『1%の富裕層のお金でみんなが幸せになる方法』高邁な理想主義がなぜ失敗するのか?

2019年3月9日 印刷向け表示
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1%の富裕層のお金でみんなが幸せになる方法

作者:クリス・ヒューズ 翻訳:櫻井 祐子
出版社:プレジデント社
発売日:2019-01-29
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本書は、今でもなお残されている、古き良き「アメリカの良心」を代弁する、社会変革のための提言書である。

なぜ5億ドルもの資産を持つ大富豪である本書の著者が、上位1%の超富裕層への課税強化を提唱するのか。本書の後書きに出てくる彼の言葉に、その思いが集約されている。

資本主義の潮流は否応なしに不平等へと向かうため、市場を富裕層だけでなく万人のために機能させるには、不断の警戒が欠かせない。・・・なぜなら、ほとんどの人が基本的に公正な世界を望んでいるからであり、また近年のペースで富の集中が続けば資本主義の崩壊を招きかねないからでもある。・・・もしも僕らの息子が、ほかの人や周りの世界に対して自分が負っている責任を理解せずに育てば、僕は親として失格ということになる。

アメリカの中流家庭に育った著者は、努力型の秀才で、名門私立高校フィリップス・アカデミーから奨学金つきでハーバード大学に進学した。そして、たまたま大学寮のルームメイトがフェイスブックの創業者マーク・ザッカーバーグだったことで、自身も共同創業者として20代の若さで巨万の富を手にした。

そこから先が個人の感性の問題なのだが、著者はこの運の良さの上にあぐらをかくのではなく、運の良し悪しが何世代かかっても解消できないほどの格差を生む「勝者総取り社会」に疑問を感じ始めた。ほとんどのアメリカ人が、自動車事故や入院などの突発的な出費も捻出できない状況に置かれている中、自分は20代で億万長者になった。それは、自分の優秀さや努力の賜ではなく、運が良かったからに過ぎないと考えたのである。

過去40年間、アメリカで行われてきた様々な経済的・政治的決定が、「1%の人々」と呼ばれる少数の幸運者に空前の富をもたらした。①グローバリゼーションの進展、②テクノロジーの進歩、③ファイナンスの拡大の3つの要因が、グーグルのラリー・ペイジ、アマゾンのジェフ・ベゾス、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグといった大富豪を生み出してきた。

そして、この少数者に思いがけない収入をもたらしたのと同じ要因が、同時にその他の人々の成功を阻んでいるのである。アメリカの不平等は、今や世界大恐慌が始まった1929年以来最悪の水準に達しており、労働者は本来期待できたはずの利益を一層手に入れにくくなっている。

そんな社会は何かが間違っていると考えた著者が辿り着いた実現可能な解決策が、「保証所得(a guaranteed income for working people)」である。しかも、その財源の全ては「上位1%の富裕層への増税」だけで賄えるのだという。

本書を読む上で絶対に間違ってはいけないのは、「保証所得」は「ユニバーサル・ベーシック・インカム」とは別物だということである。ユニバーサル・ベーシック・インカムは、所得や就労の有無に関わらず、全ての人が無条件で月1千ドルを受け取れる仕組みであり、それを実現するための国家予算は数兆ドル規模になる。

これに対して、労働者に対する保証所得は、より狭い範囲の受給者、具体的には困窮労働者を対象としており、例えば、著者が提案する年収5万ドル未満の世帯の労働者に毎月500ドルを配る方法であれば、追加予算は2,900億ドルですみ、それで9千万人の生活を改善し、2千万人を貧困から救い出すことができる。富の格差の最も有効な解決策は、最もシンプルな方法、即ち、最も必要とする人達に現金を渡すことだというのが、経験則から導き出された著者の結論なのである。

アフリカの支援史上最も高くつき、しかも多くの混乱をもたらしたとも言われる「ミレニアム・ビレッジ」のような、受益者の主体性と自主性を尊重するのではなく、トップダウンで経済的不平等と貧困撲滅を目指す支援プロジェクトは、活動に携わる人々がどんなに誠実で頭が良くても、大きな効果を上げる保証はないと著者はいう。

また、これほどの規模の格差問題は、慈善で解消できるものでもないという。ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットというアメリカを代表する二人の大富豪が立ち上げた、生涯で資産の半分以上を慈善団体に寄付することを世界中の富豪に呼びかける運動、「ギビング・プレッジ」を通じて寄付された金額を全て足し合わせても、アメリカで必要とされる保証所得の1年分にしかならない。

保証所得を長期的に持続可能にするのは公共政策の変更であり、そのために最もシンプルで有効なのは、アメリカの所得最上位層、つまり近年の経済構造の変化から莫大な利益を得ている著者のような人達に、財産のわずかな割合を恩返しとして支払ってもらうことである。著者に言わせれば、上位1%への増税は、豊かさや富裕層に対するペナルティではない。より公正で公平な社会は、全ての人々の利益になるのである。

経済的窮乏から解放されることによって、人の自由は大きく広がる。最低生活水準から遠ざかれば遠ざかるほど、根本的な問題をじっくり考えられるようになる。自分は何を欲しているのか、それをどうやって手に入れるのか、自分は何に価値を置くのか、このお金を何に投資するのか──保証所得は全ての人に内在するこうした自主性(自らの未来を切り拓く力)を尊重し、後押しするものなのである。

貧困層が一見劣っているように見えるのは、多くのアプリケーションを走らせると動作が遅くなるプロセッサーと同じで、彼らの処理能力が別のことに使われているからなのである。日々の生活費の心配をすることがもたらすIQの低下は、一睡もせず徹夜明けでテストを受けた場合の影響に匹敵するという。言い換えれば、経済的安定を欠く人は、疲弊し精神的余裕のない、徹夜明けのような状態で日々を過ごしているのである。

現金を支給するという考えには反対論も多い。典型的な批判は、最も重要なのは教育やスキルだというものである。確かに、「魚を与えるより魚の釣り方を教えよ」という諺があるが、問題は、スキルを高める教育機会があってもそれを利用できるお金がないことなのである。たとえ釣りの仕方を教えても、釣り竿やリールやエサを買うお金がなかったら、一体何になるのかということである。

著者は、公民権運動の指導者だったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが、保証所得について書いた次の文章に深い感銘を受け、聖書の言葉のように大切にしているという。

人が自分の人生についてみずから決定することができ、安定した収入が得られるという安心があり、自己改善の手段をもっているときにこそ、個人の尊厳が花開くのだ。

右派、左派を問わず、多くの活動家や思想家が、どんな人でも金銭的安心がなければ真に自由にはなれないと言っている。1967年にキングが保証所得を求める運動を始めたとき、アメリカの貧困層は4千万人だった。それから50年経った今も、まだ4千万人のアメリカ人が貧困に苦しみ、更に多くの下位中流階級の人々が経済破綻寸前の状態にある。

しかしながら、この状況はまだ変えることができる。上位1%が負担する月500ドルの保証所得は、2千万人を貧困から救い、彼らに経済的に自立する公正なチャンスを与えることになる。「外に出るには、入ってきた扉を使えば良い」という、孔子の格言があるが、単純な解決策があるなら、それを使わない手はないのである。

人間の尊厳とは何か、働くとは何か、なぜ多くの人々は貧困から抜け出せないのか──こうした問題についての深い洞察と、それに対するシンプルな解決策の提示というセットは、リベラルを代表する雑誌『ニュー・リパブリック』を買収し、その立て直しに失敗した実体験から得られたものだという。

現実的で実践的な根拠に欠けるやみくもな理想主義は、結果的に望ましくない結果をもたらす。トランプ政権誕生やBREXIT(英国のEU離脱)問題以降、世界が直面する、「高邁な理想主義がなぜ失敗するのか?」という深刻な問題の根本原因に迫り、その解決策を提示する良書である。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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