『ぼくと数学の旅に出よう 真理を追い求めた1万年の物語』「数」に秘められた歴史と驚異、そして情熱

西野 智紀2019年02月06日 印刷向け表示
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ぼくと数学の旅に出よう―真理を追い求めた1万年の物語
作者:ミカエル・ロネー 翻訳:山本 知子
出版社:NHK出版
発売日:2019-01-29
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告白するが、筆者は数学が嫌いだ。大がつくほどに。中学時代は試験で平均点付近と、なんとかついて行けていたが、高校入学以後は赤点・追試続き。もううんざりだと、大学の進路ははやばやと私立文系で気持ちをかため、授業選択が可能となると数学・化学・物理は一切取らず、尻尾を巻いて逃げてしまった。そのコンプレックスと敗北感を引きずってか、今でも数式を見るとなにやら怖気立ってしまう。

こういう状態にもかかわらずこの本に食指が伸びたのは、勉強し直したいからというより、あのとき数学を面白いと思えていたらどんな人生になっただろうかと興味を覚えたためだ。そんな個人的な思いも相まって、少々おっかなびっくりな読書となった。

閑話休題、本書は1984年フランス生まれの若き数学者ミカエル・ロネーによる数学普及運動を書籍としてまとめた一冊だ。内容を一言で説明すると、1万年以上前から現代に至るまでの数学の発見や歩みを平易かつ親しみやすい文章で紹介した数学史である。数学好きだけでなく、数学の素養がない人や筆者のような数学嫌いも拒まずぐいぐい導く力強さが読みどころだ。ロネーはほかにも、YouTubeに人気チャンネルを持っていたり、ティーン向けの数学冒険小説を書いたりと、幅広く活動をしている。これらの功績が認められ、彼は2018年に数学の普及に努めた団体や個人に与えられる「ダランベール賞」を受賞している。

数学の産声は旧石器時代に遡る。打製石器の握斧は、いびつな形ではなく、二等辺三角形や卵形のように左右対称を意識して作られていた。つまり幾何学だ。さらに時代が進むと、土器に対称や回転、平行移動といった模様が表れ始める。これは前奏曲のようなもので、確実に数学の始まりと言えるのは紀元前3000年紀、羊の数を数えるのに、羊を表す印を頭数分書くのではなく、羊を表す印の後に頭数を示す印を書いたときと言われる。

その後、文化が発展し、土地の測量技術として幾何学が使われ出していく。とりわけギリシア人はこの学問を特別な教養とみなし、幾何学を知らない者は門前払いを食らわされるほどだった。「直角三角形の直角をつくる2辺の2乗の和は斜辺の2乗に等しい」という定理を発見したとされるピタゴラス、正多角形を円に近づけていく方法で円周率πの近似値を見出したアルキメデス等々、数学界最初のスターたちは幾何学の研究から誕生した。こののち、数学は様々なジャンルに枝分かれしていく。

ここからは筆者の独断と偏見で、数学嫌いがつまずいたと思われる分野の逸話を本書からいくつか抜粋してみよう。

まず負の数。正の数×正の数=正の数、正の数×負の数=負の数は理解できても、負の数×負の数=正の数になるのはどうも納得がいかない。実はそれは古代から近代にかけての数学者たちも同じだった。628年、インドの数学者ブラフマーグプタが0と負の数について完璧な証明をしたとされているが、負の数が正式に認められたのはなんと19世紀以降。なかには「馬鹿げた数」と不快に思う学者もいたそうだ(ちなみに、四則計算の記号+-×÷はルネサンス期に発明されたもので、それまでは数式は日常言語で書き表されていた)。

負の数と同じくずっと不遇だったのが虚数iだ。ある方程式の解で、-15の平方根が出てきたとする。定義上、これを2乗すると-15になるが、負の数×負の数は正の数のはず。意味がわからない。そもそも負の数の平方根ってどうとらえたらいいんだ……? 人間の直感に反するようなこの数をまったく新しい数の領域だと考えたのが、イタリアの数学者ラファエル・ボンベリ。彼は1527年にこの数の計算法をまとめた書物を発表した直後に他界した。数学界全体に受け入れられるようになるまで300年以上がかかったが、虚数は現在代数学の基本定理とされ、電子工学や量子物理学で大いに活用されている。

近代テクノロジーに欠かせないと言えば三角比もそうだ。sinθ、cosθ、tanθという文字列を見てしかめ面になってしまう人はおそらく数学嫌いだろう。この三つは円周率と同じく、値を正確に表すのが不可能なため研究しやすいよう名付けられた。三角法の理論は古代から考えられてきたが、より洗練されたのは8世紀から13世紀にかけてのアラビア世界において。今日では三角比はGPS機能や3Dアニメなどで幅広く使われている。

こうして歴史を見てくると、数学はいかに実体のない存在であるかと思わされる。人間の知性によって可視化されてきた、人間の知性の外側にある法則。神秘的で美しいが、どこか不気味でもある。著者はこう綴る。

数学は物質的な世界でいったい何をしてるんだろうか? だいたい、本当にそこにあるのだろうか? もしかしたらぼくたちは、数学という幽霊のなかに途方もない錯覚を見ているのかもしれない。

なんともロマンティックだ。こうした感覚は、数学史をひもといていくと、数学者たちはみな多かれ少なかれ持っているという。彼らが数学の虜となったのは、驚異の世界を垣間見たときだ。

たとえば、あなたの生年月日の数の並びは、円周率の小数点以下の数字のなかに必ず存在する(1994年9月25日生まれなら、フランス式に表記すると25091994、πの小数点以下1278万5022番目に出てくる)。マツボックリの松かさなど植物に表れるフィボナッチ数列。シンプルな定義ながら、デカルト座標で幾何学的に表すと驚くほど精巧で調和のとれた図形となるマンデルブロ集合(知らない人はぜひ検索してみてほしい)。プロ棋士・解説者も予想だにしない一手で世界最強棋士を打ち破った確率論アルゴリズム搭載コンピュータ・アルファ碁……。

どんな娯楽であれ学問であれ、自分の専門について病的なくらい楽しげに語ってくれる人はひじょうに魅力的だ。本書も、著者が数学とはまったく縁のない場所で数学を披露するのが大好きというだけあって、最初から最後まで底知れぬ情熱が渦巻いている。中高生のとき、こういう熱気に触れられていたらと、読み終えて少し切なくなった。が、それでも、今からだって楽しむのは遅くないと、不思議なくらい前向きな気持ちにもさせられた。良い本に出会えたと、しみじみ思う。

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