論だ。

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