『モンスターマザー 長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』”でっちあげ”を超える悪夢

東 えりか2019年01月31日 印刷向け表示
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 世間にモンスターが跋扈している。患者が、消費者が、視聴者が、そして親が、モンスターとなって理不尽な要求を言い募る。今では社会現象の一つとして、対応方法のマニュアルまで製作されるほどだ。困った人の扱いには注意しろ、社会人の心得の一つである。

子供を預けている学校は、そのモンスターが発生しやすい。無理難題を吹きかける教師もいれば、授業妨害を繰り返す生徒もいる。我が子可愛さに親の要求がエスカレートしていちゃもんになっていく場合もある。裁判費用などを負担する個人賠償責任保険まであるというから驚きだ。

学校や教師ばかりか教育委員会、果ては市や県にまでクレームをつけ、裁判に持ち込む。それが正当なものならわかるが、嘘八百を並べ立てる場合もある。

そういう親たちを総じて「モンスターペアレント」、略して「モンペ」というようになったのは1990年代後半くらいだったろうか? 本書はその中でもかなり特殊なモンスターである。母親ひとりで学校に挑んでいく姿はすさまじく、背筋が寒くなる。その子供の気持ちを思うと涙が出てくる。

あらましはこうだ。 

2005年12月、軽井沢に隣接している長野県御代田町で県立丸子実業高校(現・丸子修学館高校)に通う高校1年生の男子が自殺した。母親は所属していたバレーボール部内部でいじめがあったことを苦にしていたと証言し、少年が気持ちを書きとめていたノートには「いじめをなくしてほしい」という記述もあった。事実、夏から不登校が続いており、家出も2回している。少年には声が出にくいという障害があり、部活の先輩にその真似をされたり、ハンガーで頭を叩かれたりしたことを母親に報告していたという。

だが高校側はそれに反論し、校長は「いじめとは考えていない」と語り、「母親が言う暴力やいじめと、学校側の認識に違いがあった」と説明した。

これだけだと世間によくあるいじめの隠蔽事件のようだ。事実、マスコミは母親の主張を全面的に信用し、学校の落ち度をせめ立てた。学校がいじめの実態を把握していないために起きた事件は後を絶たない。確かに多くの少年の自殺は、陰湿ないじめが関わっているのは間違いない。

この少年は遺書を残していた。

お母さんがねたので死にます

小さなメモ用紙に走り書きのようなものだった。少年の挙動を不審に思った母親が監視を緩めた時間の自殺だったという。

自殺から1か月、東京弁護士会所属の高見澤昭治弁護士が校長を殺人罪および名誉毀損で刑事告訴した。不登校で欠席が続くと2年生への進級が極めて困難になる、など精神的に追い詰めた結果、自殺を決意させたと主張、これが「未必の殺人」に当たるというのだ。同時に遺族側は、長野県、学校長、いじめをしたとされる上級生やその両親を相手取って1億3800万円あまりの民事訴訟を起こした。

ここまでがマスコミで報道された経緯である。学校が矢面に立たされた形だ。 

だがこの少年の自殺までの母親の行動は常軌を逸していたのだ。著者の福田ますみは少年の友人、学校関係者、教育委員会、児童相談所などを徹底的に取材し、証言と事実を淡々と積み上げていく。

少年が自殺する前、彼が何度も家出を試みた理由は、本人が部活の友人たちに語っている。母親の要求は苛烈で、教師たちの戸惑いと恐怖は読み手に伝わり、手に冷たい汗をかいていた。

母との関係が上手く行っていないことも、部活の仲間は知っており、父兄も含めてなんども引き離そうと説得を試みる。だが少年は母親のもとを離れようとはしない。

なぜ逃げないのか、なぜ本当のことを言わないのか。少年の心がわからずもどかしい。

通学時間が90分と長いにもかかわらず、少年は家事全般を担っていたようだ。幼いころからやっていたバレーボールの名門、丸子実業に進むことができたのは、きっと嬉しいことだっただろう。だが母親は学校に乗り込み部活の時間を制限させた。不登校も少年の望みではなく「学校に来たいし部活もしたい」と答えている。

だが少年は自殺してしまった。彼の力になりたいと周囲が心を砕いていたことが無になってしまった。その落胆がいかばかりだったか。母親の悲しみは裁判に向けられた。

だが言いがかりのような賠償請求に部活の仲間や父兄、先生たちも黙ってはいなかった。訴えられた被告たちは団結し、遺族側に対し「いじめも暴力も事実無根で、母親のでっち上げ。母親の行為で精神的苦痛を受けた」などとして、3000万円の損害賠償訴訟を長野地方裁判所に提訴した。

母親の行動や抗議は常軌を逸している。正直、こんな人が本当にいるのかと信じられないのだが「困った人」に困らされている人は世の中に多い。この母親は精神科に連れられてくることはなかったが実兄の言葉を通じた医師の見立てでは「人格障害の疑い」とされ、治療対象とはなっていない。

精神科医で人格障害(最近ではパーソナリティ障害と呼ばれる)の最前線に立つ岡田尊司の『パーソナリティ障害がわかる本』(ちくま文庫)にはごく普通の家庭や職場で深く悩んでいる人が多数紹介されている。

基本症状としては、
 ①両極端で二分法的(白か黒かの二項対立)な認知
 ②自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまい
 ③心から人を信じたり、人に安心感が持てない
 ④高すぎるプライドと劣等感が同居
 ⑤怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい

確かにこの母親の行動はこれらに当てはまる。しかし程度の差こそあれ、だれでもこうなのではないだろうか。問題は過激化することだ。怒りや感情のブレーキが利かないのは、非常に傷つきやすく、キレやすいからなのだそうだ。自分の思い通りにならないとき、ガラッと態度や表情を変えて、猛烈に攻撃したり、罵詈雑言を口にし続ける。場所や周囲の状況は関係ない、というあたり、この母親が学校関係者を罵倒したことによく似ている。

この母親の性格は少年や学校関係者だけに向かっていたのではないことは、後の裁判の経過でわかってくる。児童相談所なども実態を知っていたのに、情報の共有はされていなかった。

確かに病気でない以上、プライバシー保護の問題で表沙汰にはなりにくかったかもしれない。しかし情報が伝わっていないことで、子供が犠牲になるニュースは絶えないのだ。

精神障害者移送サービス業の押川剛の本『子供の死を祈る親たち』(新潮文庫)では「家族の問題」に公的機関や医療機関の介入が難しいとしている。子供の虐待や育児放棄についても、本来尊重されるべき「子供の意思」や尊厳は守られず「親の意思」が第一優先されるのだ。

最近「毒親」という言葉をよく聞く。子供のころから親に支配され、親のいいなりになってきた子が大人になり反旗を翻す形で告白している。しかしそこまで成長できなかった子はどうなったのだろう。まさに、この丸子実業事件の少年は犠牲者だと思う。

もちろん事件というものは一方だけから見るべきではない。最初の報道では、悪いのは学校であるとし、母親には多くの支援者がついた。本書の著者、福田ますみに対しても、対象に思い入れし過ぎだ、とか子を亡くしたばかりの母親に対して残酷だ、と批判が浴びせられた。

少年の自殺が2005年12月、最高裁の判定が確定したのは2013年10月、そして本書の単行本が上梓されたのは2016年2月。この事件の原因は母親にあると最高裁で認められた後に出版されている。

この過程が大事なのだ。福田ますみの前作『でっちあげ』(新潮文庫)のことを思い出さずにはいられない。2003年に起こった「福岡『殺人教師』事件」と呼ばれるこの事件は全国で初めて「教師によるいじめ」と認定された小学校での体罰事件を取材したものだ。ひとりの教師が担任の児童を執拗に苛め続けて、「早く死ね、自分で死ね」と自殺を強要し、その子供はPTSDによる長期入院に追い込まれてしまった……。母親は教師、学校、教育委員会を相手取って訴えを起こす。『モンスターマザー』とたどった道は一緒だ。

福田は取材するうちに、これは母親の?ではないのかと疑い始める。それは確信に変わり単行本として世に出たのが2007年。2010年に文庫化されたが、その間の裁判では結局この教師は罪に問われたままだった。

『でっちあげ』は最初から著者への批判が寄せられた。教師側の立場で書かれたこの本が、本当に正しいのか、ネット上で活発な議論がされていたのだ。どちらが正しいか、福田が書ききれなかったことは残念だと思った。最終的にはこの教師の言い分が通ったのだが、そのことが書き加えられたのはなんと文庫化した後、9刷になってからだ。

『モンスターマザー』はこの轍を踏まない。がっちりと証拠固めと裁判結果を踏まえた本書には安心感がある。

単行本出版後、福田ますみは「デイリー新潮」のインタビューでこう語っている。
 

――真実は明らかになりました。とはいえ、考えなければいけない課題は残されています。それは『どうすれば子どもの命を守ることができたのか』ということ。どの段階で、誰が、どのような対応をすべきだったか。悲劇を繰り返さないためにも、検証することが求められているはずです――
 

貧困、教育現場の荒廃、いじめや虐待などなど、子供を守るための法整備が必要だということは、多くの人が主張している。なかなか実現に至らないのは忸怩たる思いがする。少子化問題が喫緊の問題である以上、この問題は多くの人に考えてもらいたい。本書はそのための必読書であると言える。(2018年12月、書評家)

でっちあげ (新潮文庫)
作者:福田 ますみ
出版社:新潮社
発売日:2009-12-24
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